中学高校時代、アルトゥーロ・トスカニーニこそが、私にとってすべてでした。その当時すでに30年以上昔の旧式の録音ながら、どこを切っても炎が噴き出すような演奏表現に心酔していたのです。

 

 オーケストラのレコードを積極的に聴くきっかけとなったのは、佐原市立(現香取市立)津宮小学校の授業で聴いた「ペール・ギュント」でした。これがたいそう気に入り、東京に出張する父親にねだってそのレコードを買ってきてもらいました。私がピアノを習っていましたスズキ・メソードでは、子供が練習を開始する前にその作品の優れた演奏による教材レコードを聴くことが、非常に大切にされています。ですからそれまでもピアノのレコードはよく聴いていたのですが、このサー・トーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のレコードは、私のオーケストラ人生に決定的な意味を持つ特別な1枚目になりました。

 

 これは面白いということで、それ以降続けて、もともと家にあったオーケストラのレコードを片っ端から聴いてみました。まずスズキ・メソードの副教材として、鈴木鎮一先生が主に往年のSP名演から選曲された『世紀の巨匠による 子と母の名曲アルバム』というレコードがありましたので、こちらもありがたく拝聴、弾みがつきます。

 

 それからブルーノ・ヴァルター指揮のものが何枚かありまして、ベートーヴェン交響曲5番・9番、ミルシテインとのメンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲など、繰り返し何回も聴きました。

 

 どういうわけか、トスカニーニ全集のうちチャイコフスキー4枚組なんていうのもうちにありました。トスカニーニの演奏は表情が厳しくしかもモノラル録音ということもあり、BGMには全く適さないので、あまり一般家庭のレコードラックに並んでいるものではありません。オーケストラはNBC交響楽団、「悲愴交響曲」「マンフレッド交響曲」「くるみ割り人形組曲」「ロメオとジュリエット序曲」、ホロヴィッツとの「ピアノ協奏曲」が収められていました。

 

 これを聴いたのが非常にヤバかったんですねえ。

 

 これらはすべてNBC放送用に1940年代50年代に録音されたものです。電波に乗せて往時の巨大かつ感度の鈍いラジオで聴くと自然に丁度良いまろやかな音になるよう計算されていたらしく、サウンドとしてはあまり魅力的とは言えません。しかし、このトスカニーニのゆるぎない構築性と鋼鉄のように強靭な意志による求心力は、どうでしょう。

 

 さらに叔父から「新世界」と「マンフレッド序曲」を借り、引っ越した先の浦和の市立図書館からありったけのトスカニーニのレコードをかき集め、廃盤になったため入手不可能なものは、浦和高校で大変お世話になった音楽の大橋勝司先生個人のコレクションからダビングして頂いたりもしました。存在する全録音のうち主だったものは、すべて聴いたのではないかと思います。

 

 トスカニーニの録音の大部分は、晩年にNBCによって彼のために創設されたNBC交響楽団によるものです。高額の報酬でコンサートマスタークラスの腕利き楽団員ばかりを集めたそうで、弦楽器群、特に低弦が優秀です。当時の映像で見ますと、最後列の奏者まで弓を目いっぱい使って弾いています。トスカニーニのリハーサルでは、「もっと歌って表現して! 楽曲に生命を吹き込んで!!」ということにほとんどの時間が費やされたようですから、その賜物でありましょう。

 

 トスカニーニファンから月並みだと非難されることを覚悟の上で、私のベストチョイスはと申しますと、やはりレスピーギ「ローマ3部作」でしょうか。ヴェルディやヴァーグナーも素晴らしいですし、「海」や「ダフニスとクロエ組曲」なども秀演ですねえ。あとは、フィルハーモニア管弦楽団とのブラームス交響曲全曲ライヴ。

 

 トスカニーニは、彼が活躍していた時代そしてその後何年もの間、同時代の双璧として音楽プラスアルファの解釈なんて言われていたフルトヴェングラーと比較されることにより、即物主義者と称されていました。19世紀ロマン派の中で、よりロマン主義傾向の強いヴァーグナー派とより古典主義傾向の強いブラームス派が対立していたのと、似ています。しかし時代が下った今日この両指揮者を聴き比べますと、まあ確かにその通りなのですが、それよりも両者に共通するほとばしるエネルギーの質と量が際立ち、すごい時代だったんだなあと圧倒されずにはいられません。

 

 中学生・高校生のくせに、こんな録音を、学校の宿題をしながら聴き、それが終わった夜、今度はヘッドフォーンをして目を閉じコンサート会場にいるつもりになって、時にはノックアウトされ、時には涙しながら、じっと聴いておりました。

 

 これが今、どんなに私の栄養になっているか、はかり知れません。

 

PROFILE

渡辺克也 WATANABE KATSUYA

1966年生まれ。14歳よりオーボエをはじめる。東京芸術大学卒業。大学在学中に新日本フィルハーモニー交響楽団入団。90年に第7回日本管打楽器コンクールオーボエ部門第1位、併せて大賞を受賞。91年に渡独し、ヴッパータール交響楽団、カールスルーエ州立歌劇場管弦楽団、ベルリンドイツオペラ管弦楽団の首席奏者を歴任。現在ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの首席奏者として活躍中。CDに『ニュイ アムール~恋の夜』『∞~インフィニティ』『リリシズム―オーボエが奏でる日本の美』(以上、ビクターエンタテインメント)、『インプレッション』『サマー・ソング』『ポエム』(以上、ドイツ盤Profil、日本盤キングインターナショナル)など。ベルリン在住。