第5回 「キリスト教神学の方法論(1)」
日本人は方法論といってもなかなかピンときません。しかし、ヨーロッパの学術書、特に神学や哲学の専門書を繙くと、冒頭に方法論に関する記述が必ずあります。キリスト教神学について語る場合も、どのような方法をとるかはとても重要です。方法は、英語でメソッド(method)、ドイツ語でメトーデ(Methode)、ロシア語でメトート(метод)と言います。これは、ギリシア語のメトドス(methodos)という言葉に由来します。「道(ホドス)に沿って」という意味です。
いま私たちが東京の日本橋にいるとします。京都に行くことが私たちの目的です。ここで東海道を選んだ場合と中山道を選んだ場合、まったく違う道を進むことになりますが、最終目的地の京都にたどり着くことができます。東海道、中山道のどちらを選んでも、道を間違えたことにはなりません。これに対して、日光街道や奥州街道を選んでしまうと、京都にはどれだけ努力してもたどり着くことはできません。キリスト教神学の場合も方法が異なるとまったく違う目的地に着いてしまう、あるいはどこに向かっているかがわからなくなり、放浪してしまうことになります。神学に関して、誰もが承認する方法論は存在しません。
例えば、米国の大学神学部の多くは、現在、特定の宗教から距離を置いて、キリスト教を現象として、できる限り客観的にとらえようとします。このような方法論について、マクグラスはこう述べます。
〈「距離をおく」捉え方。キリスト教を含めた諸宗教を、哲学や社会科学、あるいは大まかな「宗教的」視点(現代アメリカの多くの「宗教学部」におけるように)から説明しようとするもの。この捉え方の好例が、アンソニー・ギデンズの非常に影響力のある教科書『社会学』に見出される。ここでは宗教的問題への社会学の視点からの取り組みがなされている。彼の取り組み方には教えられる。例えば、彼は宗教が何ではないかということについて、四つの例を挙げている。それによって、西洋の文化的偏見が宗教についての思索に、どの程度まで忍び込んでいるかを明らかにしようというのである。社会学的視点から論じるギデンズによれば、宗教は以下のものではない。
(ア)「一神教」と同一視されるもの。
(イ)「道徳的指示」と同一視されるもの。
(ウ)世界の説明に必然的にかかわるもの。
(エ)超自然的なものと同一視されるもの。
非常に興味深いのは、宗教をあまりに安易に一神教と同一視することについてのギデンズの言葉である。
宗教は一神教(ひとりの神への信仰)と同一視されてはならない。ニーチェが掲げた「神の死」という主張は非常に民族中心主義的で、ただ西洋の宗教思想にのみかかわっている。ほとんどの宗教に、多くの神がある。......宗教の中には、神が全く存在しないものさえある。
社会学者としてのギデンズの関心は、ひとえに宗教現象に対して厳格な解釈の枠組みを押しつけることなしに、宗教現象を記述することである。〉(アリスター・E.マクグラス[神代真砂実訳]『キリスト教神学入門』教文館、2002年、726~727頁)
日本でも社会学を専門にする人は、「宗教現象に対して厳格な解釈の枠組みを押しつけることなしに、宗教現象を記述すること」を試みます。この視座から書かれた橋爪大三郎氏、大澤真幸氏による『ふしぎなキリスト教』(講談社、2011年)はとてもよい本です。この連載の読者にも是非読んで欲しいと思います。大澤氏は、次のような問題意識を提示します。
〈近代化とは、西洋から、キリスト教に由来するさまざまなアイデアや制度や物の考え方が出てきて、それを、西洋の外部にいた者たちが受け入れてきた過程だった。大局的に事態をとらえると、このように言うことができるだろう。
ところで、この事実が、日本人にとっては大きなつまずきの石になっている。以前、橋爪大三郎さんが私との私的な会話で使われていた表現をお借りすると、いまある程度近代化した社会の中で、近代の根っこにあるキリスト教を「わかっていない度合い」というのをもしIQのような指数で調べることができたとしたら、おそらく日本がトップになるだろう。それは日本人が特に頭が悪いということを意味しているわけではない。そうではなくて、日本があまりにもキリスト教とは関係のない文化的伝統の中にあったことがその原因である。〉(橋爪大三郎/大澤真幸『ふしぎなキリスト教』講談社現代新書、2011年、4頁)
私も大澤氏の指摘に賛成します。社会学の方法を宗教に適用した宗教社会学という学問があります。国際的に見ても、プロテスタント神学部では、宗教社会学の講座が設けられています。社会学者の指摘を踏まえた上で、神学活動を行うことは、常識になっています。ちなみに1987年9月から88年5月まで、モスクワ国立大学で外務省の語学(ロシア語)研修生として留学したときに、私はこの大学の哲学部に設置されていた科学的無神論学科の授業をときどき聴講していました。ソ連の科学的無神論のキリスト教へのアプローチは、西側の宗教社会学に似ていました。ソ連崩壊後、この学科は宗教史・宗教哲学科に改組され、1992年9月から95年2月まで、私もプロテスタント神学について教鞭をとりました。このときの経験をもとに私は『自壊する帝国』(新潮文庫)と『甦るロシア帝国』(文春文庫)を書きました。科学的無神論を掲げるソ連の人々の思考の根本にロシア正教があることを私は深く認識しました。