第四十五回

緊張のオシロイバナ

 皆さんにとって、オシロイバナはどういったポジションの野草だろうか。ああ、夏の盛りだな、という所感だろうか。うふふきれいね、という評価の方もいるだろうし、すり潰して手が赤くなった子供の頃の記憶に頬を緩める方もいるだろう。わたしは以下だ。「オシロイバナが あらわれた!」。出たオシロイバナ。そして後じさり、オシロイバナが咲いている側とは反対側の進路を取る。オシロイバナ怖い。

 いろんなものが苦手だが、個人的なワースト100には安定してランクインしているオシロイバナが、夕方の散歩道に現れるようになってしばらく経つ。わたしは、頼む早いうちに枯れてくれ、と懇願しながらオシロイバナを避け、遠くから、夕闇にも負けずにどろりと赤く咲いている様子を恨めしく凝視する。オシロイバナは、どうもたくましい野草なのか、けっこう至る所に咲いていて、油断すると視界に入ってくるのが厄介である。そんなに嫌われている花でもないようなので、撤去してくださいとも言えない。

 何が苦手なのかって、においが苦手である。甘くて生臭くてきつい、すごく押しつけがましい、これでもか!というにおいだとわたしは認識していて、半年に一回ぐらい、「オシロイバナ くさい」「オシロイバナ 臭い」などと検索をかけて同志を探してみるのだが、未だ、オシロイバナのにおいが苦手だという記述を見かけたことがない。唯一、わたしの友人の、中学だか高校だかの先輩(男性)が、オシロイバナのにおいがだめだったという話を耳にしたことがあるのみで、もちろん、その縁遠い先輩という人と、オシロイバナの嫌さについて話し合ったこともない。

 別の友人と道を歩いていて、オシロイバナを発見した時に、このにおいがどうにも嫌だ、と打ち明けた時も、「え、においなんかせえへんで?」という反応だった。まあ、その友人は当時ちくのうだったのだが、とはいえ、そんな障害もおかまいなしに、オシロイバナのにおいはべっとりと張り付いてくるイメージがある。

 わたしは、鼻がよく利くので、オシロイバナはそのポテンシャルを全開にして、わたしの嗅覚に訴えかけてくる。ここよおおおオシロイバナよおおお。わたしがどのぐらい鼻が利くかというと、隣の市の火事の臭いを自宅のぼやと勘違いしたというぐらいで、そんな人間にとって、「嫌いなにおい」は地獄なのだ。

 わたしは、海沿いの田舎に住んでいた小学校低学年の頃から、漠然とした「夏のにおい」に頭をやられるという感覚を持っていて、夏は夏休みがあるし、海に遊びに行けるからうれしいんだけど、あのにおいだけはな、とずっと思っていたのだが、大人になって改めて、あの「夏のにおい」の半分ぐらいは、その辺の道端に咲いているオシロイバナが原因だったんだと気が付いた。残りの半分は、今も判明していないのだが、とにかく、堤防の傍の、むらむらと名も知らぬ植物が自生しまくっている、大きな茂みのにおいがすごく苦手だった。その奥にだいたいエロ本が落ちているのも、おおっと思いつつ不気味だった。あれは本当に何だったんだろうか。海に遊びに来た人が捨てていったんだろうか。それとも何かの罠だったのだろうか。とにかく、わたしの住んでいた団地の近くにはよくエロ本が落ちていた。

 オシロイバナを見かけるたびに、そういう夏の日の記憶がぶわっとよみがえってくる。あの田舎で過ごした夏休みは、あまりにも輪郭がはっきりしていて、おそろしくきついにおいをしていたために、1年や2年でもう一生分の夏をやってしまったような気さえするのだ。だからわたしは、毎年のように夏に辟易している。毎週海で泳いだし、くらげもつかまえまくった。あの海際の道のにおいは、忘れようにも忘れられない。自分の中の夏の器は、小学1年から3年の夏ですでに満たされてしまった。その後何をやったとしても、あの夏休みに敵う強烈さはない。

 そんな中で、唯一追いすがってくるのがオシロイバナなのだと言える。知ってるわよあなた夏が大好きだったでしょう? 今もあの夏休みに戻りたいんでしょう? でも、どうしたって戻れないことを知っているから、わたしはオシロイバナが苦手だ。

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津村記久子(つむら・きくこ)作家。1978年、大阪生まれ。著書に、『君は永遠にそいつらより若い』(「マンイーター」より改題、太宰治賞)、『ミュージック・ブレス・ユー!!』(野間文芸新人賞)、『アレグリアとは仕事はできない』、『ポトスライムの舟』(芥川賞)、『ワーカーズ・ダイジェスト』(織田作之助賞)、『とにかく家に帰ります』など多数。12月10日に中央公論新社より最新作『ポースケ』が発売。