説経節 伊藤比呂美 / 絵・字 一ノ関圭

第11回   しんとく丸 その3 乙姫との恋と母の突然の死

  (ああ、いたわしい!)乙姫は、七重や八重や九重に幕を張りめぐらせたその中で育てられたお姫さまでありました。そよ吹く風まで、人かしらと感じるような世間知らずの方でしたが、神仏が揺るぎ出ておいでになったような風情で、すっとそこに立ちまして、女房たちに声をかけました。

「ねえどうしたの、何を笑っているの、女房たち。珍しいことがあるなら、あたくしにも話してちょうだいよ、あたくしの心の内も慰めてちょうだいよ」

 女房たちはこれを聞いて、言いました。

「いえ、なんでもございませんわ、姫さま。ここにいる商人が拾った手紙をくれたんですけど、何とも読めない、へんてこな手紙なんでございますよ。これを笑っていたんでございますの」

 そして、手紙をもとのように整えて、乙姫に差し出しました。乙姫は手紙を受け取り、さっと広げて読みはじめました。

「なんてすてきな筆づかいかしら。なんてすてきな墨のつけ方で、字のかたちかしら。だれが書いたのかは知らないけど、手紙で人を死なすというのは、きっとこういう手紙のことを言うのね。あなたたち、いろんなことは知ってても、一つのことを知らなかったらだめなのよ。ねえ、女房たち。これにはちゃんとした読み方があるの。あたくしが読み解いてあげるわね。大和言葉で読んだほうがいいかしら。それとも意味がわかるように読んだほうがいいかしら。

 まず書き出しに『富士の高嶺』と書いてあるのは、恋する心で上の空になって月を眺めておりますっていう意味よ。

『三(み)つの御山のように』というのは、願ったらそれがかないますようにっていう意味よ。

『峯に立つ鹿のように』というのは、秋の鹿ではないのに、妻が恋しくてたまらないという意味よ。

『薄紅葉(うすもみじ)』というのは、顔に出したらだめという意味よ。

『野中(のなか)の清水のように』というのは、このことを人に他言しちゃだめ、心のなかで一人で受け取ってくださいという意味なのよ。

『沖漕ぐ舟のように』というのは、こんなに恋して浮かれ漂っている身よ、早く岸に着いて落ちつけという意味よ。

『伊勢の浜荻(はまおぎ)、塩屋のように』というのは、からっ風が吹いたら一夜なびけという意味よ。

『池の真菰(まこも)のように』というのは、引いたらなびけという意味よ。

『根笹(ねざさ)の霰(あられ)のように』というのは、さわれば落ちろという意味よ。

『軒(のき)の忍(しのぶ)のように』というのは、忍から滴(したた)る露のように待ち遠しくてたまらないっていう意味よ。

『尺ない帯のように』というのは、いつかこの恋成就して、めぐり会いたいっていう意味よ。

『羽抜けの鳥に、弦ないうつ弓のように』というのは、立つも立たれず、燃えたつばかりという意味よ。

 あら、奥に一首の歌が書いてある。『恋する人は河内高安、信吉長者のひとり子しんとく丸、恋される者は乙姫』ですって。まあ、どうしましょう、よその人のことだと思って読んでたのよ。なんてことかしら。恥ずかしいわ。お兄さまやお父さまのお耳に入ったら、どうなるの」と手紙を二つ三つに引き破り、縁側からふわりと捨てて、スダレの中深くに隠れ入ってしまったのでありました。

 女房たちはこれを見て、口々に「まあ、いつもの商人かと思ったら、人さらいだったのね。だれか来て、この男をつまみ出しておくれ」と言いました。

 仲光はこれを見て、大切なご主人様に頼まれてやったことが、かえってとんでもないことになってしまったと思いましたが、なんでもことわざに、「男の心と大仏の柱は大きくて太くあれ」と言うし、「女人は胸に知恵あり心に知恵ない」とも言うから、ここは一つ、おどかしてみようと思いまして、「ちょっとお待ちなさい、女房さんがた。あんたがたのお姫さまが手紙を破いてくだすった。元通りにして返していただきたい」と言いますと、女房たちも負けていませんで、「何言ってるの、返すも返さないもありませんよ」と言い合っておりましたら、それを蔭山長者が聞きつけまして、「なんだって、河内の高安の信吉長者のひとり子、しんとく丸から乙姫へ、手紙をいただいたとな。姫や、いそいで返事さしあげなさい」と言いましたので、乙姫は硯と料紙を取り寄せて、心のなかのことをこまごまと書きとどめ、山形のかたちにおし畳み、松がわ結びに結びまして、女房たちに差し出しました。女房たちは受け取って、商人仲光に手渡したのでありました。

 仲光は手紙を受け取り、つづらの懸子にどうど入れまして、また連尺をととのえて肩に掛け、平地(へいじ)門をつっと出て、ほっと吐息を吐きました。虎の尾を踏み、毒蛇の口から逃れてきたような心持ちで、道を急ぎましたので程もなく、河内の孝安に着きました。そしてしんとく丸の部屋に行って、お手紙のお返事と差し出しますと、待ちわびていたしんとく丸は、さっと広げて読み始めました。かぎりない喜びが充ち満ちました。

 仲光が信吉夫婦にこの一件を報告しましたら、信吉の妻はそれを聞いて、一族の人々に言いました。

「あのしんとく丸を、清水(きよみず)のご本尊さまにお願いしたその時に、あの子が三歳になったら、父か母に命の恐れがあるとご本尊さまがおっしゃいましたけど、あの子が三歳になって、五歳になって、こうして十三歳になった今でも、父にも母にも、何の災難もないじゃありませんか。あんなに信心されてるご本尊さまだって、うそをおつきになるんですもの。今を生きる人間たちだって、うそをついてこの世を渡っていっていいんですよ」

 上のまねをする下でありました。そこにいた人々は一度にどっと笑いました。

 河内の高安から都の清水は遠い道のりではありますが、仏には仏の手だてがございます。それで、これをお聞きになりまして、

「信吉の妻は何をのんきなことを言っておるのだ。おれは、氏子を気にかけているからこそ、長者の家の棟に立って、よいことは祝い入れ、悪いことは千里の外へ払い退け、守ってやっておる。そのおれを偽り仏と呼ぶのか。あんな暴言を放っておいたら、神を神、仏を仏と信じる者がなくなるではないか。あの女の命は、夜までに取ってやろう」とお思いになりまして、ミサキという使い走りのものどもの綱を切り放ち、お言いつけになりました。

「さあミサキども、河内の高安、信吉長者の身内に人はたくさんいるだろうが、よいか、間違えないように、その妻の命を夜までに取ってくるのだぞ」

 ミサキどもは走り出していきました。その行く先々につむじ風が巻き起こり、それは長者の屋形に入り込み、人はたくさんおりましたが、間違いなく、妻の五体に取りつきまして、命よ、離れて退けと責めたてました。座敷のまん中で起きたことでした。妻は一族の人々に別れのことばを言い置いて、体をひきずるようにして部屋に入り、籐の枕をひきよせて、力なく横たわりました。すでに死の床でありました。そして信吉どのとしんとく丸を、左手と右手の脇に呼びまして、こう言いました。

「こんなことってあるかしら、信吉どの。いつもは吹く風が身に沁みることなんてありませんの。それなのに、今吹く風はこんなに沁みますの。あちこちのつがいつがいに離れていけと沁みるんですの。あたくしはもう、今日じゅうに死ぬような気がいたします。あたくしが死んだその後は、たった一人のしんとくを、よろしくお願いいたしますわね。

 そしてしんとく丸や、あたくしが死んでしまったら、若い盛りの信吉どのには妻が必要なんですよ。後から来るかたを母と思って、仲よくしてちょうだいね。草葉のかげで、母はそれを願っていますよ。それができないようだったら、母のために千部万部お経を読んでくれたって聞きませんよ。しんとく丸や、いいですね。

 そして仲光や、あたくしが死んだその後は、しんとく丸に、くれぐれもよく仕えてくださいね。あなたを頼りにしていますよ、仲光や。

 お名残り惜しゅうございます、一族のみなみなさま。お名残り惜しゅうございます、信吉どの。でもそれよりも、名残り惜しくてたまらないのは、しんとく丸。たった一人のこの子をこうして生んだばかりに、先立つ母の悲しみをあじわうことになってしまったのね」

 これが最期のことばになりました。土(ど)おんぞうといいまして土の色になりました。草(そう)おんぞうといいまして草の色になりました。無人声(むにんじょう)といいまして音もなくなりました。そして、朝の露のように、命が消えてしまったのでありました。

 信吉どのはこれを見て、妻の死骸を抱きかかえて嘆きました。

「これは夢か現(うつつ)か。現で、こうして別れるのか。今いちど、この世に戻ってきておくれ」

 しんとく丸も母の死骸に抱きついて泣き叫びました。

「これは夢か現か。現実の今、起きたことなのか。わたくしはまだ幼いのに、このわたくしをだれに託して母は死んでしまうのか。母上、行かなければならない道ならば、このしんとくも連れていってください」と動かぬ体を揺さぶり、動かぬ顔に顔をすりよせて、ぼろぼろと涙をながして泣き焦がれたのでありました。

 やがて時刻になりました。今は嘆いてもしかたがないと、人々は骸(むくろ)を六方龕(ろっぽうがん)にうち乗せて、大ぜいの僧たちが読経しながら、野辺の送りになりました。(ああ、いたわしい!)しんとく丸も、野辺の送りにつき従っていきましたが、道すがら「この年で母に死に別れて、いったいどうなるのだろう」と一人嘆くようすがあわれでなりませんでした。

 泣く泣く野辺に送りまして、栴檀(せんだん)の薪(たきぎ)を積みくべて、諸行無常でございます、三つの炎に焼き上げまして、煙も薄くなった頃、その死骨(しこつ)を拾い取り、灰をかき寄せて墓を築き、塚のしるしに卒塔婆を書いて立てたのでありました。

 そしてみな、それぞれに屋形に戻りましたが、(ああ、いたわしい!)しんとく丸は、持仏堂にこもったまま、お経を読みつづけておりました。しんとく丸の心の内をあわれというのはたやすいことですが、何かにたとえることなど到底できることではありませんでした。

 それはそれ。こちらは信吉どのの一族でございます。

 ひとつ所に集まりまして、若い盛りの信吉どの、妻がなくてはかなうまいといろいろ相談いたしました。ここに都の三十六人の公家たちの中に、六条殿の乙の姫、生年十八になる姫がおりました。このかたを信吉どのに迎えようということに決まりまして、吉日を選んで、妻迎えと相成りました。信吉どのは、ためらうことなく迎え取り、夫婦は対面いたしまして、歌えや舞えやと、かぎりない喜びが充ち満ちました。

 それはそれ。こちらは持仏堂のしんとく丸でございます。

 父の妻迎えを聞きまして、「ああ、なんて情のない父上だ。亡き母上の百か日が経つか経たぬかというのに、妻とは何だ。ああ、情のない父上だ。おれはいまだに草葉の陰にいる母上が恋しくてたまらない」と泣くばかりでした。しんとく丸はたくさんのお経を読みました。でも女人をほめたお経は一つもありません。それで、七日の間、持仏堂に女人結界の高札を立てまして、亡き母のためにお経を読んでおりました。しんとく丸の心の内をあわれというのはたやすいことですが、何かにたとえることなど到底できることではありませんでした。

(続く)

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伊藤比呂美

1955年東京都生まれ。詩人。
1978年現代詩手帖賞を受賞。99年『ラニーニャ』で野間文芸新人賞、2006年『河原荒草』で高見順賞、07年『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』で萩原朔太郎賞、08年紫式部賞を受賞。
エッセイ集に『良いおっぱい 悪いおっぱい(完全版)』『閉経記』、古典の現代語訳に『日本ノ霊異(フシギ)ナ話』『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』、対談集に石牟礼道子との『死を想う』などがある。著作の一方、自分の詩の朗読活動も行っている。

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