ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの指揮者、クリストフ・ケーニッヒの指揮台脇には、事務局員のアンがいつも、1リットル入りペットボトルのミネラルウォーターと一緒に、 バナナを用意してくれています。このドレスデン出身の指揮者はあんまりバナナばかり食べているので、バナナが入手困難だった東ドイツ時代のトラウマが刷り込まれているのだとか、楽員の間では面白おかしく噂されています。休憩中にそれを食べ終わると、自分のカバンの中からさらにもう1本!
東ドイツ人ばかりでなく西ドイツ人もバナナが大好きです。バナナの形をしていて丁度1本入れることができる、専用のプラスチック製バナナケースもあるくらいで、ケーニッヒばかりではなく、バナナをカバンの中に忍ばせているドイツ人は多いのではないでしょうか。
友人で1990年代にハンブルクに留学中だったオーボエ奏者、森田はちろうさんは、日本一時帰国中に、乗り鉄旅行で磐越西線に乗っていました。四人掛けのクロスシートの向かいに、リュックを持った外国人女性が座っていました。当時は今ほど外国人観光客も多くなく、まして新潟から福島に抜けるローカル線に乗るなんて変わってるなあと思ったそうです。そしたらリュックからおもむろにバナナを取り出し食べ始めたので、「いきなりバナナ食べ始めるなんてドイツ人みたいや!」と思い、話しかけてみましたら、やはりドイツ人、それも同じハンブルクの人だったというではありませんか!
ドイツ人がバナナを食べるようになったのは20世紀に入ってからでしょう。歴史的には、ドイツは紛れもなくリンゴの国です。ヴッパータール交響楽団女性首席フルート奏者のウタは、10時から始まるリハーサルの休憩に、「第2の朝食(zweites Frühstück:朝食と昼食の間の間食)はリンゴと決めているの」と言いながら、いつもカバンからリンゴを取り出していました。これはウタに限ったことではなく、多くのドイツ人に見られる現象です。
おやつとして気軽に果物を食べる、これでドイツ人は食事の際に起こる野菜不足を補っているのかもしれません。
気軽に果物を食べられるのにはいくつか理由があります。まず、リンゴ、西洋ナシ、モモ、ブドウ、キウイなど、ドイツでは皮を剥く手間などかけず、簡単に洗って、というよりハンカチなどで軽くこするだけで、まるごとそのまま食べます。さすがにミカンやバナナは皮を剥きますが、柿も皮ごと食べるので、ちょっと待てと言いたくなりますよね。
特にブドウは、色も大きさもマスカットそっくりのものを、皮ごと種もガリガリと一緒に食べてしまいます。試しに日本のブドウでそれをやってみたのですが、皮は硬く酸っぱいし種はえぐくて、大いに後悔いたしました。ドイツのブドウは、薄い皮とカリッと噛み心地良い種も食べることを前提に、品種改良されているのでしょう。
さらにここ数年、この種類のブドウで種無しのものが開発されました。これを一度に3つも4つも頬張り、口の中いっぱいにブドウを楽しみます。味はマスカットに少し似ていてもう少し甘めでしょうか。また色違いで紫色のヴァージョンもあり、味も少し違います。
でも何といってもさすがに日本の巨峰は、ブドウの王様です。こんなに美味しい果物は、少なくともヨーロッパにはありません。素晴らしいです。種無し巨峰が現れたのですから、次は皮ごと食べられる巨峰ですね。一度に3つも4つも巨峰をほおばって咀嚼する快感。すでに開発されたという情報もありますが、まだ市場にはそれほど出回っていない幻の巨峰なのかもしれません。
さて、巨峰の唯一の欠点は、庶民には高価すぎることです。ドイツ人がするように、洗って小さめのタッパーに入れて、毎日出先で第2の朝食として食べられたら、こんな素晴らしいことはないと思うのですが、エンゲル係数がかなり高くなりそうです。巨峰は、高級フルーツあるいはご馳走といえましょう。
巨峰と並んで、大きくて甘いイチゴ、マスクメロン、高級桃、大玉西洋ナシ、まさに芸術品ですね。こういう芸術的な果物が、日本の果物栽培農家の努力によって、日本の果物界全体のレヴェルを引き上げているのでしょう。ドイツのイチゴもメロンも桃も、日本のレヴェルを期待して食べるとかなりがっかりしますので、私は進んでは食べないことにしています。サイズが小さいのはいいとしても、酸っぱくて、あまり品種改良の努力などされていないのでしょうかね。
ドイツには、高級フルーツという概念がありません。果物は常に安い物なのです。1キロ150円くらいで買える小さくて酸っぱい昔ながらのリンゴ、1キロ250円くらいするフジなどのワンランク上の品種のリンゴ、というように2段階ある以外、他の果物はすべて基本的に1種類だけです。ですから、腹がはち切れるほど食べても、エンゲル係数はほとんど上がりません。
高級フルーツ、大好きです。でも、カバンの中におやつとして気軽に食べられる果物が入っている生活、これもいいなと思います。
果物ではありませんが、たまに見かける、ニンジンをカバンから出してかじっているドイツ人。なんだか馬みたいですが、素朴なドイツ人の一面といえ、19世紀末から脈々と引き継がれたドイツの自然回帰主義が、多少見え隠れするようでもあります。
さて、最近ドイツで出回り始めた美味しい桃、Plattpfirsisch(プラット・プフィルジシュ:扁平桃)。2キロで約400円です。
5月が旬のサクランボ、これも量り売りで、ビニール袋一杯1000円くらいで買えます。もう一つの旬の楽しみは、秋に収穫されたばかりの西洋ナシです。
驚くなかれ、これ3キロで3ユーロ33セント、約400円でした。本場の地の利で、私の大好きな西洋ナシを、飽きるまでいくつも食べ放題! 青いまま収穫され販売されているので、家で追熟させています。
1966年生まれ。14歳よりオーボエをはじめる。東京芸術大学卒業。大学在学中に新日本フィルハーモニー交響楽団入団。90年に第7回日本管打楽器コンクールオーボエ部門第1位、併せて大賞を受賞。91年に渡独し、ヴッパータール交響楽団、カールスルーエ州立歌劇場管弦楽団、ベルリンドイツオペラ管弦楽団の首席奏者を歴任。現在ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの首席奏者として活躍中。CDに『ニュイ アムール~恋の夜』『∞~インフィニティ』『リリシズム―オーボエが奏でる日本の美』(以上、ビクターエンタテインメント)、『インプレッション』『サマー・ソング』『ポエム』(以上、ドイツ盤Profil、日本盤キングインターナショナル)など。ベルリン在住。
渡辺克也公式サイト:http://www.katsuyawatanabe.com/