佐藤優 【日本人のためのキリスト教神学入門】

第92回 「教会論(1-1)」

  教会について取り扱われる神学の分野は、「教会論(ecclesiology)」と呼ばれます。この言葉は、ギリシア語のekklesia(教会)に由来します。聖書の中では、教会の誕生について証言されています。少し長いですが、正確に引用しておきます。

 救済論の末尾で紹介した、五旬祭のときに聖霊が天から下ってきて、炎のような舌が一同の上にとどまったときのことです。大勢の人々がやってきて、人々は自分の故郷の言葉を聴きます。興奮が集団を覆い、酩酊しているような状態になります。そこでペトロが立ち上がって話しを始めます。

〈すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。

『神は言われる。

 終わりの時に、

 わたしの霊をすべての人に注ぐ。

 すると、あなたたちの息子と娘は預言し、

 若者は幻を見、老人は夢を見る。

 わたしの僕やはしためにも、 

 そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

 上では、天に不思議な業を、

 下では、地に徴を示そう。

 血と火と立ちこめる煙が、それだ。

 主の偉大な輝かしい日が来る前に、

 太陽は暗くなり、

 月は血のように赤くなる。

 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』

 イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。ダビデは、イエスについてこう言っています。 『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。

主がわたしの右におられるので、

 わたしは決して動揺しない。

 だから、わたしの心は楽しみ、

 舌は喜びたたえる。

 体も希望のうちに生きるであろう。

 あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、

 あなたの聖なる者を

   朽ち果てるままにしておかれない。

 あなたは、命に至る道をわたしに示し、

 御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』

 兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。そして、キリストの復活について前もって知り、

 『彼は陰府に捨てておかれず、

 その体は朽ち果てることがない』

と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。 それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。

『主は、わたしの主にお告げになった。

 「わたしの右の座に着け。

 わたしがあなたの敵を

   あなたの足台とするときまで。」』

 だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」

 人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。

すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである〉(「使徒言行録2章14~47節)

 このパウロの説教にキリスト教の教会論が要約されています。

1.聖霊によって、キリスト教徒は目に見えないものを見ます。そして、天には不思議な業が、地には徴が現れます。もちろんこの時代の人々は、コペルニクス以前の宇宙観の中で暮らしていましたので、「上」や「下」が持つ意味は現在と違います。

2.ペテロは、ナザレのイエスこそが救済主としてこの世に送られてきたという現実を強調します。

3.イエスは死にましたが神の力によって復活しました。

4.イエスは天にあげられ神から聖霊を注がれました。

5.悔い改め、洗礼を受ければ、神は人間の罪を赦してくださり、賜物として聖霊を与えます。

 ここに述べられている事柄に教会の原点があります。

(2014年8月26日更新)
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佐藤優
写真提供=共同通信社
【著者略歴】
1960年生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科終了。緒方純雄教授に師事し、組織神学を学ぶ。『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞)、『自壊する帝国』(大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞)、『神学部とは何か』(新教出版社)、『はじめての宗教論』(NHK出版新書)、『新約聖書Ⅰ・Ⅱ』(文春新書)など著書多数。

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