第62回 「キリスト論(3) 現代アメリカの史的イエス研究について(1)」
キリスト論について話をすると、最近、よく受ける質問があります。「佐藤さんは、19世紀の史的イエス研究の結果、1世紀にイエスという男がいたことも、いなかったことも証明されないと言いますが、最近は、史的イエスの探究は可能だという考え方が主流なのではありませんか」という質問です。あるいは、「佐藤さんは、カール・バルトやヨゼフ・ルクル・フロマートカなどヨーロッパ系の神学者を中心に神学を説明していますが、それは少し旧いアプローチではないのでしょうか。世界の学問の中心は、ヨーロッパからアメリカに移っています。プロテスタント神学も、現在の主流はアメリカに移っているのではないでしょうか。アメリカ神学では、イエスの人物像を実証研究によってかなり明らかにできると考えているのではないでしょうか」という質問を受けます。
確かに国際的に見ると、私が今回の連載で扱っているヨーロッパ大陸系のプロテスタント神学は、現下の流行からは少し離れています。しかし、私たちが神学を勉強する目的は、流行を追うことではなく、救済宗教としてのキリスト教の内在的論理をとらえることです。その観点からすると、アメリカで流行している史的イエス研究は、19世紀の実証主義の枠を出ていません。そのことを、ジョン・ドミニク・クロッサン(1934~)の言説を手掛かりに検討していきたいと思います。
クロッサンは、アイルランドで生まれました。16歳のときに「マリアの僕修道会」に入り、24歳でカトリックの司祭に叙聖されました。ローマの教皇庁立聖書学研究所で学んだ優れた聖書神学者です。1969年に還俗しました。カトリックの司祭になっても特別の事情があるときは、司祭の職務を離れて、平信徒になることができます。クロッサンの場合は、愛する人ができて結婚することを決めたので、独身であることが義務すけられているカトリック教会の司祭職を離れることを余儀なくされました。クロッサン自身は、この選択について次のように述べています。
〈教会に対しては恨みも怒りもない。修道士であり司祭であったころは幸福だった。そして幸福でなくなったから去った。それだけのことだ。
こうした変化に、ひどく傷つく人もいる。私は傷つかなかった。〉(ジョン・ドミニク・クロッサン[飯郷友康訳]『イエスとは誰か 史的イエスに関する疑問に答える』新教出版社、2013年、4頁)
還俗後、シカゴのド・ポール大学の教授になり、聖書神学を教え、1995年に大学から引退しました。現在は、史的イエス研究を行う「イエス・セミナー」という団体を作り、活動しています。クロッサンは、神学界だけでなく、英語圏の読書人に強い影響を与えています。
クロッサンは、自らがとる史的イエス研究の方法についてこう述べます。
〈イエスの実像を描くには、いろいろな学問を使います。説得力あるのもあれば空想的なのもありますが、すべては調査方法しだいです。とりあえず、私がイエスの実像を組み立てる方法を説明しましょう。
三機の大きなサーチライトで夜空の物体を照らすとします。三機とも同じ物体を照らさなければなりませんから、そのように調節します。三本の光線が正確に一点で交われば実体を捉えたことになるでしょう。
そのサーチライトの一つが、通文化研究です。イエスの生きた社会環境を知るために、これを使います。何をするかというと、当時と似た社会を一通り見渡すのです。たとえば、古代の地中海文化は現代のアメリカ文化とどう違うか。農耕社会は工業社会とどこが違うか。福音書の物語に見られる現象、癒しや悪霊祓いについて何を学べるか。イエス当時のように帝国の植民地でエリートが農民を支配する社会について、何を言えるか。そうした社会で、政治と家族や、税金と借金や、階級と性別などは、どう関わるか。こういう研究の利点は、福音書の描くイエスとは直に関わりないだけに偏りの出にくいところです。たとえば、イエスは読み書きのできる中流階級の大工だった、と想像しましょうか。しかし通文化研究によれば、古代社会には中流階級など存在しませんでしたし、彼の出自は農民階級で、その大部分は読み書きができなかったのです。このように、当時の状況ではあり得ないようなイエスを想像することは防げるわけです。〉(前掲書16~17頁)
イエスを文化的コンテクストでとらえるというのは、新約聖書神学でごく普通にとられる方法です。クロッサンは、農民階級の下層に職人がいたので、職業が大工であるイエスは文字を読むことができなかったと結論づけます。クロッサンの主張は、聖書学学者の中では、圧倒的な少数説です。クロッサンの議論はあくまでも推定で、イエスが文字を読むことができなかったという実証はなされていません。
クロッサンが二番目に重視するのが歴史研究です。
〈二つ目のサーチライトは、イエス時代のギリシャ・ローマ史、ユダヤ史研究です。ユダヤ人の国はローマ帝国の植民地で、ローマ政府に直接支配されたりヘロデ王家に間接支配されたりしていましたが、その状況については相当くわしく分かります。一世紀のユダヤ人でヨセフスという歴史家が、二つの記録を残してくれたおかげです。今にも革命の起きそうな土地で、農民の間に不安と動揺の漂う中をイエスは生きていましたから、反逆者や預言者や盗賊やメシアについてヨセフスの語ることは貴重です。生身のイエスを描きたければ、地面の下でくすぶりながら反乱で爆発するまで記録されることのなかった農民の不安を、想像しないといけません。〉(前掲書17頁)
新約聖書以外の文献で、イエスの生涯を実証することはできません。これは19世紀の史的イエス研究の結論です。それを超える説得力のある実証をクロッサンはしていません。クロッサンの方法で、最も重要なのは第三の本文批判です。