春、特に4月はいやなものだと思う。なんかこう、にわかにむわむわしてきて、空気が生ぬるくなってくる感じがいやだし、気分もあまり良くない。生活が変わるからねー、というもっともらしい理由もあるのだろうけれども、もっと理屈では説明できないなじめなさがある。良いことといえば、花が咲くことぐらいで、花が咲かなければ、4月になど価値はないと断言したい。いろいろなイベントを付与されているため、なんだか一年の中でも重要な月であるかのように振る舞っているけれども、入学式とか年度始めといった要素を取り払い、花も咲かないとしたら、11月にも匹敵するレベルのどうでもいい月なのではないか4月。いや、11月はまだ祝日が多いし、晩秋の陰鬱さには、温かいお茶を用意したり、本格的に暖をとり始めるというような静かな楽しさもある。しかし4月。ちゃらちゃらしている。もうあんまり寒くもないし、特に用意することもない。昼間はまだしも、寒くも雨降りでもない夜中は、動きがなさすぎて居心地が良くない。春が嫌なのなら、3月や5月はどうなのかというと、3月は下旬になるまではまだ冬の延長のようなものだし、5月は新緑の季節であるせいか、空気が全体的に入れ替わってさわやかな感じがする。一年の空気の濁りをもっとも溜め込んだ状態、それが4月である。
4月を良く思っていない人は、表面的にはあまり現れないのだが、よくよく話を聞いていくとけっこういる(この欄の担当編集者さんもその一人だという)。特に、花粉症の人などからしたら、物理的に迷惑千万な季節であるのに加えて、わたしのように、単に気分が悪いという人もいるだろう。生活の変化も好きではないし、個人的に踏んだり蹴ったりの4月なのだが、一つだけいいところがあって、それはやたら眠れることだ。
帰宅して、どうしようもなく疲れているわけでもないのに、いろいろなことのやる気が湧かず、テレビも本も頭に入ってこず、旅番組の録画を再生してぼーっとする。いつでもそんな感じといえばそうなのだが、4月はそれが顕著である。わりと予定が入りやすい時期でもあるため、一人でいた日は極力じっとして、頭を使わないよう心がける。その後、うとうとして、いつのまにか寝入る。「春眠暁を覚えず」の暗示にかかっているのか、4月の睡眠には、他の時期にはない重さがあって、それが、寝入る前と寝ている間は心地好い。寝ているうちに、身体が苔むしていくような感触の重さだと思う。寝るのが好きな人には、あの、自分からどんどん小さい植物が生えてきて(菌類でも良い)、そちらに意識や体力を吸い上げられていくような感じはたまらないだろう。のしかかるようではなく、降り積もるような、春の眠りの重さである。このまま土に返れたりしないのか。しないか。起きた時の気分の悪さ、自分は起床という不自然な状態に追いやられている、という違和感も、4月は格別だ。
冬は布団の温かさを取り込むのに必死だし、夏は身体と敷布団の接着面すら暑苦しい。秋口も悪くないが、夏みたいに暑いなあ、と思っていたら、すぐに冬みたいに寒くなるのが秋である。なので、気温にかまわず、入眠することをもっとも純粋に楽しめるのは、春だけなのかもしれない。
ザ・ブルーハーツの「ハンマー」の、外は春の雨が降って僕は部屋で一人ぼっち、という有名な一節の「春」には、聴き手それぞれに投影する時期があると思うのだけれど、わたしには断然4月である。花見に行くようになる前は、本当に4月にはこの歌の「春」だなという価値しかなかった。今もときどき、わたしは部屋でうとうとしながら、雨が降るのをじっと待っている。ただ、桜が咲いている間は花が散ってしまうので、葉になった後に、思う存分降ってほしい。そんな配慮をするたびに、自分はちんけな大人になったと、嘲るような気分になる。

