ぼくの道具 石川直樹

第二回 レンズ付きフィルム

 長期の遠征には必ず、レンズ付きフィルム「写ルンです」を持参していた時期があった。普通は観光地などで日常の風景を撮るために利用するのだろうが、ぼくはまったく逆に、日常からかけ離れた場所でこのカメラを利用することが多かった。
 冒険や探検という行為は、それを記録することと分かちがたく結ばれている。単独で山に登って「私は頂上に立ったんです」と言っても、それを証明するものがなければ他人は信じようがない。旅人にとって、写真はそうした場所での存在証明として必要とされるのだが、気温がマイナス30~40度にもなる極地遠征などでは、カメラの電池切れや故障というアクシデントに見舞われることも少なくない。だから、環境が厳しければ厳しいほど「写ルンです」のような、誰が使っても撮れるカメラを重宝することになる。
 ぼくはメインのカメラとして、プラウベルマキナ670というブローニーフィルムを使用する古いレンジファインダーのカメラを愛用している。しかし、ヒマラヤの頂や長期の極地遠征でもし壊れてしまった場合、取り返しのつかないことになる。だから、大切な局面では必ず「写ルンです」を胸ポケットに忍ばせることにしていた。デジタル時代の昨今まで、このスタイルは崩れることがなかった。やっぱりフィルムに留めておくと安心できるのだ。特に単独行の旅人にとって、記録することは何より重要である。
 自分の撮影行為の原点にあるのは、「表現」ではなく「記録」することだと思っている。美意識や自意識から解き放たれ、撮らざるをえないから撮った写真、そこに写真そのものの力が最も強く現れると信じている。つまり、何をどう撮るかよりも、なぜそれを撮るかということのほうが、ぼくには大切なのだ。
 初めて出版した写真集『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』(中央公論新社刊)の表紙は、北極の氷上で「写ルンです」を使って撮った写真だった。一頭の白クマがゴミのように小さく写っていて、色も少しだけ褪せている。この写真集を作るにあたって、2000枚以上の写真を写真家の森山大道氏に見せたときに「これがいい」といって選んでくれたのが、その写真だった。撮影時、目の前に白クマが現れてぼくの足は震え、バッグのなかに入れていたカメラを取り出すことができなかった。ジャケットの内ポケットに入れていた「写ルンです」を取り出すのが精一杯で、恐怖に駆られながら、でも撮りたい、撮るしかないという、まさに撮影の動機が臨界点に達して撮った写真であるといえる。
 携帯電話を含め、今は誰もがデジカメを使用する時代だから、画面を見ながら失敗だと思った写真を即座に消してしまう。しかし、実はその間違った写真のなかに大切な何かが含まれていることもある。フィルムの一コマ一コマは消せない記憶が刻まれ、そこに自分が歩いた一連のプロセスをきっちりと残してくれる。自分の行動に消去できるものなど、実は何もないのだ。僕が「写ルンです」で撮った、白クマかどうかもわからないくらいぼんやりした写真は、他人が見たら失敗写真として捨ててしまうかもしれない。しかし、森山さんはそれを選んだ。写真とは、そういうことなのだ。
 ちなみに、ぼくが旅でいつも使っている「写ルンです」は、一般的なISO400のものである。時々、防水仕様の「写ルンです」も活用していて、エベレストに登ったときなどは、これが役に立った。せっかくエベレストに登ったのに写真が撮れなかったら後悔してもしきれない。普通の「写ルンです」でも大丈夫だったかもしれないが、あえて防水仕様を選んだのは、雪や水をかぶっても絶対に壊れないことが前提条件だったからだ。以前、南極に3台の一眼レフカメラを持っていって、その3台とも壊れてしまったことがある。だから南極点に到達したときの大事な写真も「写ルンです」で撮ったものになってしまった。落としても壊れず、水や水蒸気にも強い「写ルンです」は、ぼくの最後の頼みの綱であり最強の記録道具として、いつも手元に置いている。





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富士フイルム社の「写ルンです」
1986年に発売されたレンズ付きフィルム。初期はISO100の110判フィルムを使用していたが、2代目となる「写ルンですHi」からはISO400の35ミリフィルムに変更、画質が飛躍的に向上した。現在ではISO800・1600といった高感度なもの、APSフィルムを使用したもの、水中で撮影できるものなど、様々な種類が発売されている。写真は著者が「写ルンです」で撮影した『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』の表紙。

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