⁂
山のふもとのその森は、つねにうす暗く、そこらじゅうに岩石がころがっていて、ハイキングに訪れたひとたちすら避けて通るような森だった。
ひとに愛されなかった森は花や動物たちにも愛されず、ある岩石はさみしさからいびつな奇岩になった。奇岩はかいじゅう岩と呼ばれ、ただそこにあるだけで、この世のかなしみはすべて自分のせいだと信じていた。
かいじゅう岩のまわりには卑屈な木々がうねうねとからみあい、根元ではやはりきらわれ者のドクダミが、ここでしか咲けないというふうに咲いている。
孤独な森を、少女はただひとり愛していた。
厳格な父のいるお屋敷をぬけだし、みずみずしい空気をめいっぱい吸い込みながら、森じゅうの景色をスケッチブックに描いてまわる。
森は、そんな少女にすこしでもいいところを見せようと気張って花を咲かせては、すぐに枯れさせてしまう。
花の育たないその森を、少女はそれでも愛していた。
⁂
ある春の終わり、いつものように絵を描いていた少女の背後に、とつぜん父親が現れた。おどろいた少女が振り向くと、父親はすぐさまスケッチブックを取り上げ、それを思いきり引き裂いた。筋肉質なシャツの腕に、うすいブルーの絵の具が血のように飛び散っていくのを、少女の瞳は鮮明にとらえている。
引き裂いたスケッチブックを地面に投げ捨てると、父親はおおきな手で少女の頰を打ち、引きずるようにお屋敷へと連れ戻していった。
少女は容赦なく肌をえぐる岩石から身を守ることに必死で、声をあげることもできない。
⁂
静まる森のかいじゅう岩は、夜のとばりにかくれて泣いた。
自分のせいだと泣いていた。