[第4回] 内藤やすお

サラリーマン(定年)演歌歌手・64歳

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さあーさあー手拍子 手拍子 手拍子よう!
月が回れば 地球も回転(まわ)る
私の人生 まわりまわって ソーレ ソレソレ
還暦音頭を踊る私は
生まれ変わるのよ 第二の人生を 人生を・・・


 まるで全盛期の三波春夫のごとく派手な着物と笑顔を満面にたたえ、介護士のつもりかナース姿の艶なダンサーたちまで従えて、歌って踊る還暦オヤジ。内藤やすおさんの第一印象は、おそろしく強烈だった。
 東京都中野区生まれ、大学卒業後に広告会社に入社し、以来営業畑ひとすじに働きつつ、趣味のカラオケが嵩じて、ついに3年前の2006年、還暦を記念して自主制作で『湯の町湯河原夢の街/還暦音頭』を発表する。
 翌年にその2曲に自分の好きな歌を加えたフルアルバムのCDを制作、さらに去年には自分で詞を書いた、3枚目となる『ちょいワルおやじのセレナーデ/ひたすら人生』を、通信カラオケ最大手USENグループが設立したインディーズ演歌専門のレーベル「演歌会」の第1号としてリリース。これが歌の楽しさと詞のおもしろさでテレビ、ラジオなど各方面で取り上げられることとなり、ちょっと話題になった。「いやあ、自分の歌が4曲しかないんですから、プロなんてとてもとても。歌い手のまねごと、って感じで楽しくやらせてもらえば、それでいいんですよ」と謙遜する、素顔はシャイで優しいオヤジさんだ。


 内藤さんは1945年、男ばかりの兄弟の真ん中に生まれている。
 

小学校のころはやんちゃで、勉強はダメ、汗っかきで休み時間中さわいで、授業が始まるとその余韻で汗だらだらで、よく怒られたり。得意なのはね、体操と音楽。なぜか音楽は5をもらったことがあるんですよ。あとは3教科か4教科で足して4か5くらい。1とか2とか(笑)、なにしろ勉強はだめでした。そのころ、ハーモニカの音階だけは先生に褒められてね。それが褒められたのの初めてですから。だからいまでもハーモニカは、演歌でも自然に吹けます。ほんとにいつも、怒られてばっかりでした。

 ハーモニカは褒められたけれど、だから音楽の道に進むでもなく、中学高校は「運動部、バスケットひとすじ」という生活。当時は世代から言ってビートルズやフォークソングの全盛期だったが、硬派な内藤少年は運動部らしく(?)洋楽より邦楽、それもどちらかというとド演歌、英語の歌は苦手だった。

大学行っても運動部くずれの仲間が自然に集まってましたから、飲むっていうと軍歌。手拍子。替え歌なんかでね。飲みに行くにしても、しゃれたところじゃなくて居酒屋。そこで車座になって、手拍子打って。そんな感じですから、歌のほうも北島三郎とか、三波春夫とか、春日八郎とか。完璧にド演歌。それで、いまでも洋楽はあんまり聴かないんです。

 大学卒業後は広告代理店に進んだ。32歳で長野県松本市出身の奥様とお見合い結婚、ふたりの子供に恵まれている。

同業で何社か替わりましたけど、ずっと広告の営業です。いまでこそメールだとかあるけど、当時はそんなのないから、手書きの企画書を持っていったり。和文タイプでやった時代でしょ。かっこいい仕事はしてません(笑)。テレビとかじゃなくて、どっちかっつーと交通広告とか。看板とか、ビルの屋上のネオンとか、看板関係で。いまでも嘱託ってかたちで、やってるんですよ。

 学生時代は仲間とコンパで歌い、会社勤めをするようになってからは接待や仲間と飲む場で歌ったり、そういう「ふつうのカラオケ好きのサラリーマン」だった内藤さんが、突然CDデビューを飾ることになったのは、本人いわく「60歳の定年を機会に、なにか記念になることをしたかったんです」。
 音楽関係の人が集まる飲み屋で、知り合いから「還暦だろ、こういうおもしろい歌があるよ、どうだ歌ってみないかと、なかばおだてられて」、あくまで道楽として自費で1000枚プレス、「手売りで、半分ぐらいは実際に売って、あと半分ぐらいは知人に差し上げたりというかたちでした」。
 翌年にはフルアルバムのCDを出して、仲間内の会に呼ばれれば、そこでちょこっと歌ったり、という趣味の範囲で楽しんでいた内藤さんが、『ちょいワルおやじ...』でインディーズ演歌歌手として活動を開始したのは、曲のおもしろさもあるが、特に金銭面で不透明な部分の多いインディーズ業界に、きちんとしたシステムを持ち込もうという趣旨で設立された、「演歌会」との出会いが契機となった。

こういうの(CDの製作費)って、定価がない世界じゃないですか。たとえば作曲の相場は10万円だけど、オレがつくるなら100万だよ、ってこともありうる。プロモーションだってなんだって、やったあとから「いくらかかった」って言われるのが、当たり前だったりする。自分たちが長年、仕事してきた社会では、注文をもらうと、予算がいくらとか見積書を出して、契約書に判を押す。あとから「これだけかかっちゃいました」なんてのはありえない。そういう、首を傾げることが多いのを、なんとか適正なやりかたにもっていけば、インディーズ業界も活性化するのではないかというのが、演歌会の活動だというので、僕はすぐに手を挙げて、ここでやりますって言ったんです。

 内藤さんが最初のCDシングルを出したのに使ったお金は、「作詞は私ですので、作曲料、編曲料、それから採録音料、あとジャケットの撮影なんかで、1000枚出して130万くらい」。いまは増プレスの2000枚を売り終え、3000枚目を考えているところだというから、インディーズ版CDの売上枚数としては悪くない。

でもね、定価が1200円でも、流通を通せば何割しか返ってこない。プロモーションだって、すべてギャラをもらうわけじゃなくて、タダだったり、むしろこちらからラジオ、テレビ局や番組制作会社に出演料とか協賛金を払って、出してもらうというのもあるし。印刷物を作ったりするお金もかかる。そう考えると、ちょっと道楽が過ぎるんじゃないのっていうことにもなるんですよ(笑)。

 実際にほんの数年間、この業界に関わっただけなのに、内藤さんはけっこう「ふつうの会社人間としては首を傾げる」ケースを、たくさん見てきたという。

基本的にみなさんまず歌が好きで、自分のオリジナルや歌を残したい、それを人様の前でスポット浴びて歌う快感、ということでやってますから。そのなかで自費でCD出そうなんて人は、なんとしても売りたい人が多いから、親の遺産とか、退職金をつぎこむだとか、田舎の山売ったとか、そういう話が多いんですよ。  通信カラオケに入れないと、いまはほんとに売れないんですが、入れるにもお金がかかる。(カラオケ会社の担当者を)接待したけどダメだったっていう話も聞くし、●●テレビの●●ディレクターに紹介するよ、だから紹介料なんてのが、いまでもけっこうある。  みなさん、苦労はなかなか見せないんでわからないんですけど、話を聞いてみると、え、1000万も出したの!ってのが、あるんですよ。それだけかけても、ぜんぜん結果が出てこない。カラオケにも入らないから、まだあちこちにお金を払ってる。そういうもんだと思い込んでるから。 だれかが言ってあげて初めて、「あー、そうなのか」って気づく。そういう状態を、なんとか正常化したいと思う人たちが、少しずつ出てきてるんだと思います。

 このところ奥様は子供たちとともに松本の実家で、家族の介護に専念、内藤さんは東京でひとり暮らししながら、代理店の仕事と歌手活動を両立させている。
 家族の反応は、「妻は、あー好きなことやってるな、と冷ややかな無関心(笑)。子供のほうはおもしろがってるというか、お父さんがこれ以上バカなことしなきゃいいな、恥の上塗りをしなきゃいいなと思っていると思います」という状態だそうだが、『ちょいワルおやじ...』でテレビやラジオの露出が増えるようになってきて、「メールやお手紙いただくことが多くなって、それも圧倒的に、私と同年輩の男性からなので、ちょっと驚きました」。
 自分も還暦過ぎてなにかやりたくなって、趣味の釣り日記を本にして出版したとか、地元の落語研究会に入って、初舞台で「寿限夢」を披露したとか、「還暦を機に第二の人生を始めてみたい、そういう方たちが共鳴してくれたのが、うれしかったですねえ」。

 歌に一生を賭ける、というような深刻さとは無縁の内藤やすおさん。暗い演歌よりも、人生の応援歌になるような明るいコミック調の歌がお似合いに見えるし、そんな詞を書くのが楽しいという。

小粋なジャケット 細めのパンツ
ワルを気取っているけれど
なぜか憎めぬ そのしぐさ
バジリコ アンチョビ カルパッチョ
あとが気になる・・・血糖値
ちょいワルおやじのセレナーデ

真っ赤なマフラー サングラス
ワルを気取っているけれど
抜け切れないのが少年(こども)の心
ドンペリ スコッチ 琥珀のしずく
ワイングラスで ウインクしても
あとが気になる・・・肝脂肪
ちょいワルおやじのセレナーデ

はだけた胸元 ペンダント
ワルを気取っているけれど
隠し着れない やさ男
シルクの恥じらい コロンの香り
スイートルームを リザーブしても
あとが気になる・・・心拍数
ちょいワルおやじのセレナーデ


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 団塊世代のプライドと悲哀をコミカルに描き、日本インディーズ演歌歌謡曲大賞で金賞を獲得した『ちょいワルおやじ...』も、「作詞の勉強とかやってたわけじゃないんですが、仕事柄いつも文章書いたり、企画書書いたりするんで、それと同じ要領で、思いついたらメモ取っておいて、1時間くらいで一気に書いちゃった」そう。次回作は、とお聞きしたら、「いや、新しいの出すってなると費用もかかるし、オファーもあるわけじゃないんで、しばらくはまだ」と言いながら、実はちょっと温めてる詞があるんです、と教えてくれた。

60過ぎのオヤジが、若い子に対してちょっと迎合してる、って感じのコミック・ソングなんです。日本の女性ってのはもともと、「やまとなでしこ」って言うくらい、世界でいちばん優しくてつつましくて。でもいまはタトゥしてみたり、ピアスは耳から鼻からおへそからだったり、電車の中でヘッドフォンが音漏れしてたり、化粧してみたり、コンビニの前で地べたに座ったり、くわえタバコだとか。そういうのをオヤジが見て、ねちねち言ってね、だけど最後はゴマすり。文句言いながら、最後はすり寄るっていうね、少しでも好かれようとしているっていう、キャラクターを書こうっていう構想なんです。


 3月に開催されたリサイタルでも、ナース姿のダンサーをたくさん従えて踊ったり、音楽大学生たちのバンドをバックにド演歌を歌ったり、さすが広告代理店というスタイルの演出を披露してくれた内藤さん。次回作のお披露目ではどんな楽しいサプライズを用意してくれるのか、いまから楽しみだ。


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