説経節 伊藤比呂美 / 絵・字 一ノ関圭

第9回   しんとく丸 その1 信吉長者が清水寺で子だねを授かる 

 今から語ります物語。国をいうなら河内の国、高安の郡に、信吉(のぶよし)長者とよばれるお金持ちがおりました。

 その豊かなさまといったら、四方に四万の蔵を建て、八方に八万の蔵を建てて、何につけても足りないということがありません。でもただ一つ、この長者には子という字が、男にしても女にしても、なかったものですから、明けても暮れても、これを思い悩んでおりました。

 ある日のことでありました。

 信吉長者は妻を近くに呼んで言いました。

「妻や、聞いておくれ。おまえとおれに子という字がないことが、おれは無念でならないのだ。どう思うか」

 妻はそれを聞いて言いました。

「夫よ、手だてはございます。あなたとわたくしの過去の因果でございましょう。昔から、子のない人は神仏にお詣りして申し子をすれば、子だねを授かるといいますよ。信吉どの、どんな神でも仏でも、お詣りして申し子なさいませ」

 長者も、もっともだと思いまして、どこへ祈るよりも、京の東山の清水寺。そのご本尊は三国一のご本尊という評判だ。そこに申し子いたそうということになりましたが、大ぜいで行けば、旅がめんどうだ。小ぜいで行けば、人に道を避けさせることができない。それで百人ばかりをお供につれまして、輿(こし)や轅(ながえ)をうち並べ、犬の鈴、鷹の鈴、轡(くつわ)の音がざざめく中を、清水詣でに出かけたのでありました。

 通っていったのは、どこどこでしょう。植付畷(うえつけなわて)をはや過ぎて、讃良郡(さららごおり)はここですか。洞が峠もはや過ぎて、八幡の山はここですか。淀の小橋をおそるおそるに踏み渡り、伏見の里はここですか。三十三間を伏し拝み、道をいそいで行きましたので、ほどもなく、東山清水寺に着きました。

 長者夫婦は、まず音羽の滝に下りていき、口をすすぎ、手を洗って身を清め、それからご本尊のおん前にお詣りし、鰐口(わにぐち)をちょうど打ち鳴らし、心をこめて祈りました。

「心から帰依いたします。大きな慈悲をお持ちの観世音菩薩さま。富がほしい金がほしいと願うのなら、憎まれてもよろしゅうございます。でも、わたしたちがお願いいたしますのは、子だねでございます。男でも女でも、どうか子だねを授けてくださいませ」と深く祈りあげて、本堂の左手の方にお籠りしたのでありました。

 夜半ばかりのことでした。畏(おそ)れ多くも、ご本尊が揺るぎ出でておいでになりまして、長者夫婦の枕上にお立ちになりました。

「長者夫婦の者たちよ。はるばるここまで参り、子だねを祈願すること、なによりもってごくろうなことであった。まろが出たついでに、おまえたち夫婦の前生の因果を語って聞かせてやろう。

 まず長者の前生は、丹波の国、のせの郡のきこりであった。

 春にもなれば、ぜんまいや蕨(わらび)を取るために、山に猛火を放したのだ。火は地の下三尺のうちに住む虫々を焼き殺した。鳥もさまざま焼き殺した。しかしその中でも、雉(きじ)の夫婦ほどあわれなものはない。

 春にもなれば、十二の卵を生みそろえ、父鳥と母鳥が見守っておったそのときに、火が近くまで燃えてきた。父鳥と母鳥は悲しんで、谷水を嘴(くちばし)に含み取り、卵の回りを湿してみたが、火は迫り、燃えさかった。母鳥が、十二の卵を両の翼に巻き込んで、父鳥と嘴を交わし合い、引いて逃げようともしたけれども、茨(いばら)や葎(むぐら)にさえぎられ、逃げることは能(かな)わなかった。そこで父鳥は考えて、向かいの岸辺に飛び移り、母鳥をこう呼んだ。

『来いや、来たれや、母さんや。命さえあればまた子を生める。子どもらを捨てて、こっちに来い』

 母鳥はこれを聞いたが、

『情けないことを言う、父さんや。十二の卵が一つ孵(かえ)らなくてもふびんでならないのに、子どもらをみんな捨てて、そっちには、とてもじゃないが行けません』

 そう言い捨てて、自ら猛火に焼け死んだ。父鳥は嘆き悲しみ、嘴をうち鳴らし、翼をたたいて呪ったのであった。

『今日この野辺に火をかけた者の、来世の生を変えてやる。石と生まれ変わるならば、鎌倉海道の石となれ。上り下りの駒に蹴られて苦しみ煩(わずら)え。過去の行いがよくて人間に生まれるならば、長者に生まれ変われ。貧に子あり、長者に子なしというからだ。長者に生まれて、子を持てず、明けても暮れても子が欲しい子が欲しいと悩み煩って死んでいけ』

 そして自らの翼の端を食い破って死んでしまった。その一念が胸の間に通じ、下りてくる子だねを取って食う。それで子だねがないのである。

 また妻の前世は、近江の国、瀬田の唐橋の下に住む大蛇であった。

 常磐の国から春に来て秋戻る、つばめという鳥夫婦がおったのだが、これがまたまたあわれであった。

 橋の行桁(ゆきげた)に、十二の卵を生んで、母鳥が卵を暖めれば、父鳥が餌を食(は)みに立つ。そのようにして力を合わせてそだてておった。しかしある日のことだ。父鳥と母鳥が連れだって餌を食みに立った隙に、大蛇が巣ごと取って食った。つばめ夫婦は立ち帰り、巣がないので大いに驚き、探し回ったが見あたらない。これはこの川の大蛇が食べたに相違ない。せめて一つでも残してくれれば、常磐の国に連れて帰れるのに、なんという無情さよ、常磐の国へはもう戻るまいと、夫婦で嘴を食いちがえて身を投げた。それを大蛇が、これも今日の餌食だと取って食った。この夫婦の一念妄念が胸の間に通じ、下りてくる子だねを取って食う。それで子だねがないのである。

 おれにはどうすることもできぬのだ。罪のないおれを恨むなよ。明日にはいそいで河内に帰れ」と夢の間のお告げがありまして、ご本尊さまはかき消すように見えなくなりました。

 長者夫婦は夢から覚めてかっぱと起きあがり、

「ああ、なんと無慈悲なご本尊さま。たとえわたくしども夫婦の過去の因果は悪くとも、そこをなんとか都合してくださりませ。子だねをお授けくださいませ、どうしてもお授けくださらぬのなら、おん前にはもう二度とお詣りいたしません。このままここで腹十文字にかき切って、臓腑をつかんでくり出して、ご神体めがけて投げつけましょうぞ。荒人神(あらひとがみ)と呼ばれて、詣る人々を取って食いましょうぞ。七日のうちには無理としても、三年経つうちには、すっかり荒れ果て、草も木も伸び放題に生え伸びて、鹿の寝床にでもなるほか、なくなりましょうぞ」とただ一筋に思いつめました。

 屋形に長く仕える翁(おきな)は言いました。

「いやいや、わが君よ。こんなにはやっておられる清水観音さまに、ごむりを申しあげてはいけませぬ。七日でご夢想が得られぬのなら、もう一度しっかり願(がん)をおこめになって、さらに七日の間、お籠りなさいませよ」

 長者はそのとおりだと思いまして、料紙(りょうし)と硯を取り寄せて、願い状を書きまして、さらに七日の間、ご本尊をお祀りしてある本堂にお籠りしたのでありました。長者の妻も同じように願い状を書きまして、さらに七日の間、ご本尊をお祀りしてある本堂にお籠りしたのでありました。

 畏れ多くもお寺の別当さまが高座にのぼり、数珠を音高く揉みながら、願い状を読み上げました。

「ありがたのご本尊さま、末世の衆生(しゅじょう)の恨みは、どうかおわすれくださいませ。長者夫婦の者どもに子だねをお授けくださいますものならば、きっと、お堂を建立いたします。天竺(インド)から紫檀や黒檀を取り寄せて、石口桁口(いしぐちけたぐち)を青銅で包みまして、龍と鶴の舞い降りるところをありありと彫りつけてさしあげます。

 それでも足りないとお思いでしたら、おん前の舞台が古びて見苦しくなっております。あれも取り替えて、欄干、擬宝珠(ぎぼし)にいたるまで、金銀で磨きたててさしあげます。

 それでも足りないとお思いでしたら、鰐口が古びて見苦しくなっております。あれを取り替えて、表は黄金、裏は白金(銀)、厚さ三寸、広さ三尺八寸に鋳(い)たてまして、吊り替えてさしあげます。

 それでも足りないとお思いでしたら、御前の斎垣(いがき)も古びて見苦しくなっております。白柄の長刀(なぎなた)三千振りを韓紅(からくれない)のひもで結わえてさしあげます。

 それでも足りないとお思いでしたら、金の砂三升三合、銀の砂三升三合、月に六升六合ずつ、清めの砂と撒き替えてさしあげます。

 それでも足りないとお思いでしたら、長者のそだてている明けて六歳の春生まれの駒に、金覆輪(きんぷくりん)の鞍を置かせ、白金の轡(くつわ)を噛ませ、おん前をなんども引きまわし、仏の眼(ねぶ)りを覚ましてさしあげます。

 男子でも女子でもよろしゅうございます。どうか一人、子だねをいただきたい」

 次に、妻の願い状も読み上げたのでありました。

「子だねをお授けくださるなら、唐わたりの鏡を七面、明るく澄んだ鏡を七面、白鑞(しろみ)づくりの鏡を七面、合計二十一面に、八尺のかけ帯、五尺の添え髪、十二種の身のまわり品を、代々伝わる宝物として奉納いたしましょう。

 それでも足りないとお思いでしたら、香炉、独鈷(とっこ)、鈴、錫杖(しゃくじょう)、金銀製のを百八、千の花皿にいたるまで、磨きたててさしあげましょう。

 それでも足りないとお思いでしたら、おん前の帷(かたびら)が古びて見苦しくなっております。あれを取替え、綾の帷を七流れ、錦の帷を七流れ、金襴の帷を七流れ、あわせて二十一流れ、その表の模様には、天人と二十五体の菩薩さまがたとが天から降りてこられ、末世の衆生を救い上げてくださるところを、名うての職人に織りつけさせてさしあげましょう。日光、月光、星光と三光を織りこんで、仏の眼りを覚ましてさしあげます。

 男子でも女子でもよろしゅうございます、どうか一人、子だねをいただきたい」

 こう読み上げたのでありました。

 畏れ多くもご本尊さまは、内陣から揺るぎ出ておいでになり、長者夫婦の夢の間にお立ちになりまして、

「夫婦の者どもに授ける子だねはないのだが、あまりに大願をこめておるから、子だねを一つさがしてきた。この子が七歳になるときに、父にか、母にか、命にかかわる恐れがある。それでも欲しいか、さあ遠慮なく申してみよ」と夢の間のお告げがありました。

 長者夫婦は夢から覚めてかっぱと起きあがり、

「子を、宵にもうけて明くる日に死んでもようございます。子だねを授けてくださいませ」

「それなら子だねを授けてやる。男の子だねだ。さあ帰れ」とまたもや夢の間のお告げがありまして、ご本尊さまはかき消すように見えなくなりました。

 長者夫婦は夢から覚めてかっぱと起きあがり、あらあら、ありがたいご夢想でございました。そこでおん前からまかり出で、お供を引き連れ、清水寺を立ち出でて、道をいそいで行きましたので、ほどもなく、河内高安の庄に帰りつきました。長者夫婦の喜びはかぎりがありませんでした。

(続く。絵は、乙姫が羽箒で撫でてもとのからだに戻ったしんとく丸)


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伊藤比呂美プロフィール画像

伊藤比呂美

1955年東京都生まれ。詩人。
1978年現代詩手帖賞を受賞。99年『ラニーニャ』で野間文芸新人賞、2006年『河原荒草』で高見順賞、07年『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』で萩原朔太郎賞、08年紫式部賞を受賞。
エッセイ集に『良いおっぱい 悪いおっぱい(完全版)』『閉経記』、古典の現代語訳に『日本ノ霊異(フシギ)ナ話』『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』、対談集に石牟礼道子との『死を想う』などがある。著作の一方、自分の詩の朗読活動も行っている。

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