第1回 はじめに 山姥に導かれ
3年ほど前のことになるだろうか。そもそものきっかけはインターネットだった。自分が子どもの頃見ていた「まんが日本昔ばなし」の話がいくつもアップされているのを知った私は、子どもたちを誘って夕飯の後などに、一緒に見るようになっていた。ある日「牛方と山んば」だったか「三枚のお札」だったか、多分その両方だったと思うが、恐ろしい山姥に追いかけられるこれらの話を一緒になって見ていてふと思った。山姥の出てくる話って他にもあるのだろうか。ためしに「山姥 日本むかしばなし」としぼりこんで検索してみると、たちまち10近くの話がひっかかってきた。夢中になって上から順に見ていくと、そこには、実にさまざまなタイプの山姥が存在していたのだ。仲人をする山姥、子どもを生み育てる山姥、おなかをすかせた子どもたちに果物をたらふく食べさせてくれる山姥、孤児に糸つむぎを教えて励ます山姥。もちろん化け物タイプの山姥もいるものの、その人間味あふれるやさしさに思わず胸打たれてしまうような山姥も沢山いた。
これは何を意味するのだろうか。自然の二面性、つまり恵みをもたらすと同時に災害ももたらす、そういう大自然への畏怖が、山の神の末裔としての山姥の二面性を表しているという大雑把な説明もできるかもしれない。しかしそれだけでは説明がつきそうにもない。安易な定義を拒むかのような「山姥」のキャラクターの広がり具合に私はたちまち魅せられてしまった。
妖怪とはそもそも、古い神の神性が薄れて俗化し、堕落していった姿だといわれる。では、山姥とはそもそもどのような神だったのか、そして人々が親しみや恐怖を覚えつつ作り上げていった山姥像にはどのような願いや恐れが表れているのだろうか。
山姥の伝承は日本のあちこちに残り、山姥神社なるものが存在する所もある。山姥が信仰の対象となった背景には、その源流が存在すると思われる。多くは豊作や子宝をもたらす神として祀られていることからもわかるように、その起源はアニミズムの時代にまでさかのぼるだろう山の神や姥神だ。姥神もまた、「おんばさま」「うばさま」などと呼ばれて長く人々に信仰されてきた。本連載は主に姥像残る場所を訪ね、姥神とその土地の人とのかかわりに思いをはせることで、姥神とは何者なのか、そのイメージは何を意味するのか、山姥、巫女、橋守など多様なイメージが交錯する姥神に、人々が抱いてきた信仰について考えてみるエッセイである。
絵・文字 松井一平
シンガー・ソングライター、エッセイスト。1981年東京生まれ。大学時代に結成したバンドThousands Birdies' Legsで音楽活動に入る。2006年、ミニアルバム『愛し、日々』でソロデビュー。2015年には7作目となるアルバム『楕円の夢』を発表。音楽活動のかたわら文筆家としても活躍。著書に『評伝 川島芳子』『愛し、日々』『原発労働者』『南洋と私』がある。