東京日記

川上弘美 絵 門馬則雄
第239回

掃除機とフェンシング。

一月某日 晴

 緊急事態宣言がふたたび出され、来週おこなう予定だった会議が、急遽リモート会議に変更される。

 メンバーの一人から、電話。

「パソコンはあるんだけど、いったいどうやってズーなんとかとやらいうものに参加したらいいのか、わからない」

 とのこと。会議を主宰する会社の人が教えてくれるのではないかと言うと、

「教えてもらったけど、よくわからない」

 と。

「Zoomと検索すると、アプリが出てくるから、インストールすればいいんだよ」

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「アプリ? インストール?」

 要領を得ないこと、はなはだしい。どうやって説明していいか、途方に暮れる。そして、一昨年の暮れに、新しいパソコンと初めてのスマートフォンを買いにいった時の自分を思いだす。

 アプリだのソフトだのクラウドだのジョブズだの、ふだんはまったく自分とは無関係な単語が突然大量に目の前を通りすぎていった時の、あの茫然自失感。

 パソコンやスマホで何かを始めようとしても、いったいどこをさわってどこを動かしてどこに進めばいいのかさっぱりわからなかった時の、あの虚無感。

 それらをすっかり忘れ去り、生まれてから今までずっとパソコンだのスマホだのを駆使してきたような気分になっている今の、勘違い感。

 たった一年と少しで、ここまでオンライン関係のことに関して図に乗った気分になっている自分をかえりみ、深く反省。

 でも、電話の相手には、結局「ズーなんとか」への参加の方法をうまく説明すること、かなわず。しかたないので、

「わたしでもできたんだから、絶対にできる」

 と、意味のわからないはげまし方をして、電話を切る。

 

一月某日 晴

 リモート会議。

 電話をしてきたメンバーも、無事参加している。

 終わってから、電話がまたくる。

「川上さんでもできたんだから、と思ったとたんに、するするアプリをインストールできた」

 とのこと。お役にたてて、光栄です......。

 

一月某日 曇

 某D社の、たいへんに吸い込み力の強い掃除機を、衝動買い。

 ネットで、値下げがなされていたからである。

 新型コロナの日々が始まってから、ネットでの買い物があきらかに増えているが、以前からの「衝動買いは実用品にかぎること」という決まりは、今でもほぼ守られている。

 が、いくら実用品だったとしても、掃除機という大きなものの衝動買いは、いかがなものか。

 夕方まで、反省。

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一月某日 晴

 某D社の掃除機が、送られてくる。

 重い。一番軽いものを選んだのだが、重い。片手で持つ、コードレス式のものである。そういえば、以前読んだ『フランス人は10着しか服を持たない』という本に、たしか、日々の生活の中でシェイプアップをする、という項目があり、そこには、

「掃除機をフェンシングの剣のように持ち、ずいずい掃除する」

 と書いてあった。

 読んだ当座は、まず掃除機を片手で持つ、という情景が理解できず、その後コードレスの掃除機の存在を知るも、日本製のコードレスの掃除機はたいへんに軽やかであるため、いくら片手で持って「えいっ」と、フェンシングのまねっこをしても、たいして鍛えられないではないかと、ずっと不審に思っていた。

 けれど、この某D社の掃除機ならば、片手で持ちフェンシング様の動作をおこないつづけたなら、かなり上腕が鍛えられること必至である。アメリカ人である著者も、某D社のコードレス掃除機を使っているのだろうかと、突然の親近感が。

 ちなみに、『フランス人は10着しか服を持たない』を読んだ理由は、わたしが一つの季節にほぼ一種類のコーディネイト分の服しか持っていないから。おしゃれなフランス人と自分を同一視しようともくろんで読んだのだが、フランス人は10着しか服を持っていないにもかかわらず、さまざまなコーディネイトをおこなっている、という内容を読み、怒って棚の奥にしまいこんだのだった......。

  • 第243回  赤い鳥小鳥。
  • 第242回  生まれてはじめて見ました。
  • 第241回  いろんなくらくら。
  • 第240回  目の前ににんじん。
  • 第239回  掃除機とフェンシング。
著者略歴

川上弘美(かわかみ・ひろみ)

作家。1958年、東京生まれ。著書に、『センセイの鞄』『ニシノユキヒコの恋と冒険』『七夜物語』『猫を拾いに』ほか多数。「東京日記」シリーズは、『卵一個ぶんのお祝い。』『ほかに踊りを知らない。』『ナマズの幸運。』『不良になりました。』ほか、最新刊『赤いゾンビ、青いゾンビ』も好評発売中。

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