第109回 「教会論(2-1)」
これまで、バルトの『ローマ書講解』に基づいて、教会と国家の関係について、かなり詳しく考察してきました。なぜ、神学は教会と国家の関係について、これほど神経質になるのでしょうか。実は、教会と国家の関係をどう調整するかは、神学的に未だ解決がついていない実に深刻な問題なのです。バルトの場合、教会も国家も、神の恵みに基づく秩序です。教会も国家もキリストの支配に服さなくてはなりません。究極的に神の支配が一元的に貫徹されるのです。このことを哲学の側からわかりやすく解説しているのが、柄谷行人氏です。『現代思想』2015年1月臨時増刊号で、私は柄谷氏と対談をしていますが、そこではバルトの国家観をどのように理解するかが大きなテーマになっています。神学の側から見るならば、これは教会論の問題になります。柄谷氏は、バルトをスイスの文脈で読むことが重要であると指摘します。私もその通りだと思います。二人でこんなやりとりをしました。
〈柄谷 今日は佐藤さんからバルト神学に関してお話をうかがおうと思っていたのです。私の考えでは、交換様式Dは先ず普遍宗教として現われる。だから、どうしても普遍宗教について考える必要があるのです。普遍宗教は宗教の批判としてあらわれますが、まもなくそれ自体、宗教になってしまう。そこで、宗教改革が何度も生じる。普遍宗教はDをもつ以上、社会主義的な運動になります。それは千年王国運動のような社会運動として何度も現れた。
一九世紀でも社会主義運動は、宗教的な背景を持っています。我々が言う社会主義は、一九世紀半ば以後、宗教性をとりさったものです。つまり、プルードンやマルクス以後の「科学的社会主義」です。とはいえ、社会主義は交換様式Dであるかぎり、普遍宗教から完全に離れるものではありえない。実は、離れてしまうと、それはむしろ逆に「宗教」になってしまう。そして、社会主義者が教会国家の祭司のようなものとなる。
社会主義者のなかにも、社会主義と普遍宗教の連関を考えた人は少なくありません。たとえば、エンゲルスがそうです。一方、普遍宗教の側でもこのことを考えた人がいた。それがカール・バルトです。彼は一九一一年に「イエス・キリストと社会運動」という講演で、イエスと社会運動とは別の二つのものではなく、「イエスとは社会運動であり社会運動とはイエスである」と断言しています。私なりに言い換えると、イエスの示したことも社会主義が目指すことも交換様式Dの実現であるとすれば、それらを区別することはできないし、区別してはならないということです。
私はこれまでバルトについては多少読んでいましたが、最近までよく考えていなかったのは、彼が根本的にスイスの人だということですね。
佐藤 おっしゃる通りです。バルトを、スイスの思想的、宗教的、そして政治的文脈を抜きに考えるのは間違いです。宗教社会主義運動がスイスは非常に強かった。そもそもスイスという国が誓約共同体です。
柄谷 同じスイスでも、ドイツ語圏とジュネーブなどのフランス語圏、さらにイタリア語圏では違う。しかし、ドイツ語圏といってもドイツとはまるで違いますよね。
佐藤 ドイツ人とスイス人では感覚が全然違います。〉(柄谷行人/佐藤優「柄谷国家論を検討する」『現代思想』1月臨時増刊号、青土社、2014年、22~23頁)
「イエスとは社会運動であり社会運動とはイエスである」であるというバルトの発想は、スイスという国家が誓約共同体国家であるという文脈を抜きに考えることができません。柄谷氏が言う、未だ実現されていない交換様式Dをマルクスは共産主義という名で表そうとしました。キリスト教徒が「神の国」や「千年王国」という名で表現しようとしたものと、マルクスの考えた共産主義が、本質において同じ事柄ではないかというのが柄谷氏の問題意識です。私は、バルトが考える「神の国」は、柄谷氏の言う交換様式Dと言い換えることができると考えます。
もう少し、柄谷氏の議論を細かく追っていきましょう。
〈柄谷 バルトはドイツの大学で教えた人だし、私は漠然とドイツの文脈で読んでいたのですが、社会主義といっても、キリスト教といっても、ドイツとスイスでは違う。キリスト教という面では、ドイツはルター派で、スイスはカルヴァン派です。社会民主党という面では、ドイツでは第一次世界大戦に参加したのに対して、スイスでは拒否している。そもそもスイスは国家として中立でしたが。しかし、私はこういう違いを考慮していなかったので、バルトに関しても読み方が浅かったと思います。例えば、ドイツでは社会民主党は非宗教的でしたが、それはエンゲルスやカウツキーが宗教を斥けたからではない。彼らは宗教批判をしていない。むしろその逆です。宗教否定というのはレーニン主義以降ではないでしょうか。
佐藤 そう思います。ナロードニキのトカチョフというボリシェビズムを考え出した人ですが、彼はナロードニキが民衆によって警察に突き出されていくため、民衆を受動的なままにしておくことで陰謀論を実行し、上からの革命を起こした方がいいと考えました。ここから民衆に「革命を信じろ」という、神に対する信仰を革命に転換する動きが出てくる。レーニンの革命観は、マルクスよりもトカチョフに近いです。それに伴ってロシア・マルクス主義は裏返した正教のような一神教になった。科学という神、無神論というイデオロギー、共産党という教会に帰依する宗教になったのです。それだからレーニン主義において、科学的無神論(戦闘的無神論)による宗教否定に大きな意味づけがなされるようになったのです。
柄谷 私は数年前にカウツキーの『中世の共産主義』を読んで感心したのです。その後、ノーマン・コーンの『千年王国の追求』をはじめ多くの本を読みましたが、それらはすでにカウツキーがやったことの二番煎じでしかない。そのことはまた、カウツキーの仕事がいかに無視されてきたかを示しています。〉(前掲書23頁)
レーニン主義が、宗教を全面的に否定したという柄谷氏の指摘は正しいです。マルクスやエンゲルスの発想では、疎外された社会での、体制に対する不満が宗教という形で表れてくるので、宗教自体を批判しても意味がないということになります。宗教を批判するのではなく、人々が宗教に慰めを見出さざるを得なくなる社会構造を転換することをマルクスとエンゲルスは説きました。
これに対してレーニンはまったく別のアプローチを取りました。「無神論を信じる」ということをロシアの共産主義者に要請したのです。その結果、ロシアでマルクス主義は宗教となりました。そして、この宗教を担保する教会がソ連共産党になったのです。