第七十一回

田んぼの恐怖

 ここは田舎だなあと思える風景の要素はそれぞれにあると思うのだけれど、わたしにとってそれは田んぼである。田んぼがある=田舎、田んぼがない=田舎ではない、という非常に単純な区分だけが、頭の中にある。本当は、田んぼに囲まれた特急の停まる駅があることも知っているし、田んぼのない山奥があることも理性の部分ではわかっているのだが、小さい頃にその分け方が身に付いてしまったので、それがなかなか頭から出ていかない。

 自分の世界観というものを見出しつつあり、なおかつその輪郭が最も単純だった小学1年の2学期に、わたしは生まれ育った大阪府堺市の住宅地を離れて、阪南町(今は阪南市)というところに引っ越すことになった。家のローンが払いきれなくなった、という、今考えるだに何をしてるんだ親、という理由なのだが、当時はわたしの喘息の治療のため、と説明された。じっさい喘息は苦しかったので、それは仕方がない、とわたしは納得したのだが、本当に何のアナウンスもなく、ある日の朝「引っ越す」と言われた。親もどう説明したものかわからなかったのかもしれない。自分が親ならあの時、どう子供に言って聞かせただろうか、とわたしは今でもときどき考えるのだけれども、そもそもローンを払いきれなくなるような家に住もうとはしないので、それは愚問であると言える。

 とにかく、わたしは「家しかない」という界隈から、「田んぼだらけ」という場所で暮らすことになった。自分はまあまあ都会の子供のつもりだったのだが(それも今考えると言うほどではないのだけど)、それがいきなりこんな何もないところで生活するのか、と衝撃を受けた。その象徴が、駅から自宅までの風景の半分以上を占める田んぼである。わたしはそれまで田んぼを見たことがなかったので、道路から一段低い場所に広がる、えんえんと続く平たい緑のそよそよを、美しいもの、恵みをもたらしてくれるものというよりは、何か自分の生活が耐え難いほど退屈なものになっていくことの象徴のように受け取っていた。結果的に、2年にわたる田んぼに囲まれた暮らしは、それほど退屈なものではなく、住んでいる団地の子供同士の人間関係はひどかったものの、学校では良い友達に恵まれ、そこそこ良い小学校低学年の時期を過ごさせてもらった。けれども、人生で初めて田んぼを見た時の痛切な不安は、今も体の中に残っていて、ときどき、またあの場所に引っ越すということを夢に見る。

 そういうわけで、田んぼは見た目にきれいではあったものの、わたしの生活からアーバンな起伏が奪われてしまったことをあらわすものであったため(だから言うほどでもないって)、視界に入ると不安な気持ちになることがよくあった。大人になった今でこそ、田んぼはきれいだと言えるのだけれども、子供からしたら、立ち入り禁止の緑の空間でしかないわけで、学校の友達とも、ことさらに田んぼについての感慨を話し合ったことはない。田んぼを良いとも悪いとも言い合ったことはない。

 ただ、田んぼは無言の恐怖の対象ではあった。わたしたちはまだ、死を想像することはできなかったが、田んぼに落ちると戻ってこられないかのような気持ちで、田んぼと田んぼの間の道路を登下校していた。「田んぼの中の土はどろどろしていて、落ちてしまうと自分の力では出てこられないんですよ」というようなことを学校の先生から聞いたからなのかもしれない。そして、持ち主のおじさんに死ぬほど怒られる、とも耳にした。なんでそんな怖い空間が、柵もなしに道路の脇にえんえんと広がっているのよ? とわたしはひしひしと理不尽さを感じた。

 さまざまな怖いことはあったが、わたしのクラスの生徒たちにとって田んぼに落ちることは、そのうちの上から三つのどこかに入っていたのではないだろうか。登下校の間に、小学生同士のどんなぎりぎりの攻防があっても、誰かが誰かを田んぼに突き落とすということはなかった。それは禁じ手だったのだ。一度だけ、小学生なりに友達というわけではない、顔は知っているけれども学年が違うので、という生徒が田んぼに落ちたところを見かけたことがあるけれども、その時の、「実際に落ちた人」という存在を目にした際のショックといったらなかった。彼女はただ、田んぼの端っこに立って道路を見上げているだけで、それほどの危機的状況ではなかったのだけれども、わたしは今もその光景を昨日のことのように思い出せる。

 田んぼにはいろいろな表情がある。苗を植える前の何もない時、苗を植えた直後のかわいらしい緑の産毛を生やしているかのような青い時、緑の茎と葉が青空の下に生い茂っている時、金色に色づいて稲穂を垂らしている時。そして収穫の後。落ちてはいけない、突き落としてはいけないのは苗を植えた後~お米が生っている状態の時である。田んぼが湿潤である時期だ。稲がお米を宿すまでの、大変重要な時であるとも言える。

 田んぼについて考えていると、本当のところ、わたしたちは田んぼに入りたくて仕方がなかったのかもしれない、と思う。あんなにどこまでも続く緑の場所に分け入っていきたくない子供はいないのではないだろうか。しかしそんなことをしてしまったら、お米の収穫に支障が出る。田んぼにまつわる怖い話は、田んぼを子供たちから守るために編み出された大人の知恵なのかもしれない。今は、田んぼに入っていきたいとはなんとか思わないまま、お米の恩恵にあずかることができている。

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津村記久子(つむら・きくこ)作家。1978年、大阪生まれ。著書に、『君は永遠にそいつらより若い』(「マンイーター」より改題、太宰治賞)、『ミュージック・ブレス・ユー!!』(野間文芸新人賞)、『アレグリアとは仕事はできない』、『ポトスライムの舟』(芥川賞)、『ワーカーズ・ダイジェスト』(織田作之助賞)、『とにかく家に帰ります』など多数。12月10日に中央公論新社より最新作『ポースケ』が発売。