ドイツのオーケストラの中でヴァーグナーを演奏すると、真に深い幸せにひたることができます。大中小都市どこのオーケストラで演奏しても、「ドイツの皆さん、この作品の最高の演奏法を知り尽くしているんですね」と納得せざるをえないんです。これは、客席で聴くよりも一緒に演奏してみると、その20倍くらいはっきりとわかり、「ウワァ、これはすごい世界だ!」とつくづく思います。言うまでもなく、ドイツ人にとってヴァーグナーは特別な存在です。

 不思議なことに、ベートーヴェン、モーツァルト、シューマンでは、これがそれほど感じられません。ブラームスはその中間くらい。しかしバッハ、 ブルックナー、リヒャルト・シュトラウス、そしてヨハン・シュトラウスやレハールなどのオペレッタの類、このあたりの「濃い作曲家」による作品をドイツ人と一緒に演奏すると、その内容の深さが、臓腑に響いてきますねぇ。

 このドイツ人のすごい音楽表現の仕方、本場だから当然、と片付けてしまうのは簡単ですけど、ではその秘密とは具体的に何なのか......。わかるまでドイツにいてやろうと決心し、22年が経ちました。けれども、いまだに日々新たな発見をし続けている状態です。様々な要素が複雑に絡み合っていて、言葉でそう簡単に説明できることではなさそうです。

 その中の最も大切な事柄の一つは、ドイツ人が和声感覚にものすごく秀でているということでありましょう。面白いことに、たとえメロディーだけを演奏していても、上手に和音を感じさせてくれます。またオーケストラの中で和音を形成している場合など、一つ一つの声部が、絶妙の音程かつ的確な音量、丁度よい色合いで、細胞壁の中に体液をほどよく満たしたアメーバのようになって、心地よくそこにいてくれる、その結果、その和音が最も美しく響くように、そしてその和音の性格が最もよく表れるようになります。このあたり、ドイツ人は本当に上手いなあと思います。生まれつきDNAに織り込まれているのでしょうか。私なんか、何年ドイツにいても、ここの部分だけはどうしてもドイツ人にはかなわなくて、駄目です。

 和音の性格がよく表れると、否応なしに表現は強くなり、深まり、芸術性が本物になってきます。甘美な和音は蜂蜜とバターがとろけるように、厳しい和音は背筋が凍るように。
 さきほど述べました「濃い作曲家」というのは、まさに、演奏するうえで和声が非常に大きなカギを握る作風である作曲家と言い換えることができると思います。やはりこの国では、和声が大切なのです。

 地響きを立てるほどものすごい音量で底鳴りのするコントラバスやコントラファゴットなど、ドイツオーケストラの強みであるとっても優秀なバス楽器も、和音がうまくいくために、非常に大切な役割を果たしていると言えるでしょう。低音が支えてくれると、上の方の声部は楽にそこに乗っかることができるからです。ドイツには、その有名度に関係なく、カラーとして低音が強烈なオーケストラばかりではなく、稀に低音が貧弱なオーケストラもあります。後者は、 ヴァーグナーを演奏してもあまり様にならず、私個人的にはまったく魅力を感じません。

 さて、それではリズムはどうかというと、ドイツ人はひどくでたらめです。
 譜例1のような付点8分音符と16分音符の組み合わせは、ドイツでは3対1の音価になるように徹底されている、という伝説が日本にはあります。

(譜例1)
図1最終.jpgのサムネール画像
 ですが、実はこれは大嘘で、このくらいのやや速めのテンポですと、標準4対1くらいと少し付点をきつめにかけることが多いようです。その度合いも、気分次第で音楽的に変化させているのか、それとものっけから正確に演奏するのが嫌いなのか......。確かに3対1のままですとノリが悪いと言いますか、あまり格好もよくありません。えっ、4対1では割り切れないですって? そこがいいんです! この場合、「楽譜は数学の目で読むべからず」ということで、本当はとても大切なことなのかもしれません。
 
 ところが、こんなこともありました。リヒャルト・シュトラウス『ばらの騎士』の全体練習の際に、譜例2のアウフタクトのリズムが、私の演奏の仕方では違うと同僚が言うのです。

(譜例2)
図2最終.jpgのサムネール画像
 正しくはこうだ、と演奏してくれたのが、譜例3です。

(譜例3)
図3最終.jpgのサムネール画像

 いや、それはシンコペーションという違うリズムではないかと反論しましたが、理解不能、わかってもらえないようでしたねぇ。そう言われて気づいてみれば、確かにそのシンコペーションのリズムで演奏している人が、オーケストラの中に何人もいるではありませんか。

 リヒャルト・シュトラウスのオペラにも、比較的易しい変拍子が出てきます。ドイツ人はそれをぶきっちょなりに一所懸命頑張るのに、たいてい楽譜通りには演奏できず、目も当てられないほどぎくしゃくします。

 日本の音楽大学ではまったく考えられないことですが、ドイツの音楽大学では、リズムを数学的に厳密に訓練するソルフェージュの授業がありません。その必要性が認められていないようです。
 このあたりはさすがに褒められたものではありません。
 
 しかし、リズムの明晰さを欠くために醸し出される低い透明度も含めて、ドイツ人の素晴らしい演奏は成り立っています。また、リズムを数学的に捉えないからこそ、ウィンナワルツのような味のあるリズムが可能になるのでしょう。
 
 ドイツ人の音楽表現の秘密を探る道は、まだまだ続きます。

PROFILE

渡辺克也 WATANABE KATSUYA

1966年生まれ。14歳よりオーボエをはじめる。東京芸術大学卒業。大学在学中に新日本フィルハーモニー交響楽団入団。90年に第7回日本管打楽器コンクールオーボエ部門第1位、併せて大賞を受賞。91年に渡独し、ヴッパータール交響楽団、カールスルーエ州立歌劇場管弦楽団、ベルリンドイツオペラ管弦楽団の首席奏者を歴任。現在ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの首席奏者として活躍中。CDに『ニュイ アムール~恋の夜』『∞~インフィニティ』『リリシズム―オーボエが奏でる日本の美』(以上、ビクターエンタテインメント)、『インプレッション』『サマー・ソング』『ポエム』(以上、ドイツ盤Profil、日本盤キングインターナショナル)など。ベルリン在住。