前回に引き続き、「予期せず与えられた何かがきっかけで一生が大きく変わる」話です。

 19972月、私は、大野和士さんがセンセーショナルに音楽監督に就任したばかりのカールスルーエ州立歌劇場におりました。この歌劇場では素晴らしい同僚たちに恵まれ、脇目も振らず音楽一筋、本番が終わると、歌劇場の美味しい社員食堂、あるいは近くの「Wolfsbier(狼ビール)」という地ビール屋で、彼らと音楽談義を肴にしこたま飲み千鳥足で帰宅、休日には「黒い森」でトレーニングの山登り、という常に充実した毎日を送っていました。ドイツに来てから師事していたリーバーマン先生宅も電車で1時間と近かったし......。それでも、私がカールスルーエにいた1996年から1997にかけての冬は、12月まるまる1カ月-20℃から-10℃の間を行ったり来たりと記録的に寒かったり、自宅に戻るととても孤独だったり、その当時は自分がものすごく不幸に思われた日々でもありました。

 ある日、アティラと名乗る男から電話がかかってきました。「2月22日から26日まで空いているか?」「ヤー、空いていますよ」「仕事がある。ヘンドラーから電話があるから待っていてくれ」ヘンドラーというのは、ドイツ語で商人という意味です。エージェントかどこかから電話がかかってくるんでしょう、と思いながら電話を切り待っておりましたら、ほどなくかかってきました。「引き受けてくれてどうもありがとう。このオーケストラではアルブレヒト・マイヤー(ベルリンフィル首席オーボエ奏者)やパウル・ファン・デア・メァヴェ(北ドイツ放送交響楽団首席オーボエ奏者)なんかも演奏したことがある。あなたと会うのを楽しみにしている。では、ルクセンブルクで」「ああ、待って下さい。私は初めてでいきなり時間や場所の間違いなどを起こさないように、同じ番号に予定表をファックスで送っていただけませんか?」「予定表はない。大丈夫。アティラの車でルクセンブルクのパークホテルに来れば後は皆で練習するだけだから、間違うはずがない。燕尾服だけは忘れないように」。一方的に電話は切られてしまうではありませんか。なーんか怪しい仕事を引き受けてしまったなー。大丈夫でしょうか? 断ったほうが良いかな......。

しばらくして、ヴッパータール交響楽団時代の同僚でコンサートミストレスのガービーからも、電話がかかってきました。かつてのミュンヒェンコンクール優勝者です。「あんたの電話番号渡したんだけど、ルクセンブルクにいく仕事の話聞いた?」ああ、ガービーが仕掛け人だったのですね。あちらこちらに素晴らしいコネクションを持っている彼女からですから、おかしな仕事であろうはずはありません。あとからわかったことなのですが、電話をかけてきたのは、ヘンドラーという名前の指揮者だったのです。 

シューベルトの「未完成」と「ザ・グレート」というオーボエ大活躍のプログラムですから、とびきり良いリードを楽器ケースに詰め込みました。

さて、私の家から1分のところに住んでいることが判明したヴァイオリン奏者アティラは、気さくなハンガリー人で、車中で2時間半いろいろ説明してくれました。とにかくやりがいのある仕事だ、ヨーロッパ各地のコンサートマスターがずらりと勢揃いして壮観でね、と。本当かしら? もしそうだったら、そりゃすごいでしょう。

 ホテルのチェックインを済ませたものの、これからどういうことが待ち受けているのかわからず、練習時間も迫ったころ、フロントの辺りを落ち着かずにうろうろしていました。そこにホルンケースを携えた男性が通りかかりました。話しかけてみると「日本に何度も行った。チバさんやアイダさん、日本のホルン吹き、皆親切。てんぷら大好き。練習場まで一緒に車で行くか?」と言うではありませんか。車中でいろいろしゃべり10分、大きな吹き抜けのホワイエがあるDG Bank(現DZ Bank)に着きました。

「乗せてくれてどうもありがとうございました。ところで、あなたのお名前をお聞かせ下さい」「私の名はティルシャルです」ええっ、なんということでしょう。耳を疑いました。私はあの有名なホルン奏者ズデニェク・ティルシャルと今一緒にいます。車に乗せてもらって、これから一緒に演奏します。足が震えました。

実に素晴らしいホルンでした。こんな幸せな思いをして良いのでしょうか? 彼からフレーズを受け継いで演奏する時、その音楽性もすべて頂けるように全身全霊を傾けました。

さらに後ろには何と、ミラン・トゥルコヴィッチやクラウス・トゥーネマンと並び当時世界3大ファゴット奏者と称されていた、フランティシェック・ヘルマンが、いるではありませんか!  第一ヴァイオリンは7割方各国オーケストラのコンサートマスター、ヴィオラ、チェロもそれに相当する首席奏者ばかり。すごい音がします。ろくに知らずに、何という恐ろしいオーケストラに来てしまったのでしょう!

そのオーケストラの名は、「ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルク」。鉄のカーテンが東西を分断していた時代が終わり、それまでモスクワでダヴィッドとイーゴリのオイストラフ親子に学んだソヴィエトと東欧の優秀なヴァイオリニストは皆、西側各国に散らばり、オーディションで破竹のごとく勝ちまくり、コンサートマスターになりました。先程のガービーはそれこそ鉄のカーテンが開く前、西ヨーロッパ演奏旅行中に亡命してきたクチです。このオーケストラはそういったオイストラフ親子の選りすぐりのお弟子さんが集まって始めましたから、オイストラフ・キネン・オーケストラということができるでしょう。

夢の中のような、桃源郷あるいは竜宮城に連れて来られたような......、そしてなにより極上の音楽の栄養をいただきました。「怪しい、断ってしまおうか」と思った仕事でしたが、実は心から演奏に打ち込める、私にとって理想のオーケストラでした。もうすでに演奏中に「ぜひまた呼んで頂きたい」と思いました。幸い私の演奏も気に入っていただけまして、望みがかない私はコアな団員の一人となったのです。

こうして私はソリストオーボエ奏者、ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルク、そしてこの直後にオーディションで受かったベルリンドイツオペラ(両立が難しくなり2008年退団)と3足のわらじを履くことになりました。ソリスト業、シンフォニーコンサート、オペラ、世の中に存在するレパートリーをほとんどすべて網羅し、体の続く限り音楽に打ち込みました。

PROFILE

渡辺克也 WATANABE KATSUYA

1966年生まれ。14歳よりオーボエをはじめる。東京芸術大学卒業。大学在学中に新日本フィルハーモニー交響楽団入団。90年に第7回日本管打楽器コンクールオーボエ部門第1位、併せて大賞を受賞。91年に渡独し、ヴッパータール交響楽団、カールスルーエ州立歌劇場管弦楽団、ベルリンドイツオペラ管弦楽団の首席奏者を歴任。現在ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの首席奏者として活躍中。CDに『ニュイ アムール~恋の夜』『∞~インフィニティ』『リリシズム―オーボエが奏でる日本の美』(以上、ビクターエンタテインメント)、『インプレッション』『サマー・ソング』『ポエム』(以上、ドイツ盤Profil、日本盤キングインターナショナル)など。ベルリン在住。