目の前ににんじん。
二月某日 晴
二度目の緊急事態宣言のもとで、数独期が始まってしまう。
わたしの人生には、ドラクエ期、手持ちの長篇マンガを読み返す期、数独期などが順ぐりに訪れるのだが、この中でもっともまずいのが、数独期なのである。
案の定、数独期第一日めから、順調に一日平均二時間を数独に費やしてしまう。
一日平均二時間ならば、たとえばドラクエ(昔ながらのもの)を開始するやクリアするまで毎日のようにおこない続けることにくらべ、ましではないかと思われるむきもあるだろう。
けれど、ドラクエならばクリアしてしまえば、また数十巻あるマンガならば最後まで読んでしまえば、そこでしまいになる。ところが数独には、おしまいがないのだ。
そのうえ不思議なことなのだが、ゲームも本も途中でやめることはそれほどつらいことではないのに、数独だけはものすごい依存性があるのか、解くのをやめて日常に戻ることが、たいへんに苦しい。

ネット依存という言葉があるが、数独の方が、じつはネットよりも数段依存性が高いのではないか。
昨夜も、「激辛数独」と、ちびた消しゴムとシャープペンシルを枕元に置いたまま、寝落ち。
真夜中、ふと目覚めたら、ちびた消しゴムが頬の下に入りこみ、消しゴムのかたちに頬がくぼんでいた。
二月某日 曇
数独期、去らず。
でも、「やめなければ」と気張ると、かえってやめられなくなる自分の性格を知っているので、「午前中に原稿を書けたら、その後に十五分だけ」「午後の原稿の後に、十五分」というふうに、「目の前ににんじん」方式でのぞむ。
せっかくの緊急事態宣言なのに、前回の緊急事態宣言の時のように家の掃除にはげんだり、庭の草むしりを熱心におこなったりする時間が、ほとんどなくなっている。それもこれも、すべて数独期が始まってしまったせいだ。
が、よく考えてみれば、新型コロナの感染拡大が始まる以前は、掃除にもはげんでいなかったし、草むしりもさぼり続けていたのだ。そして、数独に依存してこそいなかったが、かわりにふらふらと飲みに出たその翌日のふつかよいにより、無駄に寝床の中で何時間かを過ごしたりしていたわけだ。
どのような環境下においても、自分は勤勉で実直な生活ができないことを、新型コロナははっきりと証明してみせたともいえよう!
と、むだに胸をはりつつ、この原稿を書き終わったら十五分数独ができる......と、目の前のにんじんをうっとりと見つめているこの一瞬である。

二月某日 雨
ようやく数独期が去りつつある。
というか、家にある二冊の「激辛数独」をすべて解いてしまったのだ。
このままゆっくりと数独期を見送るために、決して新しい「激辛数独」は買わないよう決意。
午後、解き終えた二冊の「激辛数独」に書きこまれたすべての鉛筆書きの数字を、消しゴムで消し始める。今消しゴムを使っているのは誰? ここはどこ? と心の中でつぶやきながら、結局一冊全部を消し終える。
二月某日 晴
大きな猫三匹をしたがえた知人が、コートのポケットにもさらに小さな猫三匹をひそませて遊びにくる、という夢をみる。
起きると、すべての文字を消すことによってよみがえった「激辛数独」が、寝落ちした自分の顔のすぐ横に。
もしかすると、夢の中の猫は、数独本を象徴しているのか? 大きな「激辛数独」三冊と小さな「激辛数独」三冊を持って、知人が遊びにきてくれるという予知夢?
二月某日 晴
数独から離れるために、しばらくほうっておいたドラクエウォークをふたたび始める。
依存から抜け出すために違う依存に移行する......。
どう考えてもまちがったやりかただが、ドラクエウォークという、さほど没入を必要としないゲームが存在していたことに心から感謝しつつ、「おひなさまスライム」を討伐しに、近所のほこらに出向く。
久しぶりに浴びる太陽が、まぶしい。ああ、自分はなんと健康的な生活に戻ったのだろう、と感動しながら、ピンクの巨大な「おひなさまスライム」の待つほこらまで、ゆっくりと歩く(言うまでもないことだが、もちろんこの生活も、ちっとも健康的ではありません......)。