結婚の追求と私的追求

能町みね子

第1話

ジェラートピケ

 夫(仮)の持ち家についに引っ越した日の夜中、私は水状のウンコを漏らした。
 いくらなんでもそりゃないだろう、同居初日で。
 午前三時。尻の穴からなんか出たぞ! と思った瞬間にハッと目が覚めてそれがウンコだと気づく、この三つの連続する動作は横綱白鵬の立ち合いのスピードくらい早かった。それからその量がそれなりに絶望的なものであると気づくまでのスピードも、並みの幕内力士の立ち合いのスピードくらいは早かった。
 ショックとやりきれなさとしっとりした不愉快さを尻の間にはさんで螺旋階段を下りる。築年不明、三階建て、屋上付きの狭小住宅の隅に据えつけられた階段は夫(仮)が購入後に丁寧にぬりかえて、モロッコ調のタイルシートが蹴込みの部分に貼られており、非常にかわゆい。いま私が穿いているパジャマのズボンも、三か月前の誕生日にジェラートピケで購入して夫(仮)にプレゼントした、しましまでけばけばのもの。今日はとりあえずれを拝借しており、これまた非常にかわゆい。真夜中、かわゆいズボンでかわゆい段々をくるくる回りながら三階の寝室から一階まで下り、お風呂で脱ぐ。実は大したことないのではという希望的観測にもとづいてパジャマのズボンの裏を見ると、小さな泥だんごを壁に叩きつけたかのような量感の半液体が股間の内側の縫い目の部分にしっかりとましましていて、私は下半身をあらわにした半裸でしゃがみ、お風呂の床に問題の箇所を広げてシャワーをザンザンとぶちあてた。
 ひととおり茶色い要素を流し終わったらそれをお風呂場の物干し棒に干して、尻の冷えを感じながら三階までかけのぼり、まだ開けていない引っ越しの段ボールからどうにかほかのズボンをひっぱりだして、穿く。そして、寝る。
 午前六時に起きたら、なんと、また漏れている。
 今度は目が覚めたときにすでに十分な量が出きっていた。ふわふわした巨大なあきらめの気持ちが下りてきて、Done! という完了形動詞が効果音のように頭の中に響き渡る。括約筋が活躍できないほどの水下痢なんですね。また風呂場で同じことをくりかえし、ズボンをびしゃびしゃにしてから同じように干す。
 気持ちも身体もへとへとだが、ともあれ、私の引っ越しにまつわる昨日の作業で疲れきって二階の仮寝床でいびきを立てている夫(仮)を起こさずに早朝に家を出、昨日までの自部屋に午前八時に行かなきゃいけない。まだ向こうの部屋に残るゴミを捨て、退去の立ち会いというやつをやらねばならないのだ。
 寒い寝室で着替え、すっきりしたはずの尻にへばりつくような余韻を引きずりながら、地下鉄駅まで歩いて向かう途中でまだ寝ている夫(仮)にLINEを送ってみる。精神がまだ再起できていない状態なので、謝罪の気持ちよりも自分の落ち込みが表に出た、まったく演技のないものとなってしまう。
「下痢がすごすぎてお尻が止められず大人なのに寝ウンコしてしまいました。ショック。お風呂に干してあるのは手洗いしたやつです。ジェラピケは乾燥機かけたほうがいいかも
す。すみません......。ベッドのパッドももしかしたら少し被害あるかも。今晩洗うかも」
 かも、かも、という繰り返しに、まだ自分のウンコ漏らしを受け入れたくない消化の悪さがにじむ。
 水のごとき下痢が絶えず流れる理由はあまりにもはっきりしていて、私はついこの五日前までミャンマーに渡航していたのです。
 現地では最終日に、衛生度では屋台以下と言おうか、朝市で働くおばさまたちのまかない飯に近いようなカレー味の麵をいただいてしまった。観光地ではない場所につっこんできた明らかによそものである私たちにも排他的な態度なんか見せず、お店のボスのおばさまは現地語で何やら説明してくれながら手づかみで麵を盛り、そこにもやしやらなんやら野菜をたくさん載せ、大量の味の素とカレー粉のようなものをどさっとかけて、するととなりのおばあさまがそれをまた手づかみでわっさわっさとかき混ぜる。ほこりの舞う道端で素手での調理、不安はあったものの、旅の腹痛はかき捨てとばかりにそれをかきこむともちろんとってもおいしい。
 だからまあ、これのせいでお腹を壊すこともあるだろう、と覚悟はしていた。しかし、それにしては水下痢の期間があまりに長い。高熱が出ていないから大きな病気ではないと思うけれど、万が一ということもあるし、なにより同居初日の夜にウンコを漏らしたという精神的ショックで、二度とこんなことはごめんだという強い決意をもって部屋の引き渡しが終わってそのまま病院に駆けこんだ。
 問診票の「ここ三か月以内に海外に行きましたか」という質問に、文句あるかと言わんばかりに「ミャンマー」と書きつけると、やはり待合室に隔離された場所を指定されてしまった。そんな頃に夫(仮)は起きてLINEを見たようで、ふとスマホを見たらシンプルに「きゃー素敵」という返事が来ている。ウンコを漏らした報告と、その件に関して明らかに落ち込んでいる調のメッセージが送られてきたらそんな返信をするしかないよな、と思う。
 隔離された待合室でヒマなので、ちょこちょこLINEで会話。
「病院なう。念のため隔離されてる! 赤痢とかコレラとかネットで一通り調べたけど違いそうなんだけどなー」
「赤痢で隔離病棟かしらん。ネタが増えたわねん」
「いやー」
 診察を受けると単にウイルス性の下痢で、食べ物が原因かどうかもはっきりせず、少なくとも重大な病気ではないらしい。ちょっとした薬を処方された。
 ふりかえれば、ミャンマーから帰国し、中一日でテレビ局主催のイベントに出演、そこから中一日で引っ越しだったわけで、そうとう身体に無理があったことは間違いない。まずは重病や伝染病ではなかったことに安心です。
「どうせなら海外の指定疾患的なやつのほうがおもろいと思うわん」と定番の不謹慎な冗談を送ってきた夫(仮)に「残念ながら法定伝染病とかじゃなかった。ウイルス性胃腸炎? みたいなふつうに治るやつ」と返すと、「残念」と言いつつ「うんこパッドは一応洗濯しといたわんよ~」と。
 洗ってくれる人がいる。想像だにしていなかった事態。
 自分のやらかした失敗は、サボり癖甚だしい私でも、なんだかんだで自分で処理しなければいけなかったというこれまでの人生。それが嫌で嫌で、さんざん放置したすえにやっと腰を上げて一人で文句を言いながら処理していた人生。ゴミ箱に投げたティッシュが入らなかったらチッと心で舌打ちをして放置、下手すりゃゴミを全部ゴミ袋に入れ替える際までほったらかしにしておきかねなかった人生だった。まさか私が排出した私のいちばん汚いものを誰かが洗ってくれる可能性があるなんて、赤んぼう以外でそんなことをしてもらえる可能性があるなんて。思いもしなかった。
 病院のあと、夫(仮)と同居する家に引っ越すと同時に借りた神楽坂の仕事場に立ち寄り、そのあと深夜に帰宅。部屋に入って早々、「五回ウンコ漏らしたら離婚よ」と言われた。
 ウンコ漏らしが冗談ですむ関係。このくらいのちょうどいい距離感にまた一つほっとする。おそらく女友達だったらもう少し気をつかって、ウンコの話に触れないか、触れたとしてもそおっとそおっと、ソフトタッチになるでしょう。

 そうして安心した翌朝、同居二日目に、私はなんと通算三回目の寝ウンコをする。
 また、起きたら出ていた。水状なのは変わらない。
 言うまでもなく、病院に行った昨日の昼間もあいかわらずトイレの回数は多くて、水下痢はまだまだ治りそうになかった。とはいえ、いくらなんでも二日連続で寝ながら肛門が開くとは。
 泣きそうな気持ち、自分に対しはらわたが煮えくりかえりそうな気持ち、死にたいような気持ちをたくさん抱えながら、また早朝に寒いお風呂場で洗濯だ。
 私よりだいぶ遅く起きた夫(仮)にもためらいなく報告した。いや、本音を言えばたっぷり羞恥心はあるし、それなりにためらいもあるのだけれど、いかにもためらいがないように報告するのが円滑な人間関係につながると私は思っているのだ。
 さすがに寝ウンコ二夜連続! ともなると、夫(仮)もちょっと驚いているようだったけれど、離婚がどうのと茶化すこともなく、呆れたり眉をひそめたりすることもなく、表情の深奥に少しだけ気づかいが見える。気まずい、申し訳ない、死にたい。同居初日と二日目にウンコが液状になって夜に爆出する必要はないでしょう。私の体だってもう少し空気を読めるからここまで生きてこれたんじゃないの。
 幸いにも気がおけない友達は何人かいるので、この恥ずかしさを拡散して薄めるようなつもりで、私は自らウンコ漏らし情報について別のLINEグループにも漏洩させてみた。すると、そのなかでも特に仲のいい西村から「ナプキンがいいよ」というアドバイスが送られてくる。なるほどおむつはさすがに心理的抵抗があるけれど、生理用ナプキンであれば万に一つの場合(いや、同居後で言えばすでに二(日)に三(回)で、確率百パーセント以上なのだが)にも安心ですね。
 こうして、同居三日目の昼間には「夜用・とっても多い日用」みたいなナプキンを購入したものの、この日もやはり体調はまるで戻らず、少しお腹に食べものを入れると胃腸が苦しんで覿てき面めんに全身がだるさで支配され、しばらく何もできないほど。そこからしばらくして明らかに腹が下ってきて、水状の下痢が排泄される、というサイクルができあがってしまっている。
 夜まで仕事場で多少の作業をしていたものの、帰る頃には、一週間ほどつづく水下痢、そして二日連続の寝ウンコの余韻が私をたたきのめし、すっかり気持ちのギアが低いほうに入ってしまった。
 ギアは厄介。多少のことではギアチェンジがなかなかできないし、何を見ても気持ちは暗いほうへ。
 たかだか二日程度の同居で、やはりこんな勢いでの同居は間違いだったんじゃないか、この体調の悪さも無意識的な同居のストレスではないのか、と次々頭に浮かぶ。だいたい、引っ越し直後にさほど整理の行き届かない夫(仮)の家に私の大量の段ボールを運び込んだため、居間すら段ボールだらけでテレビが半分隠れているのが非常にまぬけで、片づくまでの道のりすら見えない、そんな荒れた家に帰るのもつらい、昨日は二階の居間のソファーベッドが段ボールとマットレスに挟まれた状態で斜めに浮いていて、同じ部屋の隅には正体不明のビニール袋などが堆積しておりゴミ屋敷同然の状態だ、こんな人生はきっと失敗だ。
 仕事場から地下鉄で新しい自宅の最寄駅に降り、殺風景な幹線道路の歩道をとぼとぼ歩きながらも、あと数分で着いてしまう家に帰りたいと思えない、だいたい夫(仮)も家の改装の作業が遅すぎる、でも引っ越し前に私の寝室にあたる部屋をなによりきれいに片づけてくれたしあれはとても助かった、いやしかし改装が遅いのはまた別の問題だ、などとネチネチモヤモヤ考えやっと家に着き、そのときまた夫(仮)が斜めに浮き上がったソファーベッドに寝そべりスマホでも見てたら私の暗い気持ちが加速したかもしれませんが、なんとこの日は夫(仮)がお昼にちょっと片づけをしたようで、テレビは全画面で見れるようになっていて、ソファーベッドが斜めになっている件も解決していた。
 なにより私が階段をのぼって居間のドアを開けた瞬間、夫(仮)が台所で立ち食い状態でまぬけにそばを食べていたので、なんだかホッとしたというか、この家でいいな、たぶんいっしょにやっていけるなと急にギアが変わって、穏やかに前向きな気持ちとなった。ギアチェンジはまるでコントロール不能なところで起こる。
 その晩、段ボールに遮られなくなったテレビで何気なくマツコ・デラックスの『夜の巷を徘徊する』を見ていたら、マツコさんは「人から聞いたけど、結婚ってのは待ってちゃダメで、なんとしても結婚したいっていう意志がある人から結婚するんだって」と、まあわりとどこかで聞いた話ではあるんだけど、そういうことをおっしゃっていた。私も、これが「結婚」かどうかは微妙だけど、確かに強固な意志があったもんな、と思う。

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プロフィール

能町みね子

1979年北海道生まれ、茨城県育ち。漫画・コラム・エッセイの執筆を中心に、最近ではテレビ、ラジオへも活動の場を広げている。