私、子どもできたけど、どうしよう~子どもについて、本音で聞かせてください!~ 犬山紙子

私、子どもできたけど、どうしよう~子どもについて、本音で聞かせてください!~ 犬山紙子

犬山紙子 イラスト=箕輪麻紀子

第3回 子どものいない友人たちに話を聞いてみた
~Cちゃん(独身・38歳)の場合~

前回は、子どものいない友人に「子どもを持つこと」についてどう思っているのかを聞いて、そのアンケート結果を紹介しました。子どもを産むことについて自分の本当の気持ちすらわかっていなかった私は、「人の考えを知ると、自分の考えも浮き彫りになる」と深く思いました。素直に意見を聞かせてくれた、友人たちに感謝!

ではでは今回も、アンケートの続きを見ていきましょう。


「当たり前のように子どもが欲しい」
Cちゃん(独身・38歳)の場合
出版社勤務のCちゃん(独身・38歳)は、激務に追われながらも、ふんわりと人を包み込むような空気を持つ女性。友人思いで、私のこともよく気にかけては励ましてくれたり、会うたびに手土産を渡してくれたり、誕生日には私が絶対喜ぶ愛犬グッズを作ってくれたりと、その気遣いにいつも癒されております。

それだけ周りのことをいつも気にしてくれているから、やっぱり友達から恋の相談を受けることが多いみたいで、Cちゃんとの会話では女友達の恋愛事情にまつわる話が多い。私もブログで人の色恋をテーマに書いていたことがあり、そこで意気投合したのでした。

そんな彼女は「理由なんて考えたことないくらい当たり前のように子どもが欲しい」という、"かなり子どもが欲しい"派。
「昔から子どもが自然と欲しかった」と言う人に出会うたび、私にはその気持ちがわからなくて、自分には母性みたいなものが欠如しているのだろうかとずっと悩んでいました。人と話していて「子ども欲しいよね?」前提で話が進むたびに戸惑ったっけ。人間いろんな考え方があって当たり前だよなーとむやみに悩まなくなったのは最近のことです。

しかし、自然と子どもが欲しくなるという感情はどういうことなのか......、Cちゃんと私は、いったいどこが違うんだろう。

「生命の最大の神秘、命を授かって産む、という体験をしてみたいのかもしれない。好きな人の遺伝子も残したいし、子育てもしたい。子どもがいないと参加できない人生のイベントにも参加したいし、家族を増やしたい。好きな人ができると自然とその人の子どもが欲しいって思うよ」と、Cちゃんは言う。

うーん、やはり私とは違う。
私は「子どもの面倒を見ることが苦手」だから、子育てには正直「辛そう」というイメージばかり。
でも彼女は「子育てをしてみたい」というとおり、かなりポジティブに捉えている。
私にとってその感覚こそ自分とは違うと感じる部分なのだけど、続く言葉で少し理解ができた。

「自分個人として自分のための欲望みたいなものが年々少なくなって、この先自分のために何かを頑張るというモチベーションを保てる自信がない。誰かのために頑張りたい」

誰かのために何かをしてあげたいっていう、Cちゃん。だから子育てをしたいと思っていて、私にも喜びそうなことを考えて世話を焼いてくれる。私のような自分大好き、自分本位人間には想像できない発想である。誰かのために頑張りたいという「神様か!」というぐらい立派な気持ちの裏には、ただ性格が良いってのではなく、こういった理由があるんだなあ。

それにしても、私はなぜこんなに自分本位、というか自分の趣味や仕事の優先順位が一番になったのか。それは母の介護を20歳からずっとやっていることに繋がっていると思う。
遊びたい盛り、働きたい盛りの20代を自分以外の人に捧げるのは、誇らしくもあり、自分の時間が全くない強烈な辛さがあった。あの当時書いていた文章を見ると「介護をして生きる自分をいかに肯定するか、いかに介護を辛いと思わないようにするか」というテーマばかりで、そのしんどさをよく物語っている。今はそのリバウンド中だから、好き勝手にだらけて遊んで仕事したいのだろう。
子育てにネガティブなイメージがあるのも、まだヘルパーさんがそんなに来なかった時代のかなり重労働な介護を思い出すからなのかもしれない(何度も腰を痛める、夜中に何度も起きなければいけない、ちょっとでも遊んだら罪悪感が生まれるなどなど書ききれないのですが、いずれこのことも詳しく書きます)。もともと自己中という性格(昔から人によく言われる)なのももちろん関係しているとは思いますが。

だから、私はもし子どもができても絶対働きたいのだけど、Cちゃんは「仕事を続けるかどうかは環境と相手次第でどちらでもいい」とのこと。この答えは彼女が仕事をたっぷり満足いくほどに頑張ってきたからこそ出るのかもしれない。


そして、「子どもを持つ友人を見てどう思うか?」という質問への回答が私の心をグサリと刺した。

「5年前なら『大変そ~』と思っていただろうことも、今はただただ全てが羨ましく感じる」

Cちゃんの5年前といえば33歳、ほぼ今の私の年齢だ。今、私は子どもを持つ友人を見ると「きっと幸せなんだろうな......でも私にあんな大変なことできるのかな~」という気持ちになる、まさに当時のCちゃんの気持ちとリンクするのだ。Cちゃんと私は性格が真逆と言っていいかもしれないけど、子どもが欲しいと思い始めた私も5年後同じように思うかもしれない。それは私が一番恐れている「子どもを作らなかったことへの後悔」に繋がる。「今同い年で2人の子持ちの子とチームを組んで働いているのだけど、彼女たちの旦那の愚痴や、仕事の合間に子どもの服を買いに行く姿や、泣き叫ぶ子どもの横で夜ご飯作りながら仕事の電話していたりする姿を見て、ますます子どもが欲しくなってしまったよ......」

でも、Cちゃんが羨ましく思うのと同様に、彼女たちもCちゃんを羨ましく見ているのかもしれない。自分の時間があって、仕事にも集中できて、友人とたくさん会えて、趣味に没頭できて。

「私の場合は本当に子どもを諦めたら、はじめて産まない人生の楽しみが見えてくるのかもしれないなあ。産んでも産まなくても、パートナーと一緒に決めたことなら、これが私たちの生き方!と思えるんだろーなあ」

きっと人生どんな選択をしても、後悔や人を羨ましく思う気持ちなんてものはずっとあるのでしょう。子どもを作らなかった後悔に苛まれることに、ビビり倒していた私。今も正直めっちゃビビっている。でも、考えて悩んで行動するうちにきっと強くなるものなのかなと思う。

お母さんの介護に悩み苦しみながらも、ちゃんと介護をしたと胸を張って言える今、あの時代を素直に受け入れられているのと同じように。

なんか最終回みたいな終わり方しましたが、ぜんぜん最終回ではございません。いやあ、この連載はどうにもエモくなってしまってかなわないや......。