説経節 伊藤比呂美 / 絵・字 一ノ関圭

第13回   しんとく丸 その5 物乞いとなったしんとく丸を乙姫が追う

  あらあら、いたわしゅうございます。

 しんとく丸は目をさまして「来ておくれ、仲光よ、夜が明けたみたいだ、群烏(むらがらす)が告げ渡る。手水(ちょうず)を持ってきておくれ、仲光」と呼びましたけれども、宵に捨てた仲光でありました。戸を開けて来るものはいないのでありました。

(ああ、いたわしい!)しんとく丸は不思議に思って、あたりを探ってみました。そして探りあてたのでありました。金の桶、小さいお椀、細い杖、円座、蓑と笠がそこにありました。

「おれはだまされて連れ出され、捨てられたのだ。捨てるなら捨てるで、ほかに捨てるところもあるだろうに、天王寺に捨てられたのだ。なんとむごい。蓑と笠は、雨露(あめつゆ)をしのげという、父の情けか。杖を道のしるべに使えというのだな。円座は、人前に出て施しを乞えという、仲光の教えか。この椀は、天王寺の七村を物乞いして歩けという、継母の教えか。飢え死にしたってかまわない、おれは物乞いなんかしない」

 そしてそのまま世間とのかかわりを断つつもりでおりました。

 清水(きよみず)のご本尊さまは氏子をたいそうふびんにお思いになりまして、しんとく丸の枕上にお立ちになり、

「ふびんだな、しんとく丸よ、おまえの病はしんから起こった病ではない。人の呪いのせいだから、町の家々を物乞いして命をつなげ」とお告げがありまして、ご本尊さまはかき消すように見えなくなりました。

 しんとく丸は夢から覚めました。

「ありがたいご夢想をいただいた。病にもならず、わがままの果てに勘当されて物乞いをするなら、わが身の恥だが、病になったおれを、親の身として養いかねて、父上は捨てたのだ。物乞いしたって、父上の面目がたたないだけだ。おれはご本尊さまの教えのとおり、物乞いして生きのびよう」

 そして、蓑と笠を肩に掛け、天王寺の七村を物乞いして歩いたのでありました。町の人々はこれを見て、

「この乞食、ろくに食べてないんだね、よろよろ歩くじゃないか」と言いはやし、弱法師(よろぼうし)と呼んで、一日二日は食べ物をくれましたが、やがてそれもなくなりました。するとまた、清水のご本尊さまが、虚空からお告げになりました。

「きけよ、しんとく丸、おまえのような病者は熊野の湯に入るとよい。病が治るぞ。いっこくも早く入れ」とお告げして、かき消すように見えなくなったのでありました。

 しんとく丸はこれを聞いて、

「今の声はおれの氏神、清水のご本尊、観世音菩薩さまだ」と、虚空を三度伏し拝み、教えのとおりに湯に入ろうと思いまして、天王寺を立ち出でて、熊野をさして歩いていったのでありました。

 通り過ぎたのはどこですか。

 阿倍野五十町は、はやばやと通り過ぎました。

 どこへいくのと聞きますか。住吉四社明神(ししゃみょうじん)を伏し拝みました。

 どこへいくのと聞きますか。堺の浜はここですか。

 石津畷(いしづなわて)を通るとき、西の方、はるか遠くに、大網をおろす音が聞こえました。大網の網の目のように、なにを見ても、しずむ思いのわたしであります。大鳥信太(しのだ)は、はやばやと通り過ぎました。井の口(いのくち)千軒はここですか。

 近木(ぎ)の庄で名の高い地蔵堂で休んでいましたら、観世音菩薩さまが旅の巡礼に身を変えて、しんとく丸に近づいて言いました、

「そこの病者さん、このあたりの金持ちがあんたのような乞食に施行(せぎょう)をしているそうだよ。行って施しを受けなさい、命をつなぎなさいよ」

 そう言って、旅の巡礼は通り過ぎていきました。

 しんとく丸はこれを聞き、それなら施しを受けようと、いそいでそこに行きました。そこがその昔、文(ふみ)のやりとりをして約束を交わしたあの乙姫の屋形とは、夢にも知らずに行きました。堀の船橋をうち渡り、大広庭につっと立ちまして、

「熊野へ参ります病者でございます、おめぐみください」と乞うたのでありました。

 ところがそこに昔を知る人がおりました。

「あれあれ、みなさん、あれはしんとく丸、以前、ここの乙姫さまへ、文をよこした河内の国の高安長者の息子のしんとく丸。いったいどんな因果で、あんな病者になってしまったものか」と口々にささやいた。目は見えなくとも耳は早うございます。しんとく丸はすっかり恥じ入り、うつむいて、門の外をさして出て行ったのでありました。つぶやいたことばがまた、あわれでなりませんでした。

「病もいろいろあるけれど、目の見えないほど悲しいことはない。目が見えないから、恥もかく。熊野の湯に入って病が癒(い)えたとしても、今かいたこの恥は、どこの浦ですすげばいいのか。おれは天王寺へ戻ろう、戻ったら、人が食べ物をめぐんでくれても、はったと絶って、飢えて死のう」

 しんとく丸は、近木の庄から戻りまして、天王寺の引声堂(いんせいどう)の縁の下へもぐりこみ、そこで死ぬつもりでおりました。その心の内をあわれと言うのはたやすいのですが、何かにたとえようといったって、それはとうてい無理な話でございました。

 それから三日が経ちまして、女房たちが乙姫に言いました。

「前に手紙のやりとりをなさった、あの河内の国高安の信吉長者のしんとく丸が、人のいやがる病者になり果てて、こちらへ施行を受けにいらっしゃいましたよ」とありのままを話しますと、乙姫は聞きまして、

「それはほんとなの、女房たち。しんとく丸が、乳房のお母上が亡くなって、継母の呪いで人のいやがる病人者になって、天王寺へ捨てられただなんて。それなら、ここにいらしたのも、わたしを尋ねてに違いない。わたしも女房たちと一緒になって笑ったと恨んでいらっしゃるはず。悲しいわ」と言いまして、

「わたしはそんなこと夢にも知らなかったんですもの」と泣き出しました。

 それから父母のところに行きまして、涙ながらに言いました。

「おねがいがございます、お父さま。なんでもしんとく殿は、人のいやがる病者におなりになって、諸国行脚(あんぎゃ)をしていらっしゃるそうですけれど。どうかわたしを行かせてください。夫ですもの。その行方を探しに行きたいのです。お父さま、お母さま、どうか許して」

 蔭山はこれを聞きまして、

「なにを言うか、乙姫や。文ひとつ交わしたくらいで、探しに出るなぞもってのほか。ただ一時(いっとき)も許せません」

 乙姫これを聞きまして、

「いいえ、それは違います、お父さま。人の夫婦というものは、八十や九十、百までもつれ添って、死に別れるのも悲しくてたまらないと聞いています。しんとく丸とわたしは、花のうてなの露ほどもなじんではおりませんけれど、いいときばかり一緒になりましょう、わるくなったら別れましょうという約束はしてません。わるいときにつれ添ってこそ夫婦でしょう。どうか行かせてください、お父さま、お母さま」と泣いて頼んだのでありました。

 母はこれを聞いて言いました。

「そこまで思っているのなら、人をやって探させましょう」

 乙姫はこれを聞いて言いました。

「いいえ、それは違います、お母さま。自分の身にかかわりのないことには、だれも親身になってくれません。わたしが自分で行かねばならないのです」

 夫が恋しい、その行方を探したいと乙姫は思いつめ、思いつめるあまりにとうとう寝ついてしまいました。兄の太郎はこれを見て、父母のもとに行って言いました。

「おねがいでございます、父上。このままでは乙姫が、夫のために死んでしまいます。生きて別れた相手にはまた会うこともあるが、死んで別れた相手には二度と会わないと申します。父上、母上、どうか行かせてやってくださいませ」

 母はこれを聞いて言いました。

「そこまで思っているのなら、夫に会えても会えなくても、こちらへ便りを寄こすんですよ」

 そして、選びぬいたよい黄金(こがね)を取り出して、乙姫に与えたのでありました。乙姫はそれを受け取って、肌身離さず持っていようと首に掛け、出かけようとしたそのときに、

「待て、はやるな、わたしの心。わたしは器量がよいと言われる。それなら姿を変えて身を守ろう」と、後ろに笈摺(おいずる)、前に札(ふだ)、まったくの巡礼に姿を変えて、近木の庄を立ち出でました。

(続く)

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伊藤比呂美

1955年東京都生まれ。詩人。
1978年現代詩手帖賞を受賞。99年『ラニーニャ』で野間文芸新人賞、2006年『河原荒草』で高見順賞、07年『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』で萩原朔太郎賞、08年紫式部賞を受賞。
エッセイ集に『良いおっぱい 悪いおっぱい(完全版)』『閉経記』、古典の現代語訳に『日本ノ霊異(フシギ)ナ話』『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』、対談集に石牟礼道子との『死を想う』などがある。著作の一方、自分の詩の朗読活動も行っている。

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