第六十七回

アサガオの人たち

 アサガオを植えたのは、小学1年の1学期のことだった。理科の授業で植えた。きみどりのプラスチックの鉢を一人一人与えられて、そこへ先生に土を入れてもらって、種を植えた。小さくて黒い、太った半月みたいな形のその種が、本当に花を咲かせたりするんだろうかと不思議だったが、アサガオは芽を出し、双葉をつけ、順調に育っていった。

 今考えると、あんなに物事が順調に運んだのはあれが最後だったような気がする......、と言うとあまりにおおげさなのだが、そう言っても過言ではないぐらい、アサガオは素直に育ってくれた。小学1年の時点で、わたしはたいてい何をやっても周囲よりうまくいかない子供だったのだが(幼稚園で芋掘りに行けば、変な形の巨大な芋を掘り出そうとしてしまって周囲に迷惑をかけるし、花壇にチューリップの球根を植えてもなんだか歪んで生えてきた)、アサガオだけはちゃんと育ってくれた。

 わたしだけでなく、アサガオがなかなか咲かないとか、その前にだめになってしまった、といった悲惨な話を聞いたことはない。基本的に善良な花なのだと思う。なるほど、あなたはまだすごく若いんですね、じゃあ傷付いたりしないように、ちゃんと育って咲きますよ。アサガオは、そういう気立ての良さのようなものを感じさせる。

 ぶじに花が咲くと、何かやりとげたような気がした。わたしの花が咲いた、わたしの花なのに咲いた、しかもけっこう他の子のより大きい、と小学1年のわたしは静かな感動に心を浸した。葉っぱにさわってみると、ふさふさした毛のようなものが生えていて、不思議な感触だった。担任の先生も、そのことを味わってみてほしいというようなことを言っていた。アサガオの葉の、あのじょわっとした感じは独特のもので、今も植物の葉を見ると、毛が生えているかいないかを確認してしまう。

 わたしのアサガオはちゃんと咲いてくれたが、友達のTさんの鉢植えのアサガオは、もっと大きかった。学校に置いていた鉢植えを、家に持って帰っていいよと言われてから、わたしは初めてTさんのうちに遊びに行った。まだ梅雨が明けておらず、強い雨が降っていた。一度家に入れてもらってから外に出て、わたしはTさんのアサガオの大きなことに感心して、ぜひ摘ませてくれと頼んだ。わたしはアサガオの花をすりつぶして、手をありえない色に染めるのが大好きだったのだ。しかしTさんは、今考えたら当然と言うべきか、わたしの申し出を丁重に断った。

 ちなみにTさんは、6人きょうだいの5番目という、わたしと同学年としてはかなり稀少な立場の女の子だった。病気をして、小学校の入学式から数日の間学校に来ていなかったというのも個性的で、何か特別だ。着席する人のいない、名前のシールだけが貼られた彼女の机を眺めながら、どんな人なんだろうと思っていた。わたしが休み時間に鉄棒で遊んでいると、見たこともない背の高い女の子がやってきて、遊ぼう、と声をかけてきた。それがTさんだった。

 基本的に気の優しい子だったのだが、アサガオを摘まれるのはかたくなにいやがった。わたしは自分の思慮のなさを今もときどき思い出して恥ずかしくなる。あの時点に戻ってやり直したい、と思うことは多々あるけれども、このアサガオの一件もその一つである。Tさんは小学1年の女子なのに、よく怒るでも泣くでもなく、静かに断ってくれたと思う。

 アサガオは、好きだとかそうでもないという以上に、花を育てるということの入り口で咲いている花だと思う。どこか無口なイメージもある。アサガオがもし人ならば、おだやかで物静かな、誰の話にも公平に耳を傾ける優しい人だろう。桜みたいな人より、バラみたいな人より、チューリップみたいな人より、こちらを心穏やかにしてくれていつも寄り添ってくれる、得難い人なのではないかという気がする。

 その後わたしはアサガオを育てていないが、アサガオを育てている人は周囲にけっこういる。編集者さんでは2人、ベランダでアサガオを育てている人たちがいるし、わたしがよく読んでいたブログの書き手さんも、アサガオの生育状況をときどき報告してくれていた。みんなどことなく、優しい人たちだ。小学1年のわたしが感心するほど大きなアサガオを咲かせたTさんも含めて。

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津村記久子(つむら・きくこ)作家。1978年、大阪生まれ。著書に、『君は永遠にそいつらより若い』(「マンイーター」より改題、太宰治賞)、『ミュージック・ブレス・ユー!!』(野間文芸新人賞)、『アレグリアとは仕事はできない』、『ポトスライムの舟』(芥川賞)、『ワーカーズ・ダイジェスト』(織田作之助賞)、『とにかく家に帰ります』など多数。12月10日に中央公論新社より最新作『ポースケ』が発売。