第五十七回

厄除け後のゆるゆる

 おにはそと、ふくはうち! やってますか? わたしはもう、30年近くというような単位でやっていない。あの豆をあまりおいしいと思えないからかもしれないし、人に豆をぶつけてもべつにカタルシスを感じない体質なのかもしれない。豆がうまくない、というのは、豆まきの地位をあまり派手なものに確立できない一因のように思えるけれども、あれよりおいしくても、まこうという気にはならなそうなので考えものである。豆まきに抵抗がなかったとしても、一人ではできないのはよくない。豆まきには、豆をまく人、鬼をやってくれる人の最低2人が必要である。そして家庭の父親以外に、「豆まきがやりたいので鬼をやってくれ」と頼むのはかなり勇気がいる。けれども個人的に、鬼の役をやるのはやぶさかではないので、鬼を探している人は一声かけてほしい。

 それよりも節分は厄と関係がある。厄年が視野に入り始めたら、年が明けるという基準が正月から節分に移行していく感触もあるのだが、どうだろうか。12月31日が1月1日になって年が明ける。それは社会的なことで、もちろんめでたいのだけど、本当は、厄の区切りがまだついていない。去年に負った厄はまだ、節分まで続行されると考える。そしたら、年が明けるということだけでは、そんなに簡単に肩の荷は下ろせないはずなのである。いや、まだだ、節分までは油断できない......。などとずっと考えているので、1月は個人的に、つらいモラトリアムを生きている感触がある。

 ここ5年ぐらいの節分は、大聖観音寺(あびこ観音、あびこさん)という大阪市住吉区のお寺に行っている。厄除けの観音様として有名らしく、毎年けっこうな人数が、平日にもかかわらずお詣りに行く。わたしも昼間に一人で出かける。結構な人数、と記したが、十日戎における、ヤバイどうしよう人が多すぎる、というほどではなく、お願いしたい内容も、厄除けという「マイナスをゼロに」という、防御的な意味合いの強いものなので、雰囲気はけっこう粛々としている。わたしも、きわめて義務的な顔つきで出かける。でも、密かに出店を楽しみにしている。あびこさんは、専門の屋台だけでなく、地元のお肉屋さんや和菓子屋さんがお店を出していて、わたしはとてもそういうのに弱いので、からあげと厄除けのおまんじゅうを買ってほくほくと家に帰る。あまりに毎年行っていて、同じ道の出店の一つ一つに熱い視線を送りながら帰るので、2年連続で、会社の部長の奥さんがわたしを見かけたそうだ。なんだかそういう話を自慢にも思うので、なんとなく全体的にテンションは低いものの、わたしは節分のお詣りがかなり好きなのだと思う。

 2月3日は祝日ではないため、平日の微妙な曜日に当たることもあるので、その場合は有休を取ってお詣りをし、からあげとおまんじゅうを買って家に帰ったら16時、というような、これまた微妙な時間に帰宅することになる。あびこさんは、大阪の繁華街がある方面とは反対側なので、寄り道はせずにまっすぐ帰るため、けっこう家に着くのが早いのである。うがい手洗いを済ませ、出店で買ったものを食べていたら、おなかもいっぱいになるし、でも仕事をする気もしないので、ぼーっとする。これがもう、完膚なきまでのぼーっとなのである。だいたい次の日は出勤しなければいけないので、時間に限りがあることはわかっている。でも、何をしろと言われているわけでもない。会社の定時までは、あと1時間半ある。エアポケットのようというか、坂道をころころ転がり落ちてきて、不意に手の中におさまったような、不思議な時間だ。

 ぼーっとする、というと、だいたい節分のお詣りの後のあの時間を思い出す。休講や早退で早めに帰宅した時のバリエーションが、わたしには節分の厄除けの帰りということになるのかもしれない。フリーランスになった今も、節分の日の昼間は仕事をしないと決めているので、会社員だった時と同じようなぼんやり感を味わう。これから晩ごはんまで何をしようかなあ、だいたい、買ってきたものを食べてしまったからおなかもすいてないし、今日はお茶漬けでいいかあ。厄除けの使命を完了した後の時間は、ぼんやりとした達成感とぬるい幸福感に満ちている。もう大人になったからあきらめを知ったし、楽しいことに浸かりきっていたら後がしんどいこともわかってきたので、永遠に今日が終わらなければいいのに、と思うことはめったにないのだが、あの節分の夕方は、わたしにとっては数少ない、ずっと終わらないでほしい時間なのだ。

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津村記久子(つむら・きくこ)作家。1978年、大阪生まれ。著書に、『君は永遠にそいつらより若い』(「マンイーター」より改題、太宰治賞)、『ミュージック・ブレス・ユー!!』(野間文芸新人賞)、『アレグリアとは仕事はできない』、『ポトスライムの舟』(芥川賞)、『ワーカーズ・ダイジェスト』(織田作之助賞)、『とにかく家に帰ります』など多数。12月10日に中央公論新社より最新作『ポースケ』が発売。