説経節 伊藤比呂美 / 絵・字 一ノ関圭

第19回   山椒太夫 その5 厨子王丸は国分寺のお聖に助けられる

 姉が息絶えたのを見るや、太夫は言いました。

「おどしでやっただけなのに、命のもろい女だ。そこに捨てておけ。幼い者のことだから、遠くへは逃げておらぬだろう。追っ手をかけろ」

 命令どおりに八十五人の手下が四つに分かれ、追いかけていったのでありました。厨子王どのの方角へは、太夫と息子たちが追いかけていきました。

 いたわしいことでございます。厨子王どのは、姉さまは今ごろどうしてるだろう、太夫が姉さまを打つだろうか、叩くだろうか、苛(さいな)むだろうか、いっそ戻ったほうがいいだろうかと思いあぐねて、ありく峠に腰を掛け、来た道の方を見たところ、先頭に立って追いかけてくるのは太夫でありました。後につづくは五人の息子でありました。

 諏訪よ、八幡よ、どうかお姿をお示しあれ。今はとうてい逃れられないと思いまして、守り刀のひもを解き、太夫の胸元に突き立ててやる、明日は浮き世の塵(ちり)となるならなれと思い切ったのでありますが、ちょっと待て、落ち着け、自分よ、厨子王よ、姉さまがあんなに言っておられたじゃないか、短気はいけないと。それならば、叶わぬまでも逃げてやろうと思い直し、ちりりちりりと逃げていきますと、ばったりと土地の者に出会いました。

「この先に里はないですか」と尋ねましたら、「あるとも、渡し場の近くに里がある」と答えました。

「お寺はないですか」と尋ねましたら、「あるとも、国分寺がある」と答えました。

「本尊は何ですか」と尋ねましたら、「毘沙門(びしゃもん)」と答えました。

「なんとありがたい。おれが肌身離さず持っているのも地蔵菩薩さまだが、ご神体は毘沙門だ。きっと助けてくださる」と、ちりりちりりと逃げていきまして、その国分寺へ、たどり着きました。

 そこではお聖(ひじり)が昼のお勤めをしておられたのでありますが、厨子王どのはそれを見て言いました。

「お聖さま。追われております。逃げられません。姿を隠してくださいませ」

 お聖はこれを聞きまして、「おまえのように幼い者が、何をしくじってそんな目に遭っておる。話してごらん、助けてやろう」と言いますと、厨子王どのは言いました。「命があってのお話です。まずは姿を隠してくださいませ」

 お聖は「なるほど、おまえはもっともなことを言うなあ」と言いながら、納戸(なんど)から古い皮籠(かわご)を取ってきて、その中に厨子王どのを入れ、縦縄も横縄もしっかり掛けて、棟(むね)の垂木(たるき)につり下げました。そして、そ知らぬ体(てい)で、昼のお勤めにもどって、それをつづけておられました。

 正月十六日のことでありました。追っ手は雪道の足跡をたどってとうとう国分寺の寺へやって来ました。太夫は表の楼門(ろうもん)に残ってあたりを見張り、五人の息子たちはお聖のところへやってきて、言いました。

「聞くが、お聖。たった今、ここにわっぱが一人入って来たろう。お出しあれ」

 お聖はこれを聞き、耳が遠いふりをして言いました。

「はて今何と? 春の夜が退屈で、この坊主におふるまいくださるとおっしゃったかな」

 三郎はこれを聞いて怒り出しました。

「このお聖は、川流れの土左衛門が杭にひっかかったように食い意地の張ったお聖だ。おふるまいじゃない、追っ手であるぞ。まずわっぱをお出しあれ」

 お聖は「おお、今、やっと聞こえた。なに、この法師に、子どもを出せとな。それがしは、百日間の特別修行を夢中でやっておったのだ。わっぱかすっぱか知らないが、番はしておらぬよ」と言いました。

 三郎が「お聖が憎たらしいことを言うものだ。それなら寺中を探すが、いいか」と言いますと、お聖は「ご随意に」と。そこで、身の軽い三郎が、探したのはどことどこか。内陣、長押(なげし)、庫裏(くり)、納戸、仏壇、縁の下、築地(ついじ)の下、天井の裏板をはずして探したけれど、わっぱの姿はありません。

「おかしいじゃないか。裏口にも正門にも出た足跡がないのに、わっぱはいない。絶対におかしい。お聖が隠しているのは間違いない。おい、お聖、わっぱを出せ。わっぱを出さぬのなら、誓文(せいもん)を立てろ。おれがかなわないようなすごいやつだ。そしたら、だまって由良の港へ戻ってやろう」

 お聖は言いました。

「わっぱのことは知らないが、誓文を立てろというなら、よし、立ててさし上げよう。そもそもこの法師めはこの国の者ではないのだ。国をいうなら大和の国、宇陀(うだ)の郡(こおり)の生まれだが、七歳で播磨の書写山(しょしゃざん)へのぼり、十歳で髪を剃り、二十歳で高座へあがって説教をし始めた。幼いときから習ってきたお経にかけて、ただ今、ここに誓文を立て申す。

 そもそもお経の数々、華厳(けごん)に阿含(あごん)、方等(ほうどう)、般若(はんにゃ)、法華(ほっけ)に涅槃(ねはん)、ならびに五部の大蔵経(だいぞうきょう)、薬師経(やくしきょう)、観音経(かんのんきょう)、地蔵お経、阿弥陀お経に、小さい文(ふみ)に小さいお経は、数え尽くしてみれば、七千巻余り。よろずの罪の滅するお経が、血盆経(けつぼんきょう)、浄土の三部経、倶舎(ぐしゃ)の経が三十巻、天台が六十巻、大般若が六百巻、そして法華経が一部八巻二十八品(ほん)、文字が流れ流れて、六万九千三百八十四箇の文字として記されてある。誓文を破ったら、それがし、これだけの神罰を、厚く深く蒙(こうむ)ることになる。わっぱのことは何も知らぬ」

 太夫はこれを聞きまして、

「おいおい、お聖よ。誓文などというものは、日本におられる高い大神(だいじん)、低い小神(しょうじん)のおん眠りを覚ましたてまつり、この場においでいただいて、そのおん前で誓うからこそ誓文だ。今のは、なんてことはない、お聖が子どものときから習ってきた檀家だましの経尽くし。ちゃんとした誓文を立ててもらいたい」と責めました。

 いたわしいことでございます。お聖さまは考えました。

「今立てた誓文だって、出家の身としては、どんなにつらいか。それをまた立てろとは情けない。今はあの子を差し出してしまうか。それとも誓文を立てるべきか。今わっぱを出せば、殺生戒(せっしょうかい)を破るのだ。わっぱを出さずに誓いを立てれば、妄語戒(もうごかい)を破るのだ。破るなら破ってやろう、妄語戒。殺生戒だけは破るまい」

 そして言いました。

「わかり申した、太夫どの、三郎どの。さらに誓文を立ててもらいたいということならば、立ててさし上げる。ご安心めされよ、太夫どの」

 お聖はうがいで身を清め、湯垢離(ゆごり)を七回、水垢離を七回、潮(しお)垢離を七回と、二十一回の垢離をとり、護摩(ごま)を焚(た)く壇を飾りました。そして矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制吒迦(せいたか)童子を脇に侍(はべ)らす倶利迦羅(くりから)不動明王の、剣を呑んだ姿絵を真っ逆様に掛けました。納戸から紙を一帖取り出しまして、十二本の御幣(ごへい)を切って護摩の壇に立てたのは、誓文のためというより、太夫を調伏(ちょうぶく)するためでありました。

「敬って申し上げます」

 お聖は、独鈷(とっこ)を握って鈴(れい)を振り、苛高(いらたか)の大きな数珠をさらりさらりと押し揉んで、

「謹(つつし)んでたてまつります。お供えをたてまつります。再再拝みたてまつります。

 上には、梵天(ぼんてん)、帝釈天(たいしゃくてん)。下には、四大天王、閻魔法王(えんまほうおう)、五道(ごどう)の冥官(みょうかん)。大神に、泰山府君(たいさんぼく)。下界の地には、伊勢は神明天照大神(しんめいてんしょうだいじん)。外宮(げくう)が四十末社、内宮(ないくう)が八十末社、両宮合わせて百二十末社のおん神々。ただ今、ここにおいでを願いたく、こうして祈りあげたてまつります。

 熊野には新宮(しんぐう)、本宮(ほんぐう)。那智には飛滝権現(ひろうごんげん)。神の倉には十蔵(じゅうぞう)権現。滝本に千手(せんじゅ)観音。長谷(はせ)は十一面観音。吉野に蔵王(ざおう)権現。子守、勝手の大明神。大和に鏡作(かがみづくり)、笛吹の大明神。奈良は七堂大伽藍。春日は四社の大明神。転害牛頭天王(てんがいごずてんのう)。若宮八幡大菩薩。下津鴨(しもつかも)、上津鴨(かみつかも)。たちうち、べつつい、石清水。八幡(やわた)は正八幡(しょうはちまん)。西の岡に向日(むこう)の明神。山崎に宝寺(たからでら)。宇治に神明(しんめい)。伏見に御香(ごこう)の宮。藤の森の大明神。稲荷は五社のおん神。祇園に八大天王。吉田は四社の大明神。御霊(ごりょう)八社。今宮三社のおん神。北野どのは南無天満天神。梅の宮、松の尾七社の大明神。高き御山(おやま)に地蔵権現。麓(ふもと)に三国一の釈迦如来。鞍馬の毘沙門。貴船の明神。賀茂の明神。比叡の山に伝教大師(でんぎょうだいし)。麓に山王二十一社。打下(うちおろし)に白髭(しらひげ)の大明神。海の上に竹生島(ちくぶじま)の弁才天(べんざいてん)。お多賀(たが)八幡大菩薩。美濃の国にながへの天王。尾張に津島と熱田(あつた)の明神。坂東(ばんどう)の国に鹿島、香取、浮洲(うきす)の明神。出羽に羽黒の権現。越中に立山。加賀に白山、敷地(しきぢ)の天神。能登の国に石動(いするぎ)の大明神。信濃の国に戸隠の明神。越前に御霊のおん神。若狭に小浜の八幡。丹後に切戸(きれと)の文殊(もんじゅ)。丹波に大原(おばら)八王子。津の国に降り神の天神。河内の国に恩地(おんじ)。枚岡(ひろうおか)、誉田(こんだ)の八幡。天王寺に聖徳太子。住吉四社の大明神。堺に三村(みつむら)明神。大鳥五社の大明神。高野に弘法大師。根来(ねごろ)に覚鑁(かくばん)上人。淡路島に諭鶴羽(いづりは)の権現。備中(びっちゅう)に吉備(きび)の宮。備前(びぜん)にも吉備の宮。備後(びんご)にも吉備の宮。三が国の守護神を、ただ今、ここにおいでを願いたてまつります。ただ今、驚かしたてまつります。

 さて筑紫(つくし)の地に入っては、宇佐、羅漢(らかん)に、英彦(ひこ)、求菩提(くぼて)。鵜戸(うど)、霧島。伊予の国に一宮(いっくう)、五台山、たけの宮の大明神。総じて神の総政所(そうまんどころ)、出雲の大社。神の父は佐陀(さだ)の宮。神の母は田中の御前(ごぜん)。山の神が十五王。岩に梵天、木に木霊(こだま)、屋(や)の内に、地神荒神(じしんこうじん)、三宝(さんぽう)荒神、八大荒神、三十六社の竈(へっつい)、七十二社の宅(やけ)のおん神に至る、すべての神さまがたにかけて、ここに誓文を立て申します。

 おそれおおくも、神の数が九万八千七社。仏の数が一万三千仏。それがしが偽りを申しましたら、これだけの神罰を蒙るのであります。この身は言うにおよばず、一家一門、六親眷族(ろくしんけんぞく)に至るまで、堕罪の車に誅(ちゅう)せられ、修羅三悪道へ引き落とされて、未来永劫そのままだ。その覚悟でここにはっきりと申し上げる。

 わっぱのことは何も知らぬ」

(続く)

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伊藤比呂美

1955年東京都生まれ。詩人。
1978年現代詩手帖賞を受賞。99年『ラニーニャ』で野間文芸新人賞、2006年『河原荒草』で高見順賞、07年『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』で萩原朔太郎賞、08年紫式部賞を受賞。
エッセイ集に『良いおっぱい 悪いおっぱい(完全版)』『閉経記』、古典の現代語訳に『日本ノ霊異(フシギ)ナ話』『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』、対談集に石牟礼道子との『死を想う』などがある。著作の一方、自分の詩の朗読活動も行っている。

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