マイニンゲン宮廷歌劇場から、ヴェルディ作曲「リゴレット」の演奏を依頼されました。

  この歌劇場お付きのオーケストラであるマイニンゲン宮廷楽団は、普段から私のことをことのほか大切にしてくれ、私も一番良いリードを携え向かいます。

 マイニンゲン宮廷楽団出演は実は今回が3回目で、これより前に2回、アイゼナッハのヴァルトブルク城での「タンホイザー」のために呼ばれたのでした。ヴァルトブルク城で行われた歌合戦伝説を題材にヴァーグナーが作曲した「タンホイザー」を、マイニンゲン宮廷楽団はその場所で年に何回か演奏するのです。

 朝5時の電車でベルリンを出発しました。早起きをして車中で朝食を摂ったりまどろんだりしながらの移動が、私は好きです。早めに目的地に着き楽譜を見て練習、盛大に昼寝をしてスッキリしたコンディションで夜の本番に臨む、というリズムです。ヨーロッパの鉄道は平気で30分も遅れ、次の電車の乗り継ぎが上手くいかずに目的地に1時間遅れで到着する、なんていうこともよくありますから、このリズムですとまず間違いありません。

 テューリンゲンの州都エアフルトから気動車に乗り換えたローカル線は、ドイツでは珍しく単線でした。雪の積もる山中を通り抜け、乗換駅なのに周囲にほとんど建物も見当たらないグリンメンタールでは、今度はたった1両編成の気動車に乗り替えました。一駅乗るともう終点、ここがマイニンゲンです。地図で見てはいましたけれど、ずいぶん田舎です。人口2万人強。

 ドイツではよくあることですが、駅がマイニンゲンの町はずれに位置していて、駅舎から降り立つとイギリス公園という美しい庭園がずっと向こうまで広がっています。1909年にザクセン=マイニンゲン公爵によって私財で建てられたマイニンゲン宮廷歌劇場は、その庭園のかなたに美しい姿を現します。

 マイニンゲン宮廷歌劇場とマイニンゲン宮廷楽団は、かつてハンス・フォン・ビューロー、リヒャルト・シュトラウスらが音楽監督を務め、ヨーロッパ中に楽旅に出向きその名を轟かせ、ブラームスも第4番交響曲をここで初演するなど、大変由緒正しく、この町一番のご自慢でしょう。最近では、今話題のキリル・ペトレンコが音楽監督を務めていました。素晴らしい歌手を揃え、オペラもコンサートも毎回満席になるそうです。

 未知の演奏会場では、まず楽屋入口を探すところから始まります。お客さんの入口は探すまでもなくすぐにわかるのですが、楽屋入口は難しいのです。今回は運が悪いことに、建物を一周しても見つかりません。別棟にあることを聞き出しやっと入ると、守衛さんが「ワタナベさん、マイニンゲン宮廷歌劇場にようこそ! 楽譜はここにあります」。ドイツ人にとって決してやさしい発音ではない私の名前を憶えてくれての熱烈歓迎ぶり、嬉しいですねえ。

 ホテルに歩いて向かう途中で信号待ちをしていると、目の前の建物にこんなプレートが打ち込んであるのが見えます。

  

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Hier wohnte der Komponist Max Reger, Hofkapellmeister der Herzoglich Sachsen-Meininger Hofkapelle,  von 1911-1915,  geboren 19. März 1873, gestorben 11. Mai 1916

 の建物に、作曲家でザクセン=マイニンゲン公爵宮廷楽団宮廷楽長のマックス・レーガー(1873319日-1916511日)が、1911年から1915年まで住んでいた。

 

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  今は、子供のレクレーション施設として使われているみたいですね。

 この作曲家は、「ロマンス ト長調」というオーボエのための作品も残しています。残念ながら、大手を振って名曲ですと言えるレヴェルではありません。ただし一度だけ、あれ、この作品悪くないかも、と思ったことがあります。

 2000年ころ、ミュンヒェンに本社があるとあるCD会社で、当時ベルリン・ドイツオペラ音楽監督クリスティアン・ティーレマンがピアニストとして私と共演するCDを制作する計画が、ありました。その演奏曲目を決めるため、ティーレマンの部屋で、小1時間ほど様々な作品を試演してみました。この1時間を、私は一生忘れないでしょう。色濃い和音感覚と小刻みのルバート! 名曲はもちろんのこと、マックス・レーガーのロマンスもそれなりに、今まで体験したことのない姿になりました。間違いなくすごいCDができると確信し、紅潮した顔で部屋をあとにしたのを憶えています。

 残念ながらこのお話は「是非やりましょう」というこのCD会社の女社長の口約束だけで、その後毎月のようにいつ録音するのかと具体的な話を丁重に問い合わせるも「やりますから待っていてください」という返事が来るだけで、1年間たったころ、とうとう「準備ができたらこちらから連絡するから、もう電話してこないでください」と言われ、それっきりになってしまいました。こういうことは、労働モラルの低いこの国ドイツでは非常によくあることで、「お断りの丁寧な間接的表現」とは限らないので、判断の難しいところです。

 その後信頼関係を築いた別のCD会社に現在私のCDを録音していただいていますから、今だったら可能なのですが、ティーレマンはもはや当代世界最高の指揮者として引く手あまたになってしまいまして、今さら引き受けてはくれないでしょう。ご本人、当時とてもやる気になってくれていましたので、悔やんでも悔やみきれません。

 ズデニェック・ティルシャルとも、オーボエ、ホルン、ピアノという編成のCD録音をする話があり、演奏報酬の交渉まで進みましたが、2006年に突然亡くなってしまったため、これも流れてしまいました。

 こんなふうに人生を振り返ると、タイミングが合わなかったために実現しなかった悔やしい事柄だらけで、もう嫌になってしまいます。反省材料のために記憶に留めて、もっと良いことだけを思い出すようにしましょう。

 さて、マイニンゲン宮廷歌劇場でのリゴレット本番です。伝統ある歌劇場ですから、楽員の皆さん誇りを持って気合を込めて演奏していました。皆さんは全体練習を重ねているのに、私だけぶっつけ本番ということになりますが、ベルリンなどで何十回も演奏した作品ですから、全く大丈夫です。

 ホワイエは一見の価値があると薦められまして、休憩時に行ってみました。かつてのサロン文化をそのまま今日まで引き継ぐ優雅に輝くホワイエで、皆さん愉しそうにシャンパンを傾けて、会話を楽しんだり軽食を摂ったりして、休憩時間は優に30分は超えていました。ここは本当にいいところです。

 演奏後には、楽団員と当地のビール、ディングスレーベナーで乾杯し、「今日はあんたのお蔭で良い音楽ができたよ」と、長ーい握手をしてくれました。音楽の本場ドイツの楽員にそう言われると、嬉しいですね。また来ますよ! 


 

PROFILE

渡辺克也 WATANABE KATSUYA

1966年生まれ。14歳よりオーボエをはじめる。東京芸術大学卒業。大学在学中に新日本フィルハーモニー交響楽団入団。90年に第7回日本管打楽器コンクールオーボエ部門第1位、併せて大賞を受賞。91年に渡独し、ヴッパータール交響楽団、カールスルーエ州立歌劇場管弦楽団、ベルリンドイツオペラ管弦楽団の首席奏者を歴任。現在ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの首席奏者として活躍中。CDに『ニュイ アムール~恋の夜』『∞~インフィニティ』『リリシズム―オーボエが奏でる日本の美』(以上、ビクターエンタテインメント)、『インプレッション』『サマー・ソング』『ポエム』(以上、ドイツ盤Profil、日本盤キングインターナショナル)など。ベルリン在住。