第四十七回

夏休みの黄昏

 みなさん、夏休みの宿題は終わりましたか? わたしはまだ終わっていません。毎日毎日ツール・ド・フランスの録画ばかり観て、乱脈な生活を送っていたせいです。いろいろなことがあり、自分に夏休みを与えることにしたとはいえ、この夏にやった顕著な行動が、パソコンにセキュリティソフトをインストールしただけというのが、我ながらひどいと思います。9月以降、わたしはどれだけ苦しむのでしょうか。

 そういうわけで、暑さで心身の全パフォーマンスが低下する8月も終わった。もう、どれだけ時間が早く過ぎると体感してもいいので、丸めてゴミ箱に投げ捨てたい度が年々上がっている日本の8月である。それでも、子供の頃は夏休みがあるので8月は楽しみな月だったのだが、それも20日までの話だと思う。あれ、なんか、永遠に続くと思ってたのに、あと11日しかないんだなあ、でもそんなにあったらじゅうぶんか。そして次の日、あと10日かあ、と思う。そのまま落ち着かない感じでだいたい25日まで過ごし、あと一週間、と気づく。それでもまだ一週間あると思う。だってそんなに長い連休もないし、冬休みの1月1日まで来た程度だと思えば軽傷だ。そして28日に、あと4日と思う。これからゴールデンウィークだと考えよう。そして、そして......。

 夏休みの終わりは、ひたひたと確実にやってくるのである。大量の手を付けていない宿題を引き連れて。黄昏(たそがれ)、という言葉があるが、まだ自分の中で定着していないので、夕方をたそがれ時と思うことはまずないのに、夏休みが終わる感触こそはたそがれだと理解している。やばい。じわじわ終わる。魔法が解ける。

 そういう時にこそ、わたしは忙しく動き回っていたと思う。もう、人生が終わっていくことにじっとしていられないとばかりに、友達の家に押しかけて、宿題の共同作業に従事していた。だいたい、国語を担当していて、人手が足りなければ英語も少しやったと思う。数学の問題を解いた覚えは一問もない。長期の休みごとにそういうことをやっていたような気がするので、わたしはたぶん、まともに5教科の宿題をしたことがないのではないか。だからこんな偏った人間になってしまったのか。

 けれども、勉強の一環としてはどう考えても間違っているのだが、仕事としては優れたシステムであったあの共同作業は、今も興味深いと思う。ああすると、全員が自宅でばらばらに苦労するはずが、一日か二日会合を持てばあら不思議、5教科分のワークがまあまあ見られる程度に埋められるのである。あまりにあのシステムが好きで、そのことを小説に仕立てたこともある。誰が言い出したのか定かではないが、あれは悪知恵ではなく純粋な知恵である。得意なことには知恵を貸し、不得意なことは堂々と知恵を借りろという。

 それ以外にもわたしは、「宿題をやる」という名目で、実に日常的に友達の家に入り浸っていた。高校の宿題も、友達の家でやっていたと思う。中学は同じだったが、別の高校に進学した友達の家を毎日のように訪ね、毎度拝借していたCDラジカセにソニック・ユースなどを突っ込んで聴いていたら、ある日、「実はそれ妹ので、使うなって怒られたんやけど」とおずおずと言われたこともあった。あれは今でも鮮烈に覚えている「恥」の感覚である。何回も行っていたせいか、油断して表札を見ずに隣の家にのしのし入っていってしまったこともあった。驚くのは、玄関で靴を脱いで、廊下で見たこともない小型犬に遭遇するまで、隣の家に入ったということに気が付かなかったことである。わたしは、すたこらと隣の家を後にした。幸い、家主さんには見付からなかった。

 今、一人で文章を書く仕事をしていて、無性にあの時のことが懐かしくなる。時間に追われながらも、気心の知れた誰かと作業を手分けしたくなるのである。どの中学生さんか、高校生さんか、わたしを宿題の集まりに入れてもらえないだろうか。古典は苦手ですが、現国はまあまあできます。代わりに、随筆などのネタ出しをお願いします。実質書くのはわたしなんで、簡単なお仕事だと思います。

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津村記久子(つむら・きくこ)作家。1978年、大阪生まれ。著書に、『君は永遠にそいつらより若い』(「マンイーター」より改題、太宰治賞)、『ミュージック・ブレス・ユー!!』(野間文芸新人賞)、『アレグリアとは仕事はできない』、『ポトスライムの舟』(芥川賞)、『ワーカーズ・ダイジェスト』(織田作之助賞)、『とにかく家に帰ります』など多数。12月10日に中央公論新社より最新作『ポースケ』が発売。