社会人になって何が気楽って、4月から新しい学校に行くだとか、クラス替えとかがないことだ。いや異動があるんだ、という会社員の方もたくさんいらっしゃると思われるのだが、とりあえずわたしの入った会社は、異動は稀だったし、フリーランスになってからは、異動も何もない。3月も4月もなく、硬化した日常を淡々とこなすだけである。ただ、忙しいかそうでもないか、花見にどれだけ行けるか無理そうかということだけがある。そんなふうに書くと、あらやだ退屈なのねかわいそう、と思われるかもしれないけれども、わたしは変化に弱い人間なので、それが合っていると言える。
そういう人間からしたら、学生だった頃は4月は気の重い季節だった。クラス替えぐらいならまだしも、学校が変わる、もしくは、学校を卒業して会社に入る、なんて、苦行以外の何物でもなかった。「死にに行く」と本気で思っていた。実際、一つ目の会社に関しては洒落にならない状態に追い込まれたのだが、少なくとも、中学や高校や大学に「死にに行」ったことは、そんなに悪くはなかったと思う。それでも、新しい場所に慣れたり、新しい人間関係を構築したりすることは、やっぱり死ぬことの次の次の次ぐらいには、わたしには大変だった。
特に大学への拒否感がひどかったように思う。まず、高校が自転車通学だったので、それまで電車に乗ってどこかに毎日通うという習慣がなかった。それが、自宅から2時間をかけて京都に通うのである。急激すぎる環境の変化であると言える。入学式の日に、梅田が嫌いになった。他府県の方に説明しておくと、大阪府の中心は梅田という所で、6つの路線が乗り入れている電車の地獄のような場所だ。自宅から京都への長い道のりは、この地点を通過しないことには行けないのである。そして、だれが言い出したか「梅ダンジョン(梅田ダンジョン)」と呼ばれる、おまえはロールプレイングゲームかというほどの発達した地下街を擁し、土地勘のない人々を日々くじけさせている。くしくも、それまで梅ダンジョンなどという言葉は知らなかったというのに、大学の入学式の日から「梅ダンジョンめ」と言い出すことになった。梅田がどのぐらいの難易度なのかというと、ドラゴンクエストⅡのペルポイ~ロンダルキア間の洞窟か、ファイナルファンタジーⅢのクリスタルタワーぐらいだと思っているのだが、たとえが古すぎたらすみません。それから十数年、梅ダンジョンを経由する通勤を経て、わたしはそこそこのレベルの梅ダンジョン探索者になったと思う。毎日新聞大阪本社(梅田地下街の西の果て)から、ホワイティ梅田のユザワヤ(梅田地下街の北の果て)まで、まったく迷わずに行ける。何の自慢にもならないが。
ダンジョン探索者としてレベルを上げるのは大いに結構であるが、おそらく4月の入学式やクラス替えの真価とは、そういうものではないのだろう。世の中では「出会い」とされる、人間関係の無理矢理なシャッフルこそがそれである。出会い最高! って人もいれば、わたしみたいに、いいのも悪いのもあるからなあ、という人もいるだろう。生きていて、悪い人もいい人もいるように、いい出会いも悪い出会いもある。新しい人間関係がなんでもかんでも素晴らしいというわけではない。長年にわたって支え合えるような相性の人もいるし、もうどうしようもない、ババとしか言いようのない関係の中に飛び込まされるようなこともある。
浮わつかずに、余計な期待はせず、粛々と過ごす......。長年の「出会わされる」理不尽の中でわたしが得た教訓は、すごく地味なそれらだった。最初のインパクトが大事なんだよ、と言う方もいらっしゃるかもしれないけれども、その振る舞い方を続けられるんならまだしも、どうせ息切れしたり飽きられたりするんなら、ねえ。粛々の状態の中にも、誰か袖振り合う人もいるだろう。そういう人をひそかに、大事にしようと思って生きていけばいいんじゃないのか。
4月は、花見やサイクルロードレースのクラシック中継がなければ、中途半端に暖かくて忙しくて環境が変わる、嫌なだけの季節だと個人的には思う。なので、「4月の自分は死んでいるのです」と思いながら過ごすのも良いだろう。その代わり、家に帰るのがものすごく楽しみになる。それも悪くない。外では、新しい環境の周囲をひたすらぶらぶらして過ごす。そこで見聞きしたものに少しでも興味を持って耳を傾けてくれる人が、おそらくはあなたの袖振り合う人だ。その人の話もただ聞いて、そうなのか、とうなずけばいい。

