説経節 伊藤比呂美 / 絵・字 一ノ関圭

第8回   小栗判官 その8 小栗、照手と再会し、常陸に戻り...。おめでとうございます

 さて、小栗どのは都につきまして、父兼家さまのお館を、遠くからでも見たいと思いまして、門の内に入って「斎料(ときりょう)」と乞いました。

 そのとき、左近の尉(じょう)が門番をつとめておりましたが、これを見て、

「おいおい、修行者よ。おまえさんのような修行者は、このご門の内へ入っちゃいけない。早く外に出ていきなさい。出ていかないと、この左近の尉が追い出さねばならなくなる」と手にした箒(ほうき)で、打って追い出したのでありました。

 小栗どのはこんな目にあいまして、

「ああ腹が立つ。左近のようなものに打たれた。しかし打つのも道理だ。おれのことを知らないのも道理だ」と思いまして、八町(はっちょう)の原をさして出て行ったのでありました。
 折しもお館では、東山の伯父上の御坊が、香華(こうげ)を散らしながら経文をとなえて歩く修行の最中でありました。今の修行者をごらんになって、兼家さまの奥方さまをそばに呼び、

「ほかでもないが、妹よ。わが一門だけが持っている、ふしぎなしるし。額には米(よね)という字が三行(みくだり)坐り、両眼に瞳が四体あるというそのしるしを、今の修行者も持っておったよ。今日は小栗の命日ではないか。あの修行者を呼び戻して斎料をやってくれないか、左近の尉や、いそいでたのむ」と言いました。

「合点承知でございます」と左近はちりちりと走り出て、

「おおい、待ってくれ、修行者よ。戻っておくれ。斎料をやるから」と言いました。

 小栗どのは、むかしの傲慢さがまだなくなっておりませんから、

「いやわたくしは、一度追い出された所へは二度と行かないことにしております」と言いました。

 左近はこれを聞きまして、

「そう言わずに、修行者よ。おまえさまがこうして諸国修行をしているのも、一つには人を助けたい、または自分も助かりたいと、思っておられるからだ。今おまえさまが戻ってくれないと、この左近のいのちはたちまち無くなる。戻っておくれでないか。そして斎料も受け取っておくれでないか。この左近のいのちを、どうか助けると思って、修行者よ」と言いました。

 小栗どのはこれを聞き、今は名乗ろうと思いまして、館に戻り、大広庭に行きまして、間仕切りの障子をさらりと明け、深々と頭を地につけて言いました。

「おなつかしゅうございます、母上さま。あの小栗でございます。三年の間の勘当をどうか許してくださりませ」

 奥方さまは、それはそれは喜んで、夫の兼家さまに、かくかくしかじかとお語りになりました。兼家さまはこれをお聞きになりまして、

「奥や、ばかなことを言うんじゃない。わが子の小栗は、何年も前に、相模の国、横山の館で、毒の酒に責め殺されたではないか。しかし修行者よ、わが子の小栗には、幼い頃から、わたしが手づから教えこんだわざがある。失礼だが、わたしの矢を受けてみてくださらぬか」と言いました。

 そして、五人がかりで張った強い弓に、十三束(そく)の長い矢をつがえ、やじりの先の二股を拳にあてて、間仕切りの障子の向こうから、ぐいと引いてひょうと放した、すると小栗どの、一の矢を右手で取り、二の矢を左手で取り、三の矢が間近くまで来たところを前歯でがっちり嚙みとめて、三筋の矢をおし握ったまま、間仕切りの障子をさっと明け、深々と頭を地につけて言いました。

「おなつかしゅうございます、父上さま。あの小栗でございます。三年の間の勘当をどうか許してくださりませ」

 兼家さまも、奥方さまも、死んだわが子に会えるとは、優曇華(うどんげ)の花や、たまさかや、どこにもためしのないことでありまして、喜びのわきたつ中、花の車を五輌仕立てて飾りたてまして、みかどの警護の番として、親子連れ立って御所に参ったのでありました。

 みかどはごらんになりまして、

「小栗ほどの大剛の者はほかにはおらぬ。それなら知行地を与えてやろう」と、五畿内(ごきない)五か国をくださるという永代の薄墨の御判をくだされたのでありました。

 小栗どのはいただきましたが、

「五畿内五か国は欲しくございません。美濃の国に替えてくださいますか」とみかどに申しあげました。

 みかどはお聞きになりまして、

「大国に小国を替えてという望み、何かわけのあることだろう、それなら美濃の一国を馬の飼料用に与えてやる」と、さらに御判をくだされたのでありました。

 小栗どのはいただきまして、あらあらありがたいことでございました。遠くの珍味に近くで穫れたての産物を山とつみあげて、祝ったのでありました。

 

「小栗である。奉公したい者があれば知行地を与える」と高札を書いて立てましたら、あの小栗どのなら奉公したい、判官どのの家来になりたいと、丸三日の間に三千余騎があつまってきたのでありました。

 新しいとのさまが三千余騎をひきつれて、美濃の国へお国入りということのお触れが出回りました。三日後の宿は、君の長どのということでありました。君の長はこれを見て、百人の流れの姫を一つ所にあつめて、

「さあさあ、流れの姫たち、いそがしくなりましたよ。都からおとのさまがお国入り、なんと、この家においでである。御前に出て、憂いをおなぐさめしてさしあげて、たくさんごほうびをいただいて、君の長夫婦のことも、よくやしなっておくれでないか」と言いました。

 姫たちは十二単で身を飾りたて、今か、今かと、待っておりました。

 三日後のその日になりまして、犬の鈴、鷹の鈴、轡(くつわ)の音がざざめいて、上も下も、花やかに、悠々とやって来まして、君の長どのの館に着いたのでありました。百人の流れの姫は、われ先に御前に出て、憂いをなぐさめようとしたのでありますが、小栗どのはちっとも楽しむことがないのであります。やがて君の長夫婦を御前に呼びまして、

「たのみがあるのだ、夫婦の者どもよ。おまえの家には、下働きの下女で、常陸小萩というものがいるだろうか。いれば、お酌に呼んでくれ」と言いました。

 君の長はこれを聞き、「合点承知でございます」と、常陸小萩のところに行きまして、

「たのみがあるのだ、常陸小萩よ。おまえのみめかたちが美しいということが、都からおいでになった国司さまに漏れ聞こえ、お酌にこいとおっしゃっておられる。お酌に行っておくれ」と言いました、

 照手姫さまはこれを聞きまして、

「長どのさま、おろかなことをおっしゃいますな。いまお酌にまいるくらいなら、そのむかし、流れの姫になれといわれたときにもなっておりましょう。お酌には行きません」と言いました。

 君の長はこれを聞き、

「なにをいうか、常陸小萩よ。まったくおまえは、うれしいことと悲しいことは、すぐ忘れると見えるね。そのむかし、餓鬼阿弥とかいう、あの車を引いたときを思い出さないか。おれが、暇なんかやるかと言ったとき、いつの日か、おれたち夫婦の身の上に大事があろうそのときには、自分が身替りになって立とうと、おれたち夫婦をまもろうと。その一言の言葉に動かされ、おれは慈悲に情けをあい添えて、五日の暇を取らせたのだ。いまおまえがお酌に行かなければ、おれたち夫婦のいのちはたちまち無くなる。なにがどうあっても、おまえはお酌に行かねばなるまいよ、常陸小萩」と言いました。

 照手姫さまはこれを聞き、ことばの道理に詰められて、何も言えなくなりまして、「ほんとうに、ほんとうに、そうだった。あのときに車を引いたのも、夫の小栗のためであった。また今お酌に行くのも、夫の小栗のためである。小栗どの、どうかお恨みくださいますな。変わる心があって、お酌に行くんじゃございません。あたくしに、変わる心はさらさらございませんから」と心の中で思いまして、

「長どのさま。それではお酌にまいります」と言いました。

 君の長はそれを聞き、

「よく決心してくれた。さあ、それなら十二単で身を飾っておいで」と言いました。

 照手姫さまはこれを聞きまして、

「長どのさま、おろかなことをおっしゃいますな。流れの姫として呼ばれたならば十二単も着ましょうが、わたくしは下働きの下女として呼ばれております。このままでまいります」

 たすきがけのそのままで、前かけもそのままで、銚子を持つて、お酌に立ったのでありました。

 小栗どのはこれを見て、

「常陸小萩とは、あなたのことか。常陸の国では、だれのお子でおられたか、お名のりください。小萩どの」と言いました。

 照手姫さまはこれを聞き、

「主人の命令でお酌にまいったのでございます。初めてお目にかかるおとのさまと懺悔話(ざんげばなし)をするために来たのではございません。お酌がおいやなら、ここでお待ちしております」と、銚子を捨てて、お酌の場から退がろうとしたのでありました。

 小栗どのはこれを見て、

「すまない、そのとおりだ、小萩どの。人の先祖を聞くときは、まず自分の先祖を語らなければな。わたしを何者とお思いになるだろう。わたしこそ、常陸の国の小栗という者だ。相模の国の、横山どのの一人姫、照手の姫に恋をして、押し入って婿入りした罰として、毒の酒にて責め殺されたが、十人の家来たちの情けによって黄泉(よみ)から帰ることができた。それから餓鬼阿弥と呼ばれ、東海道七か国を車に乗せられ、引かれていった、そのときに、『東海道七か国、車を引いた人は多くとも、その中で、美濃の国、青墓の宿、万屋の、君の長どのの下女、常陸小萩という姫が、青墓の宿から上り大津の関寺まで車を引きました。熊野の本宮の湯の峯にお入りになり、病が本復したならば、お帰りのさいかならず青墓の万屋にお寄りください。かえすがえすも、お名残りおしゅうございます』と書いてくれた人がある。これがその胸の木札」と照手姫さまに見せまして、

「恩返しのために、ここまでお礼にまいりました。常陸の国では、だれのお子でおられたか、お名のりください、小萩どの」と言いました。

 照手姫さまはこれを聞き、何も言えなくなりまして、ただ涙にむせんでおりました。

「いつまでも隠しとおせるものではありません。こう申しますあたくしも、常陸の者とは申しましたが、常陸の者ではございません。相模の国の、横山の一人姫、照手でございます。父横山が、人の子を殺してわが子を殺さねば都の聞こえも悪いと申しまして、鬼王、鬼次の兄弟に、照手を沈めよと言いつけたのですけれど、その兄弟の情けで助けられ、あちらこちらと売られたのでございます。あまりの悲しさに、静かに数えてみましたら、四十五回売られまして、とうとう、この青墓の、君の長どのに買い取られたのでございます。そして今、流れの姫にはならぬと言い張った罰として、十六人分の水回りの雑用やら下働きやらを、あたくし一人でやっております。あなたに会えて、うれしゅうございます」

 うれしいやらかなしいやら、これまでの思いが、どっとあふれて出てきまして、姫さまは、かき集めた藻塩草(もしおぐさ)のように、すすむも下がるもできなくなったのでありました。

 小栗どのはこれを聞き、君の長夫婦を前に呼び、

「はなしはきいた、夫婦の者どもよ。人の使い方にもほどがあろう。十六人分の下女仕事が一人の人間にできるものか。その方どものような邪慳な者は死刑である」と言いました。

 照手姫さまはこれを聞き、

「ああどうか、小栗どの。慈悲深い長どのには、どうぞごほうびを与えてくださいませ。理由はこうでございます。あなたが、むかし、餓鬼阿弥と呼ばれていた頃、あたくしが車をお引きしましたわね。そのときに三日の暇をおねがいしましたら、長どのは、慈悲に情けをあい添えて、五日の暇をくださいましたの。それほど慈悲深い長どのには、どうぞごほうびを与えてくださいませ、夫の小栗どの」と言いました。

 小栗どのはこれを聞き、

「それなら、妻の受けた恩にめんじて」と、美濃の国、十八郡(ごおり)をすべて自由にしてよろしいと、君の長に与えたのでありました。

 君の長はいただいて、あらあらありがたいことでございます。遠くの珍味に近くで穫れたての産物を山と積みあげて、祝ったのでありました。それから君の長は、百人の流れの姫の中から、三十二人をよりすぐり、玉の輿(こし)にとって乗せ、照手の姫の女房たちとして差し出しました。女人がよい家の生まれでなくともよい地位にのぼるということを、玉の輿に乗ると言いますのは、このことから言われるようになったのでございます。

 

 さて、次は常陸の国へお国入りをすることになりまして、七千余騎をひきつれて、横山攻めがあるとお触れが出ました。横山どのは心底から肝をつぶし、

「あの小栗が蘇ったと。横山攻めをするのだと。みなの者、城を守る用意はよいか」と空堀(からぼり)に水を入れ、棘(とげ)の柵を引き並べ、用心おこたりなく待ち構えておりました。

 照手姫さまはこれを聞き、小栗どののもとへ行きまして、

「おねがいがございます、小栗どの。昔からこう申します、父のご恩に背けば七逆罪、母のご恩に背けば五逆罪。十二逆罪を得るだけでもほんとにかなしいことですのに、今、あたくしがこうしてすくわれて、そのけっか、父に弓を引くなんて、かなしくてたまりませんの、小栗どの。明日の横山攻めはおよしになってくださいませ。もしおよしくださらないようでしたら、横山攻めにお出かけになる前に、まずあたくしを殺してくださいませ。それから横山攻めにお出かけくださいませ」と言いました。

 小栗どのはこれを聞き、

「それなら、妻の受けた恩にめんじて」と言いました。

 照手姫さまは喜びまして、でもやっぱり夫婦の仲のことであります、夫の怒りは晴らしたいと思いまして、これまでのことの次第を手紙にしたためて、父の横山どのに送りました。

 横山どのは受け取って、さっと広げて読みはじめたのでありました。そして「昔からよく言うことではあるけれども、七珍万宝(しっちんまんぽう)のかずかずの宝より、わが子にまさる宝はないと、今こそ思い知らされた。なんでもくれてやろう」と馬十頭分の黄金に、あの鬼鹿毛をあい添えて、照手と小栗に贈りました。そして、これも元はといえば、三男の三郎のたくらみから始まったということで、三郎に七筋の縄をつけ、小栗のもとに引いていきました。

 小栗どのはこれを見て、恩は恩で、仇は仇で、報いてやろう。馬十頭分の黄金は欲しくもないからと、その金で、黄金御堂(こがねみどう)と呼ぶ寺を建てました。それから、鬼鹿毛の姿を真の漆で固めて、馬頭観音としてまつりました。牛は大日如来の化身としてまつられているのであります。そして、これも元はといえば、三男の三郎のたくらみから始まったということで、三郎を荒簀(あらす)に巻いて、西の海に柴漬けの刑に処したのでありました。舌三寸のあやつりで五尺のいのちを失う、それを見通せなかった三郎のはかなさでありました。

 それから、ゆきとせが浦に行きまして、はじめに姫さまを売ったあの姥をひったてて、肩から下を土に埋め、道行く人々に、竹鋸(たけのこぎり)で首を引かせたのでありました。太夫殿には、知行地を与えたのでありました。

 

 そしてそれから、小栗どのは常陸の国へ戻りまして、棟に棟をつらね、門に門をつらねてお屋敷を建てまして、富貴万福、二代にわたる長者として栄えたのでありました。そしてその後、生者必滅(しょうじゃひつめつ)の習いでございます、八十三の年で大往生をとげました。そのとき神や仏が一か所にお集まりになりまして、ここまで真に大剛の武士はめったにおらぬ、これはぜひとも神としていつきまつり、末世の衆生に拝ませたい。それで小栗どのを、美濃の国、安八郡、墨俣、垂井にまします正八幡宮の荒ぶる神としておまつりになりました、同じく照手姫さまを、それより十八町下手の方に、契り結びの神としておまつりになりました。契り結びの神のご本地も、ここに語りおさめます。

 ところも繁盛いたしまして、おめでとうございます。

 御代もおさまりまして、おめでとうございます。

 国も豊かに、おめでとうございます。

(「小栗判官」終わり」)

伊藤比呂美プロフィール画像

伊藤比呂美

1955年東京都生まれ。詩人。
1978年現代詩手帖賞を受賞。99年『ラニーニャ』で野間文芸新人賞、2006年『河原荒草』で高見順賞、07年『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』で萩原朔太郎賞、08年紫式部賞を受賞。
エッセイ集に『良いおっぱい 悪いおっぱい(完全版)』『閉経記』、古典の現代語訳に『日本ノ霊異(フシギ)ナ話』『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』、対談集に石牟礼道子との『死を想う』などがある。著作の一方、自分の詩の朗読活動も行っている。

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