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JUN(大井・立会川)

ボラと龍馬の下町で

 京急に乗って立会川にやってきた。駅を出て、ちょっと旧東海道の方へ行くと、坂本龍馬の銅像が建っている。幕末の頃に土佐藩下屋敷が置かれていて、あのペリー来航の折に若き龍馬が砲台(浜川砲台)の警備を務めた......というのが由縁らしい。
 近頃は龍馬が町おこしのシンボルになっているようだが、もう10年くらい前になるか......立会川はボラの大群が押し寄せて話題になっていた。そんな立会川の町を横目に、第一京浜をちょっと大森方面へ行くと、右手に〈イエスランプ〉という古めかしい工場がある。昔のマツダランプに似たマークと波形模様を象った看板建築の建物が目にとまる。実は何度もふれている"箱根駅伝コースを歩く本"でこの物件のことを取りあげた。なにぶん古い工場ゆえ、本の校了前にいま一度"存在"を確認しにきたのである。
 印象的な建物は健在だった。また、半年前に訪ねたときは工場長らしき男がぽつんと一人座っていただけだったが、今回横窓から覗き見たところ、何人かの従業員が仕事に励む姿が認められ、ホッとした気分になった。
 立会川の町で一服していくことにしよう。龍馬の銅像の並びに〈珈琲ルシアン〉の看板を出した渋い建物を見つけたが......ここは外壁の看板だけ残して、もはや普通の民家に変わっている。第一京浜との角っこに〈パピヨン〉という派手なピンク壁の喫茶&スナックがあって、以前から気になっていたのだが、こちらも「しばらく休業」の張り紙が出ていた。
 第一京浜の向こう側にも〈立会川西商店街〉の看板を出した、狭いアーケード街が口を開けている。200メーターかそこらで突きあたってしまう短い商店街だが、その中腹あたりの「喫茶JUN」って店に立ち寄った。
 片側にカウンターが切られた、町のスナック調のつくり。なかに熟年代の女性が二人入って、こちらに背を向けた男性客と世間話をやりとりしている。
 そう、この店、喫茶の他に「甘味」とも出ていたが、あんみつ、みつ豆類の品書きが張り出され、料理の項目にある正油ピラフ、ドライカレー、なんてあたりもそそられる。まださほど腹は減っていなかったので、珈琲を注文、カウンターの女性は二人とも気さくな感じの人で、立会川のボラの話題をきっかけに会話はふくらんだ。
「すぐ裏の川のあたり、すごかったのよ。テレビではわかんないでしょうけど、間近で見るとボラの群れの厚さが1メートルくらいあるのよ。それを狙って鵜(う)が飛んでくるんだけど、ボラの群れの中に突っこんだ後、どっから出ていいのかわかんないよーな、困ってる感じがキモチわるいけど、なんだかおもしろかったのよ」
 キモオモシロイ感じがなんとなく伝わってくる。
「もう10年くらい経つのかしら。ほら、ダブルのお姉さんが来てた頃よね?」
 二人がいう"ダブルのお姉さん"ってのが気になって尋ねてみると、この店の珈琲が気に入って毎日「ダブル」で注文していた不思議な常連客が"ボラ騒動期"に存在したらしい。ちなみにこの店は開店して約30年、一方の女性の姉がオーナーで、JUNの名は彼女の娘さんの名が由来という。
「ジュンっていうくらいで、ここはお酒を出さない純喫茶でずーっとやってきたんですよ。やさしいお店の女性たちがちょっとした悩みの相談にも乗ってくれる......」
 ずっと背を向けて、何やら書類読みなどをしていた男がくるりと振り向いて、僕らの話に入ってきた。「コラムニストのイズミさんでしょ?」なんて確認しつつ、店の人に僕の正体を解説する男は、この店と古くからつきあいのある信用金庫の営業マンなのだった。
 ボラ騒動とダブルのお姉さんの話題、おそらく日々顔を出す信金の男......ホームドラマの一場面を切り取ったような、いかにもコアな町の喫茶。そういえば、さまぁ~ずもモヤモヤ散歩の途中に入りこんできたらしい(並びには、とんねるず「きたなシュラン」認定の料理屋もある)。

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泉麻人
著者プロフィール

泉麻人(いずみあさと)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『50のはえぎわ』(中公文庫)『お天気おじさんへの道』(講談社文庫)『シェーの時代』(文春新書)などがある。