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アブロード(京島・橘通り)

おかず横丁のUDON喫茶

 身近にローカル線の気分が味わいたくなると、東武の亀戸線に乗りに行く。JRの亀戸の草深い築堤の脇から出発する感じといい、湾曲したルートに小さな駅が続く感じといい、ひと昔前の郊外電車の雰囲気が残っている。尤も、この駅の改札手前にも近頃はスタバが出店していたりする。
 並行していたJRの線路から弓なりに離れていくと、まず最初の駅は亀戸水神。よほどまちがえる客が多いのか、〈ココは亀戸水神。亀戸天神の最寄り駅は亀戸です〉なぁんて張り紙がホームに見える。次が東あずま(下の"あずま"は東ではなく吾嬬)、その次の小村井は「おむらい」と読む。
 小村井の駅で降りて、すぐ横の明治通りを歩き始めた。沿道に「大衆ステーキ ビリー・ザ・キッド」という、このあたりでは有名なステーキ店がある。ステーキはともかく、「小村井でオムライス」なんてシャレが浮かんで、ショーケースにオムライスのサンプルを飾ったような喫茶レストランを探していたのだが、見つからない。しかし、この辺は明治通りとはいえ原宿や渋谷と違って、金属部品の看板を出した町工場や古い商店が目につく。一見して、2階部が歪んだ長屋の一画で平然と店をやっているところもある。
 橘通りのバス停の脇から〈キラキラ橘〉のニックネームを掲げた商店街が始まる。僕が初めて歩いたのは20年くらい前だったが、狭い道づたいに背の低い商店が延々と続く町並は、ほとんど変わっていない。ただし、いまは家並の先に、時折スカイツリーがすっくと姿を現わす。とりわけオカズ屋さんが多いのは、砂町銀座などと同じく工場街に開けた商店街の特徴だ。そんなオカズ屋の店先にイナゴの佃煮を久しぶりに見掛けた。
 ショーケースに素朴なコッペパンを並べた「ハト屋」ってパン屋は見おぼえがある。犬とじゃれる女の子を描いた、ヘタウマ系のブリキ看板がいい味を醸し出している。
 渋い喫茶店の発見、を期待してきたのだが、なかなかない。渋い......というわけではないけれど、一つ面白い店が目にとまった。
〈UDON&CAFE アブロード〉
 アブロードはともかく、UDON&CAFEの取り合せが珍しい。もしや、讃岐(香川)の方の人が営む店だろうか......。
 ドアを開けると、通路際にスナック菓子やキャンディーを並べ売りする棚があり、奥のカウンターに夫婦と思しき初老の男女が入っている。お客は帽子を被った老夫が一人。僕は窓際の席に座って、ウインナコーヒーを注文した。ちょっと古めかしい店でウインナコーヒーを見つけると、さほど飲みたくなくてもつい注文してしまう癖がある。
 壁には巨人軍選手や"さまぁ~ず MIMURA"と読みとれるサイン色紙が張り出され、〈UDON〉のメニューも掲げられている。わかめうどん、コーンうどん、きのこうどん......。さらに「南魚沼より直送の100%コシヒカリ使用のランチ」なんて張り紙も。
 当初、讃岐の人と思ったが、新潟の方の人なのかも? カウンターのママさんに尋ねたところ、うどんの出元は埼玉だった。
「私たち埼玉の加須(かぞ)の出身なもんで、向こうはどこも家で手打ちうどん作るんですよ......」
 伺ってみると、多摩の東村山あたりから川越の方まで広がる、いわゆる"武蔵野うどん"の地域のようだ。思えば加須は東武伊勢崎線(スカイツリーライン)の沿線だから、この辺は地理的にも近い。
 ちなみに、さまぁ~ずのサイン、てっきりテレビ番組(「モヤモヤ」がいかにも入りそうな店だ)の関係と思ったら、三村さんの実家がすぐ近くらしい。
「だから、どこ行ってもこのサインあるの」
 ママさん、ちょっと冗談まじりにいった。
 店奥の壁には、やはり近場の名所・スカイツリーの写真パネルが掲げられている。
「この辺の人はみんなスカイツリーに行くんだけど、向こうからこっちまでは来ないのよ」
 なるほど、昔ながらの町並は保たれているけれど、戸の閉まった店は確かに増えた。あのスカイツリーのたもとの類型的なショッピングモールより、よほどこちらの商店街を歩いた方が面白いのに......。京島の素朴な町越しに眺めるスカイツリーの構図も絶妙だ。

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泉麻人
著者プロフィール

泉麻人(いずみあさと)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『50のはえぎわ』(中公文庫)『お天気おじさんへの道』(講談社文庫)『シェーの時代』(文春新書)などがある。