108

ウィーン(三河島)

キヌ電と荒川コーリアン街

 都電荒川線に乗って、東尾久三丁目で降りた。この辺は散策エッセーの取材でほんの二月前にかなり歩いた所なのだが、進路の関係で一つ気になる道を歩き損ねた。電停のすぐ横から三河島の方へ南下していく筋。くねくねと湾曲した、いかにも古道風情の筋で、荒川九中を越えた先から〈キヌ電通り〉の表示が電柱に掲げられている。
 キヌ電の正体、およその予想はついていたのだが、商店街の一角の年季の入ったパン屋(自家製サンドイッチが旨そう)のオヤジに伺いを立てた。
――キヌ電ってのは、昔の電力会社でしょ?鬼怒川の水力発電の......
――そうそう、よく知ってるね。この先に変電所があったんだよ。いまは東京電力になってるけどね。この道も江戸の頃からあった古い道で、上野の方まで続いてたって聞きましたよ。
 確かに、思わずカメラに収めたくなるような素朴な町並が続いている。キヌ電――というカタカナ書きのちょっと謎めいた表示が、またいいアクセントになっている。やがて右手に東京電力の施設が見えてきた。もうすぐ向こうは明治通りの新三河島の駅前だ。
 ちなみにキヌ電、正式名称は鬼怒川水力電気といい、明治43年に創業(この尾久変電所の設立は45年)、社長はその後小田急電鉄を立ち上げる利光鶴松。キヌ電の省略系が継承されるほど、土地に根付いた物件だったのだろう。
 キヌ電通りの筋は明治通りを渡って、京成電車のガードをくぐった先あたりでよくわからなくなった。そのうち正面に常磐線の築堤が見えてきた。堤上のホームは三河島駅。駅の周辺はハングルの看板が目につく。この辺は西の大久保と比肩する、東のコーリアンタウンなのだ。いやしかし、最近の新大久保界隈は〈韓流アイドル街〉みたいになってしまったから、こちら三河島の町並は往りし日の新大久保のようで、妙に懐しい。
 渋い喫茶店も見つかりそうな町並だ。東方へ延びていく荒川仲町通りというのは、こないだ歩いたときから気に入っている、真性荒川的な商店街なのだが、惜しむらく喫茶店が見当たらない。その道よりもう一本駅寄りの所にも韓国料理の看板が見える商店筋があって、そちらに入りこんだときに〈カフェテラス ウィーン〉の看板を側壁に突き出した、なかなかゴージャス系の店舗が視界に入った。
 ガラス戸の際にフルーツパフェなどのサンプルを並べた、年代物のショーケースが備えられ、戸越しにチラッとTVゲーム卓が垣間見えた。スナックのような店でもあるが、たまにはこういう喫茶もいいだろう。そして、戸を開けて足を踏み入れた途端、御年配の視線を一斉に浴びた。老人客には馴れているけれど、この店はまさに七十代くらいの方々の溜り場になっているようだ。とくに、窓際に集まった男女6名(3対3で人数も合っている)のグループは、定例の老人会といった雰囲気。
 そんな彼らのいるテーブルの背に、ヨーロッパの宮殿をとらえた大きなスクリーン・フォトレートが掲げられている。天井のライトはシャンデリア風だし、ソファーは使いこんで色褪せてはいるけれど、"王室趣味"のコンセプトが感じられる。
「あの写真はオーストリアのベルベデーレ宮殿って所。ウィーンの方の風景写真を定期的に入れ替えてるんです」
 と、三十代くらいのマスター。開店して35年、家族でやっている店というから、おそらく創業者の親御さんがウィーン好きなのだろう。
 しかし、ウィーンとはいえ、僕のテーブルには麻雀ゲームが内蔵され、奥の一角にはモニターとマイクが見えるから、客層に合わせて当初のコンセプトはかなり変貌したのかもしれない。
 珈琲を飲み終えると、サービスのコブ茶が出てきた。向こうの老人グループの男のケータイが鳴った。メロディーはエリック・サティのインストと思われる。広い窓の向こうに三河島の商店通り。このくらいのウィーンはホッとする。

108wien.jpg

トップに戻る
泉麻人
著者プロフィール

泉麻人(いずみあさと)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『50のはえぎわ』(中公文庫)『お天気おじさんへの道』(講談社文庫)『シェーの時代』(文春新書)などがある。