ぼくの道具 石川直樹

第一回 バックパック

 シンプルなデザインのこのバックパックを購入したのは、ぼくが14歳、中学2年生のときだった。あの頃、自転車に乗って一人旅に出ることを思い立ったのだが、装備を入れるための丈夫なバックパックを持っていなかった。小学校の夏休みに使ったリュックサックでは心許なかったし、友人と遊びに出かけるためのナップザックでは荷物が入りきらない。しっかりしたザックがどうしても欲しくなり、アウトドア雑誌などを読み漁って自分なりに研究した結果、「グレゴリー」の製品にしようと決めた。今は直営店のグレゴリーストアが東京にできて多くの人が知るブランドになったが、当時は新宿の小さな店に数種類の品物が置いてある程度の存在だった。
 新宿の専門店に行き、自転車に乗って数泊の旅に出ることを店員に告げると、彼は「Day & Half」という名がついた黒いバックパックを勧めてくれた。文字通り、一泊二日くらいの旅にちょうどいい大きさという意味だろう。値段は3万円を超えていて、当時のぼくには清水の舞台から飛び降りるような買い物となった。
 素材は頑丈な黒いナイロンでできており、メイドインUSAなので縫製も信頼できる。重量は880グラム、33リットルの容量があり、数泊程度の旅には必要十分な大きさだった。最近はテクニカルなバックパックが増えたが、このようなシンプルなバックパックが今も好きなのは、最初にグレゴリーの「Day & Half」と出会ってしまったからかもしれない。
 お年玉貯金をおろしてやっとの思いで購入した、このバックパックは、今日まで大切に使っている。肩にあたる部分の糸がようやくほつれたのは15年ほど使用した後の話である。以後、何度か修理を繰り返しながら、結局20年以上現役の道具となった。いくら物持ちのいい自分でも、これだけ激しく使っていて20年以上つきあった道具は他にないかもしれない。
 このザックと一緒にぼくはさまざまな場所へ行った。人生初の海外一人旅となった高校2年でのインド旅行にはじまり、山、川、海、フィールドを問わずどこでも活躍してくれた。アフガニスタンの旅で、移動時にトラックの荷台にこのバックパックを載せてもらったときのこと。所有者を判別するためという目的で、バスの運転手が黒のマジックペンを使い、大切なザックの表側に大きく「日本人」と書いてしまったことがある。それはもちろんアラビア語か何かの文字で、いきなり自分の荷物にそんなことを書かれたものだから怒る間もなく呆然としたものだが、幸い、雨の日も雪の日も使っているうちに、今ではもうほとんど消えている。
 チョモランマにもこれを背負って登っている。町からの移動を含めて2ヶ月以上という期間の最後の最後、小さな酸素ボンベとカメラなどの最低限の装備を背負って行く頂上アタックに使用したのも、このバックパックだった。8300m地点から頂上の8848mにいたる長い一日は使い慣れたザックで行こうと決めていた。といっても、このようなクラシックなバックパックでチョモランマの頂上へアタックした人は、最近ではいないのではないか。
 チョモランマの頂上に滞在した時間はおよそ20分にも満たなかった。ぼくが2ヶ月間かけて登ってきたチベット側からの行程が後ろに見え、前には初めて見るネパール側のルートが見下ろせる。ようやくたどり着いた先に見えた遥かな道のりへ再び向かったのは、その10年後のことである。そのときにはさすがに「Day & Half」を頂上に持って行くことはなかったが、今でも小旅行や重い資料を持ち運ぶときなどには使っている。チョモランマを共にした相棒を手放すことなどできない。今もこれからも、このバックパックはまだまだ現役で活躍してくれるはずだ。




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グレゴリー社のDay & half
カリフォルニアの老舗バックパックブランド「グレゴリー」。なかでも「Day & Half」は最も歴史のあるバックパックであり、発売から4半世紀を経た現在も、愛され続けている銘品である。写真は実際に著者が現在も使用しているもの。

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