私が物心ついた時すでに、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(19252012)という絶対的に傑出したバリトン歌手が、声楽の世界にそびえ立っていました。長身の体躯をフルに響かせて得られる豊かな声量と、知性、解釈、テクニック、音楽性、全て兼ね備え、特にドイツ歌曲の分野では他の誰も到達できない卓越した存在だったのです。

 私が芸大のひよっこ1年生の頃、リードの作り方を教えてくれたりお仕事をくださったりしたオーボエ奏者山本晴勇さん(故人)が、「フィッシャー=ディースカウの『詩人の恋』はね、ああいうのを本物の音楽っていうんだろうね。人生そのものだよ」と言って薦めてくれました。丁度LPからCDに移行したての頃で、私のCDコレクションの中の最初の3枚くらいの1枚です。何百回聴いたかしれません。

 フィッシャー=ディースカウは、ベルリンの音楽アカデミーで声楽を学ぶも、1943学半ばにして兵役に召集され、1945年から2年間、連合国の捕虜生活を送りました。1947年ドイツに戻ると、バリトン歌手としての活動をはじめ、1948年ベルリン市立歌劇場(現ベルリン・ドイツオペラ)と契約、1950年に遥か彼方の理想と崇めていたフルトヴェングラーに認められてからは、フルトヴェングラーが亡くなる1954年まで幾度も共演しました。

オーボエのシュタインツ、コッホ、クラリネットのライスター、フルートのツェラー、ゴールウェイ、ホルンのザイフェルトといった管楽器奏者は、幼少期に第二次世界大戦を体験し、戦後大活躍した世代です。何がどう作用したかはわかりませんが、この世代は優れた演奏家が大変多く、特にみなさん、後光が射すような美しくかつ気合が入った演奏をします。ただしだからといって、私は戦争を絶対に美化しません。聖戦も認めません。念のため。

 1935年生まれのわが師リーバーマンも、「ほかに全く何もなかったので、とにかくたくさん練習した」そうですし、ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクで以前演奏していたチェコ・フィルのホルン奏者、ベドジッヒ・ティルシャルは、「悲惨な第二次世界大戦が終わったと思ったら、暗黒の共産主義の時代がやってきた。ホントに苦労の多い人生だったが、それも終わり、今はとても幸せな気分で失われた人生を取り戻すつもりで演奏している」と言っていました。戦争を経験しなかった世代の私としましては、このあたりを材料に想像するほかありません。

 さて、私がベルリン・ドイツオペラ首席オーボエ奏者に就任して最初のシーズン(1997/1998)には、1992年に歌手としてはすでに引退していたフィッシャー=ディースカウが、指揮者として登場しました。カール・べーム指揮ベルリン・ドイツオペラの有名なCD「フィガロの結婚」にアルマヴィーヴァ伯爵役で収録されているなど、フィッシャー=ディースカウにとりましてベルリン・ドイツオペラは、永年歌ってきた元ホームグラウンドです。コンサートはオール・モーツァルト・プログラムで、オペラの序曲からはじまり、彼の奥様でソプラノ歌手のユリア・ヴァラディーとオペラアリアなどを演奏し、交響曲41番「ジュピター」で締めくくられました。非常に穏和で立派な人格者のフィッシャー=ディースカウから、ドイツ音楽の黄金時代の余韻がふんわりと伝わってくる、貴重な体験でした。

指揮のテクニックが未熟な点は否めません。程度問題ということもありましょうが、フィッシャー=ディースカウのような方が指揮台に立ったら、やはり暖かい目で見守るのがエチケットというものでしょう。残念ながらどこのオーケストラにも非常にガラの悪い輩がいるもので、ゲネプロでは、とあるホルン奏者から「この酷いコンサートが早く終わってしまえばいいと、今はそのことしか考えていません」などという心ない発言まで飛び出し、フィッシャー=ディースカウが一瞬悲しい顔をする場面もありました。私が新入りでなかったら、そのホルン奏者にくってかかっていたでしょう。

しかし、とても温かなお人柄と音楽に触れ、彼が伝えようとする音楽は私にはよく理解できましたので、幸福な気持ちで演奏いたしました。何しろ、私たちには共通項があるんですもの。

 コンサート後に、フィッシャー=ディースカウの楽屋に行き、感謝の気持ちをお伝えし、CDのブックレットにサインしてもらいました。そのCDはもちろん、フルトヴェングラーと共演したマーラー作曲「さすらう若人の歌」。

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Mit herzlichem Dank. 心からの感謝を込めて。

Dietrich Fischer-Dieskau

 

ユリア・ヴァラディーとともに、とても温かく楽屋に迎えてくださいました。フルトヴェングラーの腕の振り方などを上手にまねされ、このCDの録音は、「トリスタンとイゾルデ」のレコーディングセッションが予定より早く終わったので、最終日に急遽録音することになったことなどを説明され、楽しく歓談させていただきました。この方もフルトヴェングラー崇拝者ですから、心が通じ合うのです。

PROFILE

渡辺克也 WATANABE KATSUYA

1966年生まれ。14歳よりオーボエをはじめる。東京芸術大学卒業。大学在学中に新日本フィルハーモニー交響楽団入団。90年に第7回日本管打楽器コンクールオーボエ部門第1位、併せて大賞を受賞。91年に渡独し、ヴッパータール交響楽団、カールスルーエ州立歌劇場管弦楽団、ベルリンドイツオペラ管弦楽団の首席奏者を歴任。現在ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの首席奏者として活躍中。CDに『ニュイ アムール~恋の夜』『∞~インフィニティ』『リリシズム―オーボエが奏でる日本の美』(以上、ビクターエンタテインメント)、『インプレッション』『サマー・ソング』『ポエム』(以上、ドイツ盤Profil、日本盤キングインターナショナル)など。ベルリン在住。