4月20日水曜日13時快晴、私は今、ベルリン・コンツェルトハウス楽屋口向かいのルッター・ウント・ヴェーグナーという由緒正しいレストランの屋外の席で、ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルク総裁のオイジェン・プリム氏と、会食をしています。ルクセンブルクで毎月顔を合わせているとはいえ、仕事に関係なくベルリンで会うのは全く初めてで、いつもとは違う新鮮な気分です。

ヨーロッパの冬は長く厳しいので、春が来るとこうして開放的な屋外で食事をするのが、貴重な楽しみです。前菜はこの季節が旬のホワイトアスパラガス。材料と茹で方によって天と地ほどの大きな差が出てきますから、このような高級レストランのものはとても期待できるでしょう。

はもと優秀な銀行家で、よく「Music needs money」と口にしながら天才的にマネージメントをこなします。このような人物がいるからこそ、われわれはなんの障害もなく快く演奏活動に打ち込め、「われわれの使命は、練習をし、良い演奏をすることです」と応えられるのです。

1989年、ルクセンブルクにあるドイツ資本の銀行に勤めていた音楽愛好家のプリム氏は、記念行事のためにオーケストラを招いてコンサートを開く社命を受けました。そこで彼は、なんと大胆にもウィーン・フィルを呼ぼうとしたのですが、数年先まで予定が決まっており実現しません。それではとベルリン・フィルにトライしますが、こちらも同様でした。そこで親友の音楽学校の校長であるジャン・ヴェナンディ氏に相談します。彼は少し前にプレスブルク・ゾリステンを聴き感銘を受けましたので、プリム氏に勧めました。プレスブルクというのはスロヴァキア共和国首都である現ブラティスラヴァのことで、ジャック・マルティン・ヘンドラー率いるオイストラフの弟子たちによるこのオーケストラこそが、ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの前身です。そんないきさつがあり、プレスブルク・ゾリステンによるコンサートを、ルクセンブルクで開きました。今までコンサートを聴くのみだったプリム氏はこの時、自分でコンサートを企画する愉しみに目覚めたのです。

クセンブルクは18世紀末まで、貧しい農業国でした。しかし19世紀に鉄鉱石と石炭という豊富な地下資源を利用した鉄鋼業がおこり、20世紀半ばまで、国民一人あたりの鉄の生産量世界一を誇っていました。鉄の生産が日本などの労働力の安い国に移っていきますと、ルクセンブルクは金融大国への道をまっしぐらに進みます。スイスと比べると国の規模こそずっと小さいですが、国民一人当たりのGDPはもう10年も前にスイスを抜き、世界一になっています。それでいながら首都ルクセンブルク市を一歩出ると、ヨーロッパ一の規模を誇る自然のまま手つかずの森が広がり、起伏に富んだ丘陵地帯や渓谷にも恵まれている、実に美しい国であると感心せざるを得ません。

またこの国には、周りの諸国から繰り返し侵略を受けてきた歴史もあります。南ベルギーのルクセンブ ルクと接しているあたりはリュクサンブール州といいますが、ここはもとはと言えばルクセンブルクの領土だった地域です。ナチスドイツの被害から立ち直った戦後、ルクセンブルクはベルギーとオランダとともにベネルクス関税同盟を結び、それが現在のEU(ヨーロッパ連合)の起源であることに異論をはさむ余地はありません。EUが国境の意味が希薄な大きな共同体に成長した今、自分たちルクセンブルク人がEUやユーロを作ったと自負しています。EU内における人の移動を自由化するシェンゲン協定が締結されたのも、この国の南に位置する同名の村です。マルチカルチャーということがこの国ではよく大切にされますが、ヨーロッパ中の名手を集めて、国境を越えたヨーロッパのオーケストラを作ろうというアイディアも、この国においてはごく自然なことだったのでしょう。

EU拡大は近い将来ロシアと中国を巻き込み、いずれ日本まで及ぶはず、そのためにジャパーナー(ルクセンブルク語で日本人の意)であるカツヤがこのオーケストラにとって必要なのだ、となんだかよくわからないジョークをプリム氏は飛ばします。「ここまではおらの国だから入ってくるな」なんていう発想がなくなり、世界中でEUのように国境が重要でなくなる日が来たら、どんなに素晴らしいでしょう!

プリム氏がその後移ったクレディェットバンク・ルクセンブルクの職場が寛容で、定年まで外国為替セクションのトップを務めながら、プレスブルク・ゾリステン改めソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの毎月の定期コンサートのために、時間をたくさん割くことができたそうです。ヨーロッパ中央銀行の重役も兼任していたプリム氏だからこそ、ルクセンブルクのスポンサー集めに優れた手腕を発揮できたのでしょう。演奏旅行も多くこなし、ルクセンブルク国内のエヒターナッハ、ヴィルツをはじめ、ブリュッセル、マドリッド、ベルリン、パリ、リスボン、ヘルシンキ、ウィーン、プラハ、ブダペスト、モナコなどのヨーロッパの諸都市、さらには、ニューヨークの国連でEU拡大記念演奏も実現させました。

銀行家の仕事で行った日本にも、いつかソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクを連れて行くことが、彼の次の目標の一つなんだそうです。実はソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルク日本演奏旅行、実現寸前に幻となってしまったことがあったのですが、その計画段階であっという間に台北とソウルのコンサートの契約を取り付け組み合わせてきたのには、私も大変驚きました。

ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの収入は、銀行など企業からの寄付が60%、国からの文化補助が15%、チケット収入が25%となっています。コンサートは1500席のルクセンブルク・フィルハーモニーホールがいつもほぼ満席で、非常に安定した経営と言えましょう。

ルクセンブルクの豊かな資金で呼ぶ協奏曲のソリストは、ロストロポーヴィッチ、ギル・シャハム、ラドゥ・ ルプー、ミッシャ・マイスキー、シプリアン・カツァリス、ワディム・レーピン、マルタ・アルゲリッチ等、世界最高峰の面々です。オーケストラ総裁としてこのようなソリストと個人的に知り合うことができ、コンサート後に一緒に食事をしたりするのが楽しくて仕方がないそうです。今回もベルリンで エージェント回りをしていたわけですが、私と会う前にベルリン・フィルハーモニー・ホールでとあるアポの際、たまたま居合わせたエリザベート・レオンスカヤ を個人的に紹介され、すぐにソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルク客演を承諾してくれたそうで、すごく嬉しいそうです。「こんな楽しい職業が他にあるかい?」とも。

さて、楽しい昼食も終わりに近づきました。いつも、「ルクセンブルクでは、フランスのクオリティー(質)をドイツのクオンティティー(量)で食べることができる」と豪語しているプリム氏ですが、ルッター・ウント・ヴェーグナーのお食事ははたしてお気に召して頂けたでしょうか。

Eugene Prim 4.jpg


Eugene Prim 5.jpg

ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルク総裁、オイジェン・プリム氏 

©Eugene Prim)

PROFILE

渡辺克也 WATANABE KATSUYA

1966年生まれ。14歳よりオーボエをはじめる。東京芸術大学卒業。大学在学中に新日本フィルハーモニー交響楽団入団。90年に第7回日本管打楽器コンクールオーボエ部門第1位、併せて大賞を受賞。91年に渡独し、ヴッパータール交響楽団、カールスルーエ州立歌劇場管弦楽団、ベルリンドイツオペラ管弦楽団の首席奏者を歴任。現在ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの首席奏者として活躍中。CDに『ニュイ アムール~恋の夜』『∞~インフィニティ』『リリシズム―オーボエが奏でる日本の美』(以上、ビクターエンタテインメント)、『インプレッション』『サマー・ソング』『ポエム』(以上、ドイツ盤Profil、日本盤キングインターナショナル)など。ベルリン在住。