第五十二回

ボタンと夢想

 女はボタンが好きだ。いきなりで恐縮だが、こういう決めつけの中でも、女性のボタン好きは、インド人とカレー、ドイツ人とビールほどではないにしろ、OLとパンケーキぐらいは信憑性の高いものであると思われる。OLという言葉が死語に近いものなんじゃないかということについては、このさい問わないでほしい。

 11月22日はボタンの日であるという。なんでも、日本海軍の制服に金地桜花のボタンをつけたネイビールックが採用された日だからなのだそうだが、そんなことは関係なく、女はボタンが好きだ。これに類する断言に、母親というのは、ボタンをやたら瓶に貯め込んでいる、というものがある。瓶かどうかは知らないけれども、わたしの母親も、相当ボタンを貯め込んでいるそうだ。わたしも、洋服を処分するときは、必ずボタンを取り外して、裁縫箱の中にしまう。何か、別の洋服のボタンが取れてどこかにいってしまった場合などに、それを使用する。異論があるかもしれないけれども、わたしは、形と色と大きさが同じなら、それまで付けられていたものとデザインが多少違っていることは問わない方だ。とにかく、おいらが集めたボタンを再利用できる! ということが大事なのだ。

 女性のボタン熱につけこんでか、街では最近、ますますボタンを見かけるようになった。ボタン専門店は当たり前のように点在しているし、手芸洋品店ではない雑貨の店でもボタンはガンガン売られている。わたし個人としては、アメリカ製の、透明な袋にいろいろなサイズと形のボタンがぎゅうぎゅうに詰め込まれていて300円だとか500円という商品が気になって仕方がない。いやいや不揃いのボタンをそんなに持ってて何に使うんだよって感じだが、あれが無性に欲しい。上の段落では、ボタンの再利用について暑苦しく肯定しているが、ボタンには、ただボタンであるというだけの価値もある。何に使うのか。ときどき袋から取り出して、並べて眺めて楽しむんだよ。

 ボタンに限らず、手芸用資材は貯め込みがちになってしまうものだ。先日も、ロハスフェスタという大きなバザーのようなものに行ってきたのだが、手芸用資材を売る店と見るやいなやかっ飛んで行き、目を血走らせて物色していた。うおおこれは舶来のトーションレースだよ、2メートルが5本セットでこの価格とは! などと、同伴した友人にやはり暑苦しく語るのだが、わたしの生活及び人生の周辺で、トーションレースが使用された形跡はこれっぽっちもない。何に使うのか? ただ持っているだけなのである。それではあまりに悲しいというのであれば、わたしは、あれこれ考えるためにトーションレースや変わった色柄形のボタンを入手するのである。いうなれば、心地よい夢想の原材料こそが、使用されない手芸用資材なのである。作ることはすばらしい。しかし、作らないこともまた、心の糧になるのである。だから、身の程を超越した手芸用資材を買ってしまう人間は後を絶たず、わたしもその一人なのだ。

 ボタンは中でもコレクション性の高いものだ。えーボタンが? と疑問に思われたあなたは、最寄りのユザワヤのボタンコーナーにでも行ってみるといい。ごく普通のボタンから、原材料の高いボタン、繊細な文様が彫り込まれたボタン、アメリカ人が度を超した洒落を発揮して商品企画したメガネとかお城とかのボタンなど、小一時間ボタンにまみれられること請け合いである。ボタンを手にして考える。あのコートの一番目か二番目のボタンだけをこれにしてみる、ブックカバーに付けてみる、手持ちの服のどこかになにげに付けてみる......。夢は無限に広がる。

 小さい頃わたしは、母親からもらったボタンをフィルムケースに入れて、大事に持っていた。動物の形にくりぬかれたもので、ときどき床の上に並べて悦に入っていた。それはボタンで、服やら何やらに付けるんですよ、ということはまったく考えず、眺めているだけで心が満たされた。ボタンは、サイズの限られた小さな実用品でありながら、静かな愉悦ももたらしてくれる。また、トーションレースとは違って、男性でも身につけやすい。男も女も、ボタンを好きになりましょう。

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津村記久子(つむら・きくこ)作家。1978年、大阪生まれ。著書に、『君は永遠にそいつらより若い』(「マンイーター」より改題、太宰治賞)、『ミュージック・ブレス・ユー!!』(野間文芸新人賞)、『アレグリアとは仕事はできない』、『ポトスライムの舟』(芥川賞)、『ワーカーズ・ダイジェスト』(織田作之助賞)、『とにかく家に帰ります』など多数。12月10日に中央公論新社より最新作『ポースケ』が発売。