2006年1月、ベルリン・ドイツオペラに、 ヴィエコスラフ・シュテイ(Vjekoslav Šutej)という指揮者がプッチーニのオペラ「西部の娘」を振りにきました。ロマンチックでオーボエのソロが多いので、私が大好きな作品です。どうやら気に入ってくださったらしく、シュテイが指揮台の上で私に向かってさかんに投げキスをしています。終演後、私のところに来て、「ザグレブでモーツァルトの協奏曲をやらないか? 残念ながら私が振るコンサートじゃないが」と。
彼はクロアチアのザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督なのです。このようにして、私のザグレブ・フィル定期公演出演が決まりました。とっても楽しみです。出演日は、なんと10月13日の金曜日。
10月10日
出発前夜、荷造りに夜中の2時までかかりました。ザグレブは、ハプスブルク家の支配下にあった伝統ある古都です。クロアチアを代表するオーケストラと共演ということで神経質になっていたのか、仕上がりに満足いかず、かなり苦しみながら練習をした毎日でした。
10月11日
ベルリン・テーゲル空港7時10分発、パリ経由のエール・フランスでザグレブへ向かいます。5時に目覚ましをかけたのに全く気づかず、幸運にも6時にハッと目が覚め、慌てて家を出ました。空港へは自転車(自宅から約20分)で行くつもりでいましたが、バス(約5分)に変更。ベルリンーパリ間にクロワッサン、パリーザグレブ間にクッキーが出たのみで、腹がすきました。しかもパリーザグレブ間は右2列・左1列の小型ジェット機、驚きました。
さすがアドリア海をはさんでイタリアとお向かいの国だけあって、昼前のザグレブは天気も良く、強い日差しです。イヴァンという青年が車で迎えに来てくれて、コンサートホール、中央駅を通り、用意されたシェラトン・ホテルへ。ホールは2000席、と聞いて驚きました。ザグレブの美味しいものは何かときくと、ウィーンの影響でケーキの類、という答え。シェラトンは五つ星、バスルームは赤みがかった大理石で満足です。
12時30分。早速、車から見えたこの町のシンボル、聖ステファン大聖堂と聖マルコ教会へ歩きます。アジア人はヨーロッパ中どこにでもいるものだと思っていましたが、ここでは全く見かけません。美しいナイーヴアート美術館をひやかし、50ユーロを現地通貨に両替すると、ベルリンに比べるとかなり暖かい気候に少々汗ばんできました。『地球の歩き方』推薦のクロアチア・アイスクリームを買い、ホテルへ。乳製品は、ヨーロッパ中どこでも優秀です。この程度のアイスクリームなら、ドイツにもあるでしょう。ホテルのプールは改装中で、新調した水中メガネは、今回おあずけとなりました。
16時から部屋で昼寝をしていると、17時30分に今回の指揮者ウルリヒ・ヴィントフーア(Ulrich Windfuhr)から電話がかかってきました。
「寝てたか?」の問いに、無理をして「いやそんなことはない」と答えます。
ヴィントフーアは、私のカールスルーエ時代(1996-97年)に音楽監督の次のポジションだった指揮者で、10年振りの再会をお互いに喜びあいました。20分ほどで、テンポ、楽譜の変更などの打ち合わせをすませ、2人で町へ出て散歩。出店の焼き栗を求め、それを食べながら歩きます。ヴィントフーアが殻をむいてくれたりして、へえ、この人こんなに面倒見が良い人だったんだ、と感心しました。今日はサッカーのヨーロッパカップでイングランドと対戦のため、町はクロアチアのサポーターであふれ返っています。たまにイングランドのサポーターもいて、今夜は荒れるかもしれません。ヴィントフーアは、ご子息のためにクロアチアチームのユニフォームを買っていました。
部屋で2時間練習。この間テレビによると、試合は2対0でクロアチア勝利。イングランドは、全く精彩がありません。
町もサッカーの騒ぎから落ち着きを取り戻した頃合いに、コルチュラ(Korčula)というシーフードレストランで遅い夕食。街中のそこここに、放水車が放水した形跡があります。人気店のはずが、夜22時ということでガラガラでした。ドイツ・ハイデルベルクで生まれたというクロアチア人のボーイさんが、ドイツ語でYakitako(料理名だけ日本語で、焼きタコ)だと言って薦めてきたので、注文します。大きなタコの足3本のグリル、ベイクド・ポテトに、バジルとにんにくのみじん切りがこれでもかとたくさん入ったオリーブオイル・ソース。大変美味でした。ワインは本番終了まで断つつもりですから、水で我慢しましょう。もう一つの選択肢として散々迷ったイカスミのリゾットをまた明日食べに来ると言い、ホテルへ。
10月12日
7時起床、7時45分に朝食ビュッフェに行くと、既にヴィントフーアはいました。リチャード・パワーズ(Richard Powers)の本を読んでいて、日本人作家では村上春樹と大江健三郎を読んだと言います。渡辺のお薦めは何かと聞いてきたので、三島と太宰を薦めました。少し濃すぎましたかね。
ザグレブ・フィルのリハーサル開始は9時。こんなにリハーサル開始の早いオケはなかなかないでしょう。オーボエ協奏曲は11時からだと言うので、一旦ホテルに帰り、10時10分まで練習。
再度ホールに向かいます。典型的な70年代共産主義風外観のホール。今日は小ホールにてリハーサルです。内部は造りが良く、共産主義のちゃちな感じはしません。街中もそうでした。何を隠そう、この国は当時ゆるやかな共産主義を掲げる市場社会主義国だったので、共産国にもかかわらず経済的に栄えていたのです。
小ホールに着くと、悪のりしてこっそりオーケストラの後ろに座ってみました。この国出身の名手ミラン・トゥルコヴィッチの影響もあるのか、ファゴットが優秀です。コントラバスも大変良い響き。休憩をはさまずにいきなりオーボエ協奏曲の順番となりましたので、急いで楽器を出して、あわただしく開始します。
「ドバルダン(こんにちは)!」と大きな声で言うと、それだけで拍手喝采でした。マタチッチや大野和士さんが音楽監督を歴任した、非常に統率のとれたオーケストラ。私は大満足でした。オーケストラも大満足してくれたでしょうか。
練習後、ヴィントフーアとオーケストラ事務局へ。打ち合わせ後、ヴィントフーアを昨夜のコルチュラへ連れて行きました。彼は私が昨夜タコを食べたことに恐れをなして、肉を注文していました。ドイツ人は全くタコを食べないのです。私は大量のにんにくが入ったイカスミのリゾットにありつけ、大大大満足でした。デザートのクロアチア・プディングを食べたあと、クロアチア・レコード(Croatia Records)というCD店でCDをあさりましたが、目ぼしいものはありません。ホテルで昼寝後、かなり神経質に2時間練習。
19時30分にやってきたツォルタン(Zoltan
Hornyanszky)というザグレブ・フィル首席オーボエのハンガリー人と、ミキナ・クレット(Mikina
Klet)というクロアチア料理屋に入ります。彼お薦めのこのレストランは、『地球の歩き方』にも載っていました。春巻きのような皮でチーズを包みオーヴンで焼いて生クリームをかけたもの、豚肉のステーキ、チーズを豚肉ではさんだステーキを分けながら、オーボエの話で大いに盛り上がりました。しまった。酒を断っていたのにビールを飲んでしまいました!
10月13日
6時30分起床。今日は9時からゲネプロで、オーボエ協奏曲は9時15分ごろのはずです。7時15分朝食へ下りていくと、今朝はヴィントフーアはまだいません。食べ終わるころ、ヴィントフーア登場。昨夜はここの放送交響楽団のコンサートでシューマンの「マンフレッド」全曲を聴いた、というお話。
ホールへ。建物に入ったものの、大ホールのステージへの通路がわからず焦りましたが、時間通り到着。内装が共産主義色のこげ茶色に統一されたホールで、傾斜する1階席のみで2000席なのです。すごく広い空間と、とても気持ちよい響き。1回通してゲネプロを終了しました。
ヴィントフーアから昼食に誘われましたが、休みたかったので丁重にお断りし、明朝の空港行きのバス乗り場を確認してから、ホテルの部屋で、ハンブルクの有名自然食パン屋で買ったスペルト小麦パンとカラス麦パンを食べます。実に滋味豊かなパン。よくぞこんなに体に良いパンを手間を惜しまずに焼いてくれました。頭の下がる一品。それに、町で購入したにんじん100%ジュース、キウイ。今晩のための最高の燃料です。
昼寝、練習した後、18時30分に再びホールへ。本日演奏のモーツァルト協奏曲のCD15枚を、会場係のお姉さんに預けました。音出しのためステージへ。本番前なので、ステージにつながる登り階段が断頭台への階段のように感じます。
ソリスト楽屋へ。カタイ床、引き出しのついていないただの机にいす1脚と洗面台のみの簡素な部屋。この本番前の時間が、いつも大嫌いです。せめてあと1時間余分にあればいいと思うけれども、時間がいくらあっても結局最後の30分は、今日は事故がありませんようにと祈るばかりでしょう。今日はとにかく、国を代表するオーケストラとの大切な協奏曲なのです。
ところが、本番は――とてつもなくうまくいきました。無事故。音楽的にのびのびと、音ものびのびと。アンコールも大好評でした。ブラボーの混ざったカーテンコールも5回。直前の8月18日に逝ってしまった友人のホルン奏者ズデニェク・ティルシャルに心の中で捧げるつもりで臨んだコンサートでした。ズデニェク、支えてくれてありがとう。よかったー。
CD売り場でサインを。120Kn(クーナ)というのはこの国の人にとっては大金なのに、11枚も売れました。感謝感謝。
終演後は、ディレクターのプーリッチ氏からシーフードレストランへ招待されました。ここ2~3年の間に来たハインツ・ホリガーやアルブレヒト・マイヤー(ベルリン・フィル首席オーボエ奏者)より今日の方が良かった、とお褒めのお言葉。
アドリア海産の新鮮で目のきれいなスズキ、アカダイ、アジ、マグロの中からプーリッチ氏が指定すると、ボーイさんがグリルし、解体し、お皿に盛りつけてくれました。日本だったら間違いなく醤油ですが、この国では、塩こしょうしてオリーブオイルをかけるのです。まさかと思いましたがとっても美味しくて、赤ワインと良く合います。しかもこのクロアチアの赤ワイン、とても優秀なワインでびっくりしました。
アドリア海の観光資源は旧ユーゴスラヴィアのドル箱。そのほとんどをクロアチアがもらったので、クロアチアの未来は明るいのです。この国にもっといたい、また来たい。
10月14日
4時45分起床、5時10分にホテルを出て、5時30分バス出発。
6時55分エール・フランスでパリ経由ベルリン行き。パリーベルリン間でワインが出ますが、昨日のクロアチア・ワインの方が数段上等だったでしょう。飛行機がかなり揺れたうえに、預けた荷物がベルリン・テーゲル空港で出てきません。自宅で昼食後、大いびきで昼寝。
ヴィエコスラフ・シュテイとはその後も、ベルリン・ドイツオペラやバイエルン州立歌劇場で何度もご一緒いたしました。2009年12月に他界されるまで......。合掌。
1966年生まれ。14歳よりオーボエをはじめる。東京芸術大学卒業。大学在学中に新日本フィルハーモニー交響楽団入団。90年に第7回日本管打楽器コンクールオーボエ部門第1位、併せて大賞を受賞。91年に渡独し、ヴッパータール交響楽団、カールスルーエ州立歌劇場管弦楽団、ベルリンドイツオペラ管弦楽団の首席奏者を歴任。現在ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの首席奏者として活躍中。CDに『ニュイ アムール~恋の夜』『∞~インフィニティ』『リリシズム―オーボエが奏でる日本の美』(以上、ビクターエンタテインメント)、『インプレッション』『サマー・ソング』『ポエム』(以上、ドイツ盤Profil、日本盤キングインターナショナル)など。ベルリン在住。
渡辺克也公式サイト:http://www.katsuyawatanabe.com/