寒い......。こみ上げるように深刻な声音で言うが、寒い......。いやわたしは寒いのが好きな方だけれども、立ち上がって水をくみに行ったり、用を足しに行く程度のことでも、かなりがんばって心を決めなければいけないのは困りものである。
寒さに対する最大限の努力はしているつもりである。靴下を3枚履くとか、レッグウォーマーだって重ね履きだとか、部屋着の上からシャカシャカ素材の裏地の付いたズボンを身につけ、綿入れ兼ガウンみたいなでかい上着も着る。お湯を沸かし、ひたすら温かいお茶を飲む。そして、夜中じゅう起きて電気をつけている罪滅ぼしに、ストーブは450W以下の使用に限定し、エアコンもつけない。それでべつにそこそこやれているのでいいのだが、わたしはずっと物足りないものを感じながら、何か大切なものを見送ったまま生きているような気分でいる。
こたつである。わたしの部屋にはこたつがない。どころか家全体にもこたつがない。祖母が生きていた10年前まではこたつがあったのだが、母親が、こたつ布団の洗濯がわずらわしい、という非常に単純な理由で取り払ってしまった。書いていて、心ない......、とわたしなどは思ってしまうのだが、母親は母親なりのうっとうしさを感じていたのだろう。かくして、うちの家からこたつが消え、こたつのない生活を10年ばかり送っている。
子供の頃は、暖房器具の出てくる順番というものを意識していたように思う。まず秋も深まった頃に石油ストーブが姿を現す。その次にこたつがでんと食卓の代わりに設置される。こたつと共に、問答無用の真冬がやってくる。その感じは、両親・弟と暮らしていた4人家族だった頃もそうだったし、親が離婚して、母親と弟と祖父母の5人家族になってからもずっと続いていた。家族の絆、という言葉を持ち出されると気持ち悪くていやなのだが、祖母がずっとそこに入ってテレビを見ていたこたつがなくなってから、わたしは本当に、家族と食事をするということも、テレビを見るということもなくなった。みんな忙しくなったのだ。そして、興味の対象が重なることが完全になくなった。ちなみに、わたしが最後に母親とテレビを見たのは、日韓W杯の決勝戦ブラジル対ドイツだ。祖父の危篤の続報を待っていた。あれは夏だったけれど。
一人でこたつに入って何かをしていることもよくあった。手芸が好きなのだが、日曜日のたびに、漫才の番組を見ながら、母親のミシンを借りて、こたつに入って何か作っていた。あれはあれで幸せな時間だったように思う。このように、わたしはこたつ大好きな人間であるため、せめて自分の部屋にだけでもこたつをおけやしないかと画策したのだが、これ以上部屋が狭くなってもつらすぎるので、泣く泣く諦めた。
こたつから離れて10年、とにかくわたしをこたつに入れてくれ、と考える。この文章を読んでくださっている方には、こたつをお持ちの方、こたつをお持ちでない方、過去にこたつをお持ちだった方など、いろいろいらっしゃると思うのだが、こたつをお持ちでいながらそのありがたみを忘れかかっている方がいらっしゃるならば、脚全体を暖める、という機能において、こたつ以上の才能を持つ器具はない、と泣きながら訴えたい。いやべつに泣かなくてもいいのだが、わたしはときどき、夜中に仕事をするために起き出した時など、泣くほどこたつに入りたいぜということがある。
忘年会の席で、それとなくこたつの有無について問い合わせたら、わたしの友人たちは警戒していただきたい。おもたせなら持っていくし、失礼のないように振る舞うつもりだけれども、わたしがこたつに入って恍惚としたまま、なにも話さず身じろぎもしない、ということがあるかもしれない、と先に申し上げておく。というか、掘りごたつ喫茶はないのだろうか。毎日でも、仕事を持って自転車で訪ねるぞ。いや、よけいに仕事ができなくなるか......。

