109

沙羅(成城)

学園街の喫茶店

 新宿から小田急線の急行に乗っていたら、こんなアナウンスが流れた。
「この列車は経堂には停まりません。ご注意ください」
 昔からおなじみのアナウンス、とくに「とんねるず」が出だしの頃、祖師ヶ谷大蔵出身の木梨憲武が盛んにこのネタをギャグにしていたのを思い出すが、まだやっていたのだ......。依然としてまちがえる人が多いのかもしれない。
 さて僕は、急行がちゃんと停まる成城学園前で降りた。些細なことだが、この駅はただ「学園」でなく「学園前」と付く。こういう駅の駅前について書こうというとき、律儀に成城学園前駅前とするとまどろっこしい。小田急沿線には他にも玉川学園前、読売ランド前......と前付きの駅が多く、書き手としてどうもすっきりしない。
 というわけで、以降は「成城」の町名の方で表現していくことにしよう。
 成城にやってきたのは、別にこれといった用があるわけではなく、いってみれば喫茶店探しだ。長らくこのエッセーを書いているけれど、そういえば定番イメージの成城の店を探訪したことがない。尤もこの数年来何度かふらついた経験はあるのだが、記憶に残るほどの物件はなかった。
 駅ホームは10年くらい前に地下化され、コンコースを挟んで北口と南口が筒抜けになっている。改札を出たとき南口の側に、上島珈琲店とスターバックスが見えたが、まずは本拠・成城学園のある北口の方を散策しよう。目の前の桜並木の辻に「成城石井」が建っている。もはや、チェーン化して上野あたりでも見られるようになったこの高級スーパー、もちろんここが原点である。
「風月堂」の2階が喫茶室になっていて、なかなか感じが良さそうだが、もう少し奥の方を廻ってみよう。おちついた住宅街の道にも桜の老木が植わっていて、こういう界隈の景色は昔の映画やドラマの時代とあまり変わっていない。「少年ジェット」などのヒーロー番組のビデオを観ていると、偉い科学博士のお屋敷はだいたいこのあたりの洋館に設定されている。
 小田急バスが往来する通りにあった踏切は消え、その傍らにほんのひと頃まで建っていた古びた葬儀屋がなくなって、ビル工事が進んでいたのはちょっとショックだった。
 小さなバスターミナル(地下が小田急線)の横を曲がって南口の方へ歩いていくと、ようやく好みの個人喫茶が目に入った。「珈琲 沙羅」とレンガ壁の玄関口に出ている。超クラシック、というわけではないけれど、学生の頃の成城の雰囲気を思わせる。沙羅って名前も、なんとなく70年代っぽい。
 店内にはジャズが流れ、僕よりちょっと下、40代くらいの男が黒っぽいバーテンダーの姿でカウンターにいた。焙煎室は見あたらないが、各種の豆がずらりと陳列されている。栗の季節柄、〈モンブラン+珈琲〉のセットメニューが目にとまり、これを注文、窓外の駅前風景をしばし眺める。ちょうどすぐ目の前が小田急バスの渋谷駅行の乗り場になっていて、けっこう人が並んでいる。
――昔の小田急バスって、車体に銀色の犬のマークが入ってたよね?
――そう、よくご存じですね。確か小学生の頃まであったんだけど、いつしか取っちゃいましたね......。
 なんて感じでマスターとの会話は始まった。すぐそばの明正小学校に通っていたという彼は2代目主人、40年ほど前に父親がこの店を始めた。沙羅の名は俳句に親しんでいた祖母の命名で、壁に師匠の歌人が寄贈してくれたという句の額が掲げられている。
〈花をひろへば 花びらとなり 沙羅双樹〉
 いまは少なくなったが、ひと昔前は学生の溜り場の雰囲気も漂っていたという。
「成城学園はもちろん、坂下の日大商学部の学生さんなんかも多かったって話です」
 サラでオチャする? なんて言い回しが思い浮かんできた。

109sara.jpg

トップに戻る
泉麻人
著者プロフィール

泉麻人(いずみあさと)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『50のはえぎわ』(中公文庫)『お天気おじさんへの道』(講談社文庫)『シェーの時代』(文春新書)などがある。