ある何かのたくらみ
閃きのことも忘れ再び蒲団にもどり、軽く小一時間ウトウトしてから起きだすと、体の節々が痛む。
パジャマを脱いで点検すると、方々が腫れていた。
とりわけ、後ろ回し蹴りを決めた時に腰を捻った様で、他はごまかせても、ステージに立つのは辛いと判断し、夕べの一件を知る副支配人に、午後、そろそろ店に入った頃を計って電話した。
生憎、副支配人は席を外していたが、電話に出たのは、支配人達と同じ上質な黒服と高そうなネクタイをし、「バンさん」「バン先生」と呼ばれ、支配人や副支配人たちからも一目置かれながら、この店へ来て数ヶ月経つのに、どんな役職にあるのかは未だによく解らない、60代後半と見受けるが、やたら肌にツヤのある、まるで昔、レコード(左手にブランデーグラス、右手ではジタンを吸っているジャケット写真が似合う)を出したことがある様な遊び人風の男だった。
「ああ、バン・ソンセンニム(先生様)テスカ? キムです、アリラン・プレスリー、自分ですが、今日は夕べちょっとあって腰が痛くてあのう」
と、言い終えぬうちに、バン先生様は既に事情を知っている様で、「今日はいいから。お前も日本へ来てから殆ど休みなく毎日ステージに立っているのだから、たまには休んだ方がいい。腰が特に痛むんなら、サウナでも行って、ゆっくりと身体を休めてマッサージでもして貰え」と、太っ腹に答えた。
「カンサニダ!」
「本格韓流キャバレー」と謳いながらも、この店の男性陣では珍しく、社長を除くと唯一の同胞(キョッポ)で、母国語はカタコトしか話せないが、アリラン・プレスリーは電話の向こうのバンさんに、母国語でそのひと言に厚い礼を込めた。
「サウナは何処か良い店アルノデスカ?」と尋ねると、バン先生は、タクシー代くらい払ってやるから店まで来いと言うので、アリラン・プレスリーはとりあえず店へ行った。
バン先生は、今更ながら、しげしげとアリラン・プレスリーの顔を眺め、と、横からママさんと呼ばれ、事実ホステスの頭である李のマダムが「エビッさんにちょっと似デルね、アナダ」と言って、クスッと笑った。
すると、居合わせた、まだスッピンのホステスやボーイたちも「あっ、似てる」と言って笑った。
「誰テスか、それ?」
「知らないのアナダ、テレビによく出てるギャグマンよ」とホステスが言うと、ボーイが「元々は4コマ漫画のアレかなんかでさ、でもエビッさんってったら、4コマよりテレビの方が有名だからさ」と解説した。
そんな他愛のない会話をしている間に、バンさんは地図を書き、「ここか......、まァ、こっち。う~ん、でも、ここの方がいいだろう、最初は」と○印でそこを囲んだ地図をアリラン・プレスリーに渡して、浅草だから行き方はすぐわかると言って、ポケットから1万円札を出した。
総武線の電車に乗り、シルバー・シートに腰かけると、つい、バンさんについて、以前から思っている、ふたつの謎めいたことがアリラン・プレスリーの頭に浮かんだ。
バンさんは、同胞なら"方"と書いてバン(BANG)と読むが、自分と同じ渡日してきた韓国人ホステス達は、何故か、バンさんと呼ぶ時は日本のイントネーションでバン(BAN)を発音する。又、ごくたまに誰かがバンさんに「会長!」と声をかけると皆が一瞬意味ありげにニヤリとするのだった。
それから、以前、早目に店へ行った時、トイレのドアを開けると、あの香りを放つ32歳のボーイとバンさんが丁度、ふたりで「大」の方から出て来たのに出くわした。ボーイは慌てたが、バンさんは全く何ともなく、平然としていたのだが、あの一切関知せずというたたずまいは何処から出るのだろうか?
そもそも二人は中で......
そうこう考えるうちに浅草へ着いた。腰の痛みを堪え、席を立つ際、つい今考えていた事は総てあっさり忘れてしまった。
浅草ウラの顔
バンさんお薦めの、頭に番号の振られた大型サウナへ向かう途中、一軒のどこか祖国によくある佇まいのNEWひさごホテルというのが目に入った。
そこは宿泊料が極めて安く、2800円で、サウナだけだと、一回こっきりで2000円だったが、看板の〈宿泊〉のところをよく見れば、()内に、お泊まりの方は何回でもご自由にサウナをご利用できますとあった。
「たった800円の差で、片や宿泊して何度でも、片やサウナだけで2000円とは、どう考えても、これは宿泊が得だ。バンさんには悪いが、今日はここに泊まってマッサージを部屋に呼ぼう」
そう、アリラン・プレスリーは思い、そしてその様にしようとした。
サウナへ入ると平日の昼ということもあり、客はスキンヘッドの50代後半の腕っぷしの強そうな男がひとりいるだけだった。
が、二人しかいないガランとした中、汗を流すアリラン・プレスリーにスキンヘッドがとってくる距離はどうも近いのである。
そして裸体をしげしげと眺めたりもする。
「おかしな人だな?」と思うものの、それよりも腰に注意を払いながらアリラン・プレスリーがシャワーを浴びに行くと、そのスキンヘッドがすぐ追いかけてきて、4ツ5ツあるのに、すぐ隣のシャワーを浴びだした。
「変だな?」と思うと臀部に何かが触れた。尻に目をやると、スキンヘッドがすぐパッと手を引っ込める残像。
「偶然、手が触ったのか?」と思い、シャンプーを大量にてっぺんからかけ、頭を洗い出した。すると、今度はあからさまに、アリラン・プレスリーの股間に手をやってきた。
スキンヘッドは引退する頃の大木金太郎こと金一(キム・イル)を彷彿とさせる強面で、あの駐車場のボーイのようにはいかぬ、こりゃあ歯が立たぬだろうとアリラン・プレスリーは感じた。
急いで頭の泡を流す。その間、大木金太郎は自らの股間をシゴき出した。それを一瞥するや-カリ高で、長くそり上がった立派なものだったが、感心しているどころではない-アリラン・プレスリーは急いでサウナを出た。
そしてフロントの故・立松和平が現場で日焼けした様な男に向かって、「変態男がいるですヨ」と告げると、立松和平から「ネット・サービスじゃないでしょ。アナタはネットだと一泊2800円でなく3300円なんだけど、ネット予約の人と間違えて、ああほら入り口の看板に小さく一泊2800円の下に〈※但し、インターネット予約のみ〉と書いてあるはずだ、見てみなさい。でも、こちらのウッカリだから今回は特別に500円負けますから、つまりサービスですよ」と、答えになってない答えが返ってきた。
すると、フロントの脇のボロボロのソファに腰かけたアホの坂田が勝新のもみあげと口髭をつけた様な親父が、「ノンケ狙いって奴だから」。そうひと言、わからないことを滑舌悪く呟いた。
アリラン・プレスリーは不快と不安を同時に感じ、腰の痛みも急に引いた気がしたので、とっととNEWひさごホテルを引き払うことにして、他へ行く気もしなかったので、懐かしい、ソウルの下町にあってもおかしくない、一軒の中華食堂へと入った。
日本のスター登場!
食堂のテレビではタレント同士の結婚を特集したワイドショーが流れていたが、突然、画面に「こちら報道部です」の声とともに、キャスターが映り、臨時ニュースに切り替わった。
「先程、午後1時22分、四国の高松空港へ向かうジェットが○○山へ墜落し、乗客176人全員が死亡した模様です。詳細は現在調査中ですが、当局でも人気のバラエティ番組のスタッフと出演者数名、タレントの○山△郎さん、×川☆子さん、エビスヨシカズさんなども同乗していた......と、お待ちください、今、丸亀にて、生存していたというエビスさんと中継がつながっています」
「んっ、エビッさん?」とアリラン・プレスリーは目を凝らした。
画面の中ではそのエビッさんがスタジオにいる記者や、スポーツ紙や他局の記者に取り囲まれて、質問に答えていた。
「エビスさんは飛行機は別便だったんですね!?」
「ええ」
「この事故を聞いてどう思われましたか!?」
「驚きましたねー。でも助かってホッとしました、いやあ、ビックリした~」
次々と記者たちから質問の声がかかる。
「お亡くなりになったスタッフの方や、タレントさん達に今、どんな言葉をかけたいですか?」
「え!? ああ、そうですね、何ちゅうますか成仏?」
「つまり、『ご冥福をお祈りします』と」
「あー、そうそう、皆、急に死んで、ホレ、アレ、大変ですからねえ」
「それだけですか?」
「いやあ、とにかくビックリして驚いてます、俺は生きてて運がいいと思いました」
「そもそも何故、エビスさんはその墜落した飛行機に同乗せず、おひとりで先に現地へ向かわれたんですか?」
「いやあ、そのう、丸亀で、競艇があってねえ、ほんで撮影場所もその辺やゆうんで、その、エヘエヘ、ちと、一日早く行って競艇ばしに行きました」
「結果論ではありますが、今日、この様に惨事があり、ご自身、いささか不謹慎とはお感じになりませんか?」
「え! 何が!?」
「エビスさん、エビスさん」
「へっ!?」
「スタジオの○○です」
「あっ、どーも、どーも」
「改めてお伺いしますが、亡くなられたスタッフの方や、タレントの方に、今、どんなお気持ちを持たれてますか?」
「ええ、ビックリして、とにかく何つーか、悲しいですねえ......」
やや殊勝な表情を浮かべて受け答えをするエビスさんの物腰はあからさまに、俄かに取り繕った様にしか見えなかった。
と、そこで囲む記者達の後方から、この様なひと言が飛んできた。
「BOAT RACEライブの鬼頭と申しますが、一日早く現場へ発ち、競艇をされたということですが、その日のレース自体はエビスさん、勝たれたんですか?」
いささか場の顰蹙を買う質問であったが、そりゃあともかく、それを聞くや、たちまちエビスさんの表情に影がさし、先程迄とは打って変わり、心底神妙な表情で、悔しそうにこうひと言、力なく言った。
「......負けました」
そして両手の拳を思い切りギュッと握り締めた。
突然の事故に悲しむ者も多かったが、画面のこちらでは、そのシーンを見て大いにウケる者もけっして少なくなかった。
というより、大いにウケ、たちまちYouTubeやニコニコ動画にアップされ、それからしばらく、日本中の学校や職場で話題となるのだったが。
アリラン・プレスリーが、所在なく、結局、開店前の慌しい店に立ち寄ると、店中、時計を睨みつつも、墜落事故と、それを免れたエビスさんの話題で持ち切りだった。
と、アリラン・プレスリーに注がれた皆の視線は一瞬それまでの表情をSTOP!させたが、誰かがプッと吹き出すや、皆ドッと笑った。
そして誰かが「お前、やっぱ、ホントにエビッさんに似てるなあ。あれに似たカツラ被って、ニヤニヤ、ヘラヘラして、どーもどーもってやれば、モノマネ出来るぞ」と言うと、違う誰かが、背中丸めて、こんな感じで、と見本を示すや、「こりゃ、ショーの合間にコントとして入れるとウケるぞ」とちょっと離れたところからバンさんの声がした。
そして、「じゃあちょっと」と、ボーイ達がアリラン・プレスリーにジャケットを羽織らせ、各々マイクやスプーンを向けて囲んだ。
「おう、誰か、テレビのニュース録っとけ、ショータイムの頭に流すから」と、今度は舞台のソデに立ったバンさんが、後ろを振り向いて暗がりの誰かに言った。因みに、浅草のサウナの件、或いはそこでの何かのたくらみらしきも、すでにバンさんの中でも、アリラン・プレスリーの中でも、エピソードはとうに終了していた。