先輩をめぐるドラマ―ハッテンしない韓流エピソードその2
アリラン・プレスリーの意識はますます渡日すべしとその気持ちに強くかられた。
そして、幼馴染みで、唯一の成功者であり、もし「在日」だったら、"隠しようのない顔"をした崔先輩に借金の申し込みに行くと、先輩は快く引き出しの中から鷲掴みした1000万ウォンを渡航費や、あちらでの生活、および仕事が軌道に乗り、生活にメドがつくまでの雑費などどうにかこれでやれと、キャッシュで貸してくれた。
東京での仮の宿も、とりあえずの勤め先も、飛行機のチケットも総て手配が済んだ翌日、1000万ウォンを快く貸してくれた先輩から携帯に電話があり、息づかい粗く、「急いできてくれ、とにかく急いで!」と言う。先輩はこの数日、相当、幾度も大声を出した様で、声はガラガラだった。
何があったのか、とにかく只ごとではなさそうだ。
アリラン・プレスリーは地下鉄を乗り継いで、先輩のもとへ急いだ。
が、いつもの如く、頭の中が何処かボンヤリしていて、まだそれが金銭に基づいた問題との発想は微塵も浮かばなかった。
先輩の事務所のドアを叩くなり、赤ら顔を更に紅潮させた先輩が、
「お前、本当にすまんが、この前の1000万ウォンとあと少しでも色つけて、少しったってガキじゃねえんだから、そりゃあお前も今大事な時だと思うが500万ウォンでも色つけてくれ、いや、いずれ、というかすぐに解決して、そうしたらトータル2000万ウォンにしてお前に返すから、どうか頼む」
そう、どちらかといえばいつも横柄な先輩は、懇願し、オマケに後輩のアリラン・プレスリーに頭まで下げた。
こうなるとアリラン・プレスリーも先輩の言葉を信じ、1500万ウォンを急いで工面しなくてはならない。
どうやら先輩の崔は新規開店した超高級レストランが経営不振で、金銭トラブルの渦中、その手形やら何やらに関してとにかく今、ありったけの現金を掻き集めている模様であった。その上、裏にキナ臭い組織の影が見え隠れするのも、普段、勘の鈍い、この後輩にも感じられた。
世話になった、何より、イキナリ、自分に日本行きの1000万ウォンを黙ってキャッシュで差し出してくれた崔先輩のピンチの助けにならねばとの思いから方々を回ったが、どこも口裏を合わせたかの様に、「この不景気がね~」と、ビタ一文ならぬ一ウォン(10銭弱)すら貸してくれず、アリラン・プレスリーは仕方なく街をブラブラするうち、フと目に入った"電話1本で、ご自宅の玄関まで、自家用自動車にて、即刻上限10億ウォンまでお届けします"の看板に記されたテレフォン・ナムバーのひとつひとつの番号に目をやりながら、携帯の数字を押した。
そこが、当然とはいえ、なかなかアコギなところで、日本へ渡るまで10日をきったところ、金を借りて僅か5日かそこらで1500万ウォンは3000万ウォンに膨れ上がった。
韓流無責任男
その間、以前より、アリラン・プレスリーの度々替わる職と、その行動パターンから来る不安定な収入に子供ならびに自分の将来に大きな不安を覚えていた、しかも花粉症でこのところ常に涙目の妻より、離婚届を差し出され、強硬な妻の態度に最早、黙して署名するより他なかった。内心、〈とりあえず応じはしたが、ソレを提出するか否かは妻次第であるからな〉と、ちょっとばかりたかを括った、そのそばで、子供の養育費や慰謝料のことも、役所で貰ってきた膨大な書類を次々と広げ感情を抑制したもの言いにして、極めて現実的でシビアなレクチャーをひと通り受けた。こういう説明に接する時、アリラン・プレスリーは全く集中力を欠き、総てが馬耳東風で、どういう内容の話であれ、早く話を終わってほしいとその場、その場で願うばかりだった。問題の本質的解決と無関係に。
ようやく話が済むと、疲れ果て、憮然としたアリラン・プレスリーは、外へ飛び出し、丁度満月だったまん丸の月へ向かって、「女なんてもうこりごりだ!」と声に出して叫び、次に心の中でとはいえ、勝手に「男は男同士との結婚に限る」といった言葉が出るや、不意に、以前、あのトラジ・ヴィソツキーらの嫌がらせの度に温情を受けた尹青年の発するどうにも表現しがたい香りが、ある感情を伴い甦ると、アリラン・プレスリーの脳味噌の中を白馬が1周駆け巡った。
結局、金策に窮したアリラン・プレスリーは、既に用意だけは準備万端の渡日が近づいた事もあり、85歳、ペースメーカーを身体に埋め込み、いつ如何なる心理的ショックで逝ってもおかしくはないアボジのもとへ赴き、借金の返済、妻との離婚話と生活費の一時金、そして渡日に関する費用を含め、計5000万ウォンを必ず返すからと涙ながらに何度もかの国の作法に則り、這いつくばる様に懇願して訴えた。
額面もさることながら、離婚問題といういらぬ土産を提げて訪れた不肖のひとり息子が、ひと通りの状況と頼みを涙と鼻水交じりに伝えると、アボジの顔はたちまち紅潮し、しばし言葉が出なかった。心痛は文字通り、心臓にも走り、たちまち鼻全体の血管がクッキリと浮き上がり、「ひさご」の様な形状を呈した。
しばし、重く沈痛な空気が流れた。
「嗚呼、ああ、間違いだった。失敗だった、お前という子供の教育が大失敗だということが、今、ハッキリした」
心底から嘆きながら、そんな言葉がアボジの口から飛び出した。
「とにかく、俺は教育に失敗した、ああ、大失敗した」
そう何度も繰り返すアボジの言葉にアリラン・プレスリーは、52歳にもなる息子に、85歳の父親が今更嘆くのは、どうにも妙なものだと、一瞬、吹き出しそうになったが、同時に至極情けなくもあった。しかしどうあれダラダラしている場合ではない、そもそも、今こうして事情はどうあれ、親不孝の種を蒔いたのは自分であることだし、腹筋に力を込めて複式呼吸をして気を落ち着けた。
大きな前進、大きな逃避
教育に失敗した52歳の息子のため、アボジは特別なサイフから必要な金を用立てた。先輩や金融業者のもとを回り、1000万ウォンとプレスリーの衣装を持って、4日後、どうにも重い気分を背負ったまま、アリラン・プレスリーは仁川(インチョン)ではなく金浦発羽田行きで、遂に日本へ渡った。
窓から見える日本の地形が、だんだんと、ビル、高速道路、ゴキブリの大群が自動車になり、その次に、蟻の様に蠢くものが人間達とハッキリしていく。
「やはり味噌くさいもんだなあ」
日本の土を踏んだ時のアリラン・プレスリーの咄嗟に出た感想はそんな素朴なものだった。
それから、本人曰く、「まさかの話ではあるが」サクセス・ストーリィの第一歩となる"本格韓流"と謳う小岩のキャバレーへ辿り着き、若いボーイから出入りの貸おしぼり他各業者、宅配便、地回りのチンピラ他、総てのキャバレー関係者及び訪問者へ歩み寄り、いちいち慇懃にたどたどしい日本語で挨拶した。
そして、お馴染みの衣装を纏い、ステージに上がり、カラオケで「珍島物語」、「雪国」、「恋人よ」など知る限りの日本のヒット歌謡を歌った後、「黄色いシャツ」、「ノムハムニダ」、「釜山港へ帰れ」などを披露して、それなりの拍手を浴びた。
気をよくしたアリラン・プレスリーは、「それではコレハドデスカ?」と、李博士のディスコ・メドレーを韓国内でも一番よく知られた並びで、「アッサ!」「チョワ、チョワ!!」など自ら合いの手を入れ、声色も真似て、アカペラでズンズン身体を揺さぶりながら演ってみたが、先程の「おおっ」という拍手が何かの間違いであったかの様に居合わせた店長、及び黒服他一同は呆気にとられてポカンと見ていた。
韓国人ホステスの通訳を借り、「皆さん李博士を知りませんか?」と尋ねるが、誰一人として首を縦にふる男はいなかった。
が、女の、つまり同じく渡日してきた同胞ホステスらの何人かの中から失笑が漏れ、やがて、大声で笑い出す二人の年季の入ったホステスが口々に「シンパラム!」と言いゲラゲラ笑いながら、互いの体をパンパン叩き合っていた。
「!?......」
ちょっと、その辺、怪訝なまま、ステージを下りたアリラン・プレスリーだったが、やはり一瞬にして「ハッ」と反応してしまうあの種の香りと共に近づき、目の前で「こっち」と手招きする32歳のボーイの運転する車で、一旦、店から徒歩15分の寮へ荷物を置きに行った。
寮といっても、6畳ひと間にユニットバス・トイレの付いた古い2階建てのアパートであった。
尚、ハッとしたあの香水の32歳のボーイは、李博士について若干の知識があり、彼に言わせると、「ああいう店で働くおっさん達は解りませんよ。むしろ、若くて音楽にうるさい......マニアック解りますか? そういう人達にはウケるんじゃないですか? いやでも、もう知ってる人も少なくなりました」ということだった。そしてしばらく間が空いてから、交差点の大きなフマキラーの看板を指し「そういやあピークの頃、キンチョーのTVコマーシャルにも出たっけな」と呟いた。アリラン・プレスリーも既にそれは知っていたが、何だか香りも含め、この数日の慌しさから早起きからない交ぜになった眠気を感じ「......」と特に反応を示さずにいた。
陽は沈み、初日のステージはまずまず。李博士メドレーなどはやらず、「釜山港へ帰れ」や「雪国」などで無難に初日を済ませた。