第19回

メザシの土光さん伝説──国鉄分割民営化への情報戦

 解散、総選挙が近づいている。

 民主党と自民党の違いのひとつが「族議員」の影響力だろう。かつて強固な支配体制を築いていた自民党では、特定の省庁の政策に詳しく、人脈、金脈を培って政策の決定権を握る族議員が跋扈した。

 族議員は、党の政務調査会・政策部会に所属し、当選回数が増えるにつれて関係省庁の政務次官、政策部会長、国会の委員長、大臣へと出世の階段を上った。業界の要請を受けて政策を左右し、政治資金と票を得る。自身の利権を守ろうとするため、政策がタテ割りで硬直化した。族議員は自民党支配の諸悪の根源と批判された。
 
 が、その一方で政策に通じ、官僚がつくった案の不備を指摘して一目置かれる族議員もいた。民主党には、そのような政治力と政策立案力を兼ね備えた族議員は少ない。労働組合や特定の業界の色がついた国会議員はいるけれど、トップが代わるたびに消費増税のような基本政策がころころ変わる。結果的に財務省中心の官僚に頼った政策が打ち出され、国民のニーズとかけ離れていく。
 
 どっちもどっちである。永田町で政策に明るく、利権にまみれない政治家を求めることは、八百屋でパソコンを売ってくれというようなものなのだろうか。

 土光敏夫を神輿に担ぐ第二臨調は、「第四部会」を中心に国鉄分割民営化へと突き進んだ。しかし、どんな臨調答申を出そうが、自民党の運輸族議員が了解し、政策の党議決定を経なければ、国会で法案は通せず、政策を実行できない。運輸族の砦、自民党交通部会を掌握するのは、政策通の加藤六月と、弟分の三塚博だった。国鉄の幹部、縄田国武常務は加藤六月とは旧知の仲で、持ちつ持たれつ。ふたりは政界と国鉄でキャリアを積み、国鉄の現状維持を強く望んでいた。

 第四部会にとって、加藤六月が押さえる交通部会は難攻不落の砦と映った。いかに攻め落とすか。そこで重要な働きをするのが、「3人組」といわれた国鉄内の若手改革派、井手正敬・経営計画室主幹(1959年入社、のちにJR西日本社長)、松田昌士(まさたけ)・職員局能力開発課長(1961年入社、のちにJR東日本社長)、葛西敬之・経営計画室調査役(1963年入社、のちにJR東海社長)である。

 この3人組と、第四部会の事務局調査役で行管庁の官僚・田中一昭(現・公益財団法人大学基準協会専務理事)が気脈を通じ、分割民営化策を練る。田中が、葛西と初めて会ったのは1981年5月だった。田中は、国鉄自体が策定した「経営改善計画」への葛西の疑念を感じ取り、急接近した。一方で葛西は運輸族の三塚博にも会い、そこには井手や松田も同行している。3人組は労務政策を担当してきた。国労べったりの労務政策を正し、職場の規律の乱れを直したい、と三塚に強く訴えた(『さらば国有鉄道──歪んだレールは直さねばならぬ』三塚博、ネスコ出版)。

 国鉄解体への突破口は巨額の累積債務だった。とともに職員のヤミ給与や突然の欠勤(ポカ休)、業務怠慢がはびこる職場環境も、国鉄自らが臨調でさらした弱点だった。
 土光を乗せた神輿の下で、族議員と臨調関係者はマスメディアを巻き込んで激しい神経戦をくり広げる。土光は、さまざまなプレーヤーの暗闘をどこまで知っていたのか......。

 1982年1月23日、朝日新聞が「国鉄乗務員のカラ出張」のスクープを掲載した。国鉄の東京機関区の検査係が運転検査で添乗するはずの寝台特急列車に乗らず、過去10年以上にわたって年間千数百万円のヤミ手当を受け取っていた、と報道したのである。この記事を契機に、メディアは国鉄の職場環境の乱れを一斉に書き立てる。人びとの目が国鉄の労使一体の悪慣行に吸い寄せられた。

 世間の関心が国鉄に集まる2月5日、自民党に「国鉄再建小委員会」が発足した。いよいよ運輸族が反攻の狼煙(のろし)を上げたかに見えた。委員長には三塚が就く。兄貴分の加藤六月は、ロッキード事件に関与した「灰色高官」の噂が流れ、役職につきにくい状態だった。

 第四部会の加藤寛部会長や住田正二、屋山太郎ら中心メンバーは、「あれは臨調潰しではないか」と色めき立つ。臨調内に警戒感が高まった。すると三塚は自ら加藤寛に連絡をして、臨調の邪魔はしない、国鉄の実情を調べるに過ぎないと伝えた。三塚はすでに国鉄内改革派の3人組とも会っている。加藤六月ら運輸族の大半が民営化反対を打ち出すなかで、形勢がどちらに傾くか、三塚はしばらく様子見を決め込んだようだ。加藤六月への対抗心も頭をもたげてくる。あわよくば自分が運輸族の頂点に立とう、と......。再建小委員会は、職務規定に焦点を絞り、分割民営化という経営形態には踏み込まず、議論を重ねていく。
 
 2月5日には、もうひとつ、大きな出来事があった。読売新聞が、再建小委員会の設立にカウンターパンチを浴びせるように、一面トップで国鉄緊急対策をスクープした。第四部会が検討予定の「当面とらなければならない措置」を明示したのである。

 その内容は「国鉄資産の売却」「国鉄職員の新規採用停止」「給与の抑制」「ヤミ協定の廃止」「新幹線整備五線計画の凍結」など10項目に及んだ。あえて分割民営化には触れていない。この国鉄緊急対策は、じつのところ、まだ第四部会では話し合われていなかった。では、誰が何のためにつくり、読売にリークしたのか?
『国鉄改革──政策決定ゲームの主役たち』(草野厚、中公新書)は、次のように明かしている。


「(分割民営化の)経営形態論だけ議論していては、国鉄や自民党の反撥が強くなるばかりであり、具体的に話をしなければいけない。そのように考えた(第四部会)事務局が、年末から一月にかけ、国鉄の葛西ら改革派と協議の上、作成したものであった」


 事務局の田中と3人組が打ち合わせ、優先すべき緊急対策を読売に流したという。臨調側は経営形態論の本丸を落とすために、緊急対策という外堀を埋めにかかった。メディアの国鉄叩きが過熱するなか、三塚の再建小委員会も職務規定などの外堀に触れざるをえない。第四部会が課題を先取りすることで、再建小委員会の審議を牽制したと考えられる。
 事務局と3人組の連携戦術は巧妙だった。

 読売のスクープでは、財界の分割民営化への本音も露呈している。確かに国鉄の経営再建や職場環境の立て直しは、大義名分ではある。が、財界の欲得がらみの本音はそうではない。その狙いは緊急対策の第一項目「国鉄資産の売却」である。

『国鉄処分──JRの内幕』(鎌田慧、講談社文庫)によれば、前年暮れの第四部会に呼ばれた運輸省OBの自民党長老議員・細田吉蔵は次のように蜜の味を語っている。


「国鉄は国に次ぐくらいな大地主です。そして経済的に価値の高い場所を持っていますから、大切であります。このいい場所をホテルをつくる、デパートをつくるということで、どれだけ国鉄財政に寄与するか、その点を十分に考える必要があります。(略)東京付近の貨物駅などというのはずい分広い土地があるんです。何かそれを有効に使う方法があると思います」


 国鉄緊急対策がリークされて間もなく、「日本プロジェクト産業協議会」(JAPIC・斎藤英四郎会長)は「汐留地区再開発計画」をまとめた。貨物用の汐留駅は、明治期の鉄道開通以来、生活物資の中継駅として使われてきた。しかし荷物輸送の担い手がトラックへと移るにつれて衰退。機能を停止して駅を潰せば、東京ドームの4.5倍の広大な更地が生まれると予想されていた。そこで汐留再開発が急浮上したのである。

 この時期、日本の国土開発は地方での大規模プロジェクト建設から、都市中心部の再開発へと転換しつつあった。方向転換を促す圧力のひとつは、経済のボーダレス化によるグローバリズムの潮流だ。80年代に入り、米国、欧州、東アジアの三極構造での「24時間金融システム」が現実のものとなり、国際金融都市・東京の機能整備を求める声が高まった。内需拡大を求める国際的な動きも活発化してくる。

 JAPICのメンバーに、重厚長大産業や金融、商社、運輸などの大企業が顔を並べている。都市再開発への民間参入を強く求めた。ほどなく建設省は建物の容積率の引き上げ策を次々と打ち出し、都心部に超高層ビルが林立し始める。国鉄の土地資産の売却が、そうした都市再開発の起爆剤に位置づけられていたのは紛れもない事実だ。やがて臨調側で国鉄解体に携わったキーパーソンたちは、汐留跡地の再開発プロジェクトを筆頭に「分け前」をしっかり手にすることになる。

 分割民営化策は「理」と「利」と「情」を複雑に絡ませながら、転がっていった。

 1982年3月17日、第四部会の加藤寛、住田正二、屋山太郎と自民党の加藤六月、三塚博、細田吉蔵ら運輸族が初めて対面した。臨調委員の瀬島龍三と自民党の橋本龍太郎が場を設えた。この席で、加藤六月らは分割民営化に反対し、7月末の第三次基本答申では「過激な案を出さないように」と第四部会にクギを差した。国鉄幹部は運輸族にすがって現状維持に向けて必死で画策する。

 しかし、第四部会は軌道を修正せず、5月15日、基本答申に向けた部会報告をまとめた。それは国鉄幹部、運輸族議員にとっては衝撃的な内容を含んでいた。


一、経営形態は地域分割を基本とし、北海道、四国、九州を各独立させ、本州は数ブロックに分ける。分割は5年以内に速やかに実施する。

二、改革手順は、政府が①国鉄事業再建の緊急事態を宣言、②緊急措置を実施、③答申の基本方向の確認、④新形態への移行計画をつくる「国鉄再建監理委員会」を総理府に行政委員会(国家行政組織法3条に基づく委員会で独立性が高い)として設置。所要の立法措置と予算措置を講じ、国鉄を新形態に移行させる。国鉄の理事会は廃止する。

三、緊急にやるべき措置は、①職場規律の確立、②新規採用の停止及び要員の合理化。


 この部会報告で最も重要なのは、分割民営化の移行計画をつくる「国鉄再建監理委員会」のあり方だ。第四部会は、「行政委員会」あるいは「3条委員会」と呼ばれる、非常に独立性が高く、権限の強い組織の立ち上げを選択した。

 国労(国鉄労働組合)、動労(国鉄動力車労働組合)、全施労(全国鉄道施設労働組合)は、部会報告に強く反発した。運輸族の首領、加藤六月も5月17日の再建小委員会で、第四部会の佐々木事務局長を前に臨調自体を痛烈に批判した。国会を無視する「枢密院」と言わんばかりだ。


「専門委員、参与というのは国会議員の上に存在するような発言を随分されておりますが、憲法を読み返しますと、国会は最高の決議機関であり、唯一の立法機関である。このように書いてあるわけでありますが、そのことは言いません。ということは、道路運送車輛法を論議するときに、あの答申をお書きになった人の一部を、国会へ参考人として呼びたいということを表明したときに、一部の筋から強い拒絶反応が出てきました。国会へも出てこない」(『国鉄改革』草野厚)。


 国鉄幹部は、まだ十分に巻き返せると考えながら、運輸族を介して反対に動く。ただ、現実的には部会報告は土光ら臨調委員の審議にかけられ、基本答申が政府に提出される。その後の国鉄の命運は「国鉄再建監理委員会」が握る。そことの関係を断ち切られたら先行きが見通せない国鉄幹部は、当初、国鉄内に再建監理委員会を置くべきだと主張したが、自民党にも拒絶され、独立的な権限の強い「行政委員会」案にのった。国鉄幹部とは同床異夢の3人組も第四部会の行政委員会がふさわしい、と賛同した。

 ところが、行政委員会案に真っ向から反対する巨大勢力が現れる。運輸省である。運輸省は、管轄下にある国鉄の民営化計画を独立性の強い行政委員会に明け渡せば省益を著しく損なう。運輸省は、国家行政組織法第8条に基づく「審議会」のような「8条委員会」を自らの内部に設け、影響力を行使したいと考える。再建監理委員会は8条委員会でなければならない、と論陣を張った。

 国鉄側は、死んでも運輸省の指図は受けたくないと拒んだ。感情的しこりの根には、出自にまつわる名門意識がひそんでいる。そもそも国鉄は1920年に創設された「鉄道省」を前身とする。日本の近代化を支えた鉄道省は国家機関の華だった。それが戦争に敗れ、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって解体されて海運行政などといっしょに運輸省にまとめられる。だが、1949年に公共企業体の国鉄として運輸省を離れた。ゆえに直系は由緒ある鉄道省であり、運輸省などという寄せ集めの省ではない、という部外者からすればまことに分かりにくい自尊心が巣くっていたのである。

 運輸省の側に立てば、何を小癪な、プライドばかり振りかざして経営もろくにできないくせに、とささくれる。第四部会の部会長代理で元運輸事務次官の住田正二があっさり分割民営化を受け入れた背景には、そのような対立構図もあった。

 ともかく、国鉄の将来を決する再建監理委員会は、独立性の強い行政委員会か、弱い8条委員会か、意見は大きく割れたのだった。

 土光敏夫は、息子や孫の世代にあたる専門委員やスタッフがくり広げる神経戦を黙って見ていた。85歳の土光には肉体的にも精神的にも過酷な仕事が続いている。臨調の会議は、答申が近づくと、午前、午後の二部立てで行われた。司会役の土光は、めったに個人的な意見は挟まない。その土光が、6月12日の臨調会議で「再建監理委員会」について、珍しく、自説を強く唱えた。当時、非公開だった議事録から、そのやりとりを再録しよう。

 まず第四部会の住田部会長代理が「当初、国鉄は破産状態にあるので、会社更生法を真似て管財人を置いて強力に改革を実行したらどうか」と考えたと説明。管財人の代わりに「再建監理委員会」に至った経緯を説明する。


   住田 「管財人を国鉄に置いて、裁判所的機能は政府(運輸省)が持つということで考えていたが、国鉄内部に
   置いたのでは、うまくいかないのではないか、運輸省がそれを監督することになれば思い切った改革ができない
   と言う意見があって、行政組織上は異例と思うが、従来の延長上で処理したのではダメであり、新しい仕組みで
   再建に取り組まねばいけないことから、行政委員会が出てきた」
   円城寺 「監理委員会の基本任務は分割することにあり、分割後は国が余計なことをしても困る。分割民営化を
   行う担保として、そのようなことが必要であるということではないか」
   加藤寛 「そういうことだ」
   円城寺 「債務の処理も監理委員会に任せるとなっているが、そういうことまで分割する際、諸条件を勘案すると
   なれば、技術的にも非常に難しい。第四部会では、大事な点を議論せず、監理委員会をつくって、そこに任せてし
   まったということではないか。その理屈付けに国鉄、運輸省に任せば新しい経営形態への移行が担保されない
   から、監理委員会をつくったと受け取れる」
   土光 「この問題は......」
   円城寺 「これは質問である」
   土光 「第四部会報告が出ているわけだから、そこで出ている監理委員会構想のアイデアはよいと思う。しかし、
   これについては、もっと詳しく、言及しないと。報告書の考えでいくと、運輸省の機能の一部を停止しなればならな
   い。国鉄がこのような状態になったことは、政府に責任がある。監理委員会については、総理大臣あたりが責任
   を持たなければならない。さらにこれを考えるには分割をしなくてはならず、分割会社を誰が引き受けるかとい
   うことまで考えて対応しなくてはいけない。これを5年以内にやらなくてはいけない。過去に例がない問題だ。
   今日の審議とは切り離して、別途、専門的に研究する必要がある」(「臨時行政調査会第51回会議議事要旨」)


 土光は、円城寺が放つ質問の矢を叩き落とすように「行政委員会でうまくいくかどうかはよくわからない」と議論を引き取った。委員が興奮状態で話を進めるのを警戒している。その一方で、国鉄を分割した会社をいったい誰が引き受けるか、と真情を吐露した。


   土光 「分割会社を引き受ける人がいるかどうかだ」
   円城寺 「先日、財界人との懇談があったので、分割民営化したときは逃げないでほしいと言っておいた(笑)」
   土光 「私は、引き受ける人はなかなかいないと思う」
   円城寺 「会長がそれを言うと、分割民営化はできないと言うことになってしまう(笑)」
   土光 「しかし、いま、分割せざるを得ない。分割に当たっては、地方団体、民間も相当力を貸していただかないと
   うまくいかない。ただ現在は、国鉄問題について努力してみようという人は一人もいない(笑)」
   円城寺 「会長、そのように言ってしまっては」
   土光 「事実、そういうことである。しかし第四部会の理論として分割せざるを得ない」
   円城寺 「今度、われわれ(臨調委員)の意見として言うわけであり、努力してみようという人がいないと言われて
   も」
   土光 「しかし事実いない」


 土光は、分割会社の社長に元国鉄の幹部が横滑りしたり、運輸省の官僚が天下ったりしようとはゆめゆめ想っていなかった。国鉄の幹部や運輸省の高級官僚は、国鉄を破綻させた戦犯であろう。その責任を棚上げして民営化された会社の経営に携わるという選択肢は、土光の頭にはない。正面から分割民営化をとらえ、財政を再建せねばと正論を吐く土光には、神輿に担がれた者の哀しみが漂う。

 再建監理委員会の性格付けをめぐる議論は、7月末の基本答申のギリギリまで紛糾した。行管庁長官の中曽根康弘は、運輸省の協力を取りつけねば国鉄改革は水泡に帰すと考え「限りなく行政委員会に近い8条委員会」という妥協案を口にする。

 臨調と運輸省の綱引きが激化する7月22日未明、政府は「生産者米価の引き上げ」を決めた。土光は、怒った。鈴木善幸首相と初めて対面したとき、土光は臨調会長を引き受ける条件を文書にして突きつけた。「増税なき財政再建」「3K(国鉄、国民健康保険、米)の赤字解消」を必ず実行するよう総理に求めた。鈴木首相は「行革に政治生命を賭ける」と言って条件をのんだ。それから、わずか1年と数カ月。政治家の言葉は鴻毛より軽いのか。

 土光は「総理は増税なき財政再建を果たすという約束を破った」と憤り、稲山嘉寛経団連会長に「政府が政治的理由で米価を上げるなら、おれは臨調を辞める」と伝える。土光の剣幕に驚いた稲山は日経連の大槻文平会長に連絡する。情報は瞬く間に政府に伝わり、大騒ぎとなった。翌日の朝日新聞は「土光臨調会長 基本答申後に辞任も」と一面トップで報じる。瀬島は「私が宮澤(喜一・内閣官房長官)さんに会い、騒動にケリをつけたのです」(『無私の人 土光敏夫』上竹瑞夫、学陽書房)と述べているが、土光の行革担当秘書で一部始終を見ていた並河信乃の証言は違う。

 「土光さんが辞めたら政権が吹っ飛びかねません。土光さんは辞めるつもりはなく、ここで一発かまさないとズルズルいくと思った。ブラフをかましておかなければならんな、と考えたのは間違いない。瀬島さんが何を言ったか知りませんが、中曽根さん本人がすっ飛んできて、慰留されましたよ」

 増税なき財政再建は骨抜きにされ、国鉄再建監理委員会もありきたりの審議会にされかねない。土俵際へ押し込まれた状況で、土光自身、情報戦で反撃に出たのだった。

 朝日が辞任スクープを発した7月23日の夜、こんどはNHKが「85歳の執念 行革の顔・土光敏夫」というドキュメンタリーを放送した。辞任ブラフで政権に揺さぶりをかける「動」の土光に対し、横浜鶴見獅子ヶ谷の古い木造住宅で78歳の妻、直子と質素な生活をする土光の映像は「静」。土光のプライベートが初めてテレビに映った。

 ドキュメンタリーは、土光の半生を追い、行革の争点を浮き上がらせる。オーソドックスな構成なのだが、なぜか国民が注目する国鉄改革にはほとんど触れていない。特殊法人、NHKの限界なのだろうか。番組が終わりに近づき、土光と直子が夕餉の食卓に着く。

「梅干し、こっちにやっときましょうか」と直子が土光にすすめる。
「いいよ」。皿には茹でたキャベツと大根葉、大ぶりのメザシが載っているきりだ。
「キャベツの一番外の葉はよく洗っといてね、茹でとかないと鮮度が落ちるから、茹でといて、大根と一緒に混ぜたの」と老妻。着物を羽織った土光は、焼いたメザシの頭に喰らいつき、バリバリ食べて、ご飯を頬張る。
「どうですか玄米。柔らかいでしょ」
「いいよ。いい」と言って、土光はまたメザシを食べる。
「このころ、カミキリ虫ってあまりいないでしょ。前はイチジクの木があったときなんかはいましたね。今日はね、たまたまきれーいなのが飛んで来たんですよ。子どもに見せてあげようと思って、古い封筒に入れておいたんですよ」と直子が話す。カミキリ虫は、しかし封筒の紙を切って逃げたという。
「(封筒に)穴があいてるの。驚きましたね」
「イワシ、まだある?」
「焼いたのは、ないですけど」
「もういい」。土光はご飯茶わんにお茶を注ぎ、一粒も残さぬように胃袋へ収める。まるで小津安二郎の映画のような慎ましい老夫婦の日常が、そこにあった。

 NHKのドキュメンタリーは、土光信者を一気に増やした。「メザシの土光さん」の映像は大きな反響を呼ぶ。田中角栄は、この映像を見て、「あの人が行革をやるのなら、文句はいえん」と納得したと伝わる。自民党の交通部会は加藤六月、三塚ら福田派の牙城だったが、角栄が賛成に回ったことで中曽根は極めて動きやすくなった。

 だが、せっかくの感動に水を差すようだが、NHKの番組も情報戦の一環だった。経団連の秘書室長、居林次雄が「一か八か」で仕込んだものだ。居林は語る。

 「土光さんは、実生活を絶対に出さなかった。偶然NHKが取材に来て、できればプライベートなところも撮りたいと言う。今まで一線を引いてきたので、本来なら蹴飛ばす話だったんだけど、ちょっと待てよ、と。ちょうど土光さん、イワシをもらったところで、食べるかもしれない。いいチャンスかも。
 それで土光さんに『今晩NHKが行きますよ』と伝えたら、ギョッとされました。ダメダメと言われたけど、ちょっと泣き落としを入れてね。了承してもらいました。でも、その夜、メザシを食べるかどうかは分かりませんよ。一か八かでした。ええ、食べ方がよかったです。あの歳で虫歯は一本もありませんでした。土光さんが私生活にカメラを入れたのは、あれが最初で最後でしたねぇ」

 7月30日、国鉄の分割民営化を盛り込んだ第三次基本答申が提出された。国鉄再建監理委員会は総理府に置かれる。中曽根が提案した「限りなく行政委員会に近い8条委員会」という妥協案に落ち着いた。国鉄改革の主戦場は再建監理委員会へと移る。分割民営化に向けて、さらに山あり、谷あり、激しい攻防が続くのだが、土光臨調が果たした役割は大きかった。

「個人は質素に、社会は豊かに」。土光が貫いてきた生き方をも、行政改革の情報戦は消費し、権力と利権のゲームが展開された。

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