ヴァイオリンの値段というのは天井知らずで、有名なストラディヴァリウスなどは、何億円という値段で取り引きされています。

 オーボエの値段は、高額であることは間違いありませんが、ヴァイオリンに比べるとそれほどたいしたことはありません。スクールモデルで40万円くらい、プロモデルでも100万円ちょっと、買えます

 木管楽器で一番高価なのは、ファゴットです。賛否両論ありましょうが、この楽器では、おおむね1社、とても有名で人気のあるメーカーの楽器の値段が、高止まりしています。値段が高くても欲しい人が大勢おいでなのでしょう。

 オーボエはどうかと申しますと、世界中で片手の指の数ほどの有名メーカーが、技術的にも値段的にも切磋琢磨して競争してくれている、極めて健康的な市場です。どのメーカーもプロ仕様標準モデルが100万円ちょっとで、希望により、本体に稀少な木を使う、キーに金メッキを施す、特殊なキーを取り付ける、ダイアモンドを散りばめる!)、などのオプションを加えますと、その分値段も上がります。

 しかし、ストラディヴァリウスなどと同じ意味でのオーボエの銘器、つまり突出した超天才が制作した楽器が、何百年もの時の経過によりますます良くなり、どんどん高価になっていく、というものは存在しません。

 グラナディラの木でできた本体の寿命は木部に柔軟さが残るたった2~3年、という意見もあれば2030年はもつ、という見方もあるものの、管の内部が濡れて乾いてということ毎日繰り返されることによって、確実に劣化していきます。ヴァイオリンのように何百年ももつということはまず考えられず、ある意味消耗品です。その上、まだまだ完成していない発展しつつある楽器でありまして、20世紀前半のオーボエはもちろん、また今から30年ほど前の楽器ですら、現代の楽器とはキーのシステムが少し異なります。とっても素晴らしい音がする100年前のほぼ未使用のオーボエがあったとして、それを現代仕様に改造することも可能性としては考えられますが、大工事になり、その結果せっかくの素晴らしい音が失われるかもしれず、そういうことをする人はいないでしょう。

 楽器のよしあしを科学的に解明するのは容易ではありません。素晴らしいストラディヴァリウスを凌駕するヴァイオリンを制作すべく、懸命に研究がなされています。まだまだ駄目という意見もあれば、目をつぶったら違いがわからない、という声も聞こえます。はっきりとした数値として表すことができないですから、なんとも難しいところです。

 ストラディヴァリウスにも1丁1丁バラつきがあり、状態が良くないストラディヴァリウスは超えられたけれども、状態が良いストラディヴァリウスにはまだまだ及ばない、といったところではないでしょうか。本当に状態が良いストラディヴァリウスは、私のようなヴァイオリンに詳しくない者でも、その違いはわかります。例えば、ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクに登場する世界トップクラスのヴァイオリンのソリストの音が、会場の隅々まで美しく響き渡った際、「きれいだねえ」とヴァイオリンのメンバーに言うと、「あれはストラディヴァリウスの中でもとびきり有名な楽器だもの」と教えてくれる、などということが何回かありました。その奇跡的クオリティーは本当に突出していて、製作者アントニオ・ストラディヴァリの功績は、どの分野でも見られる、天才がある時突然出現し人類の進歩の道標を差し示す、ということの典型的な例と言わざるを得ません

 実はオーボエの付属品で、ストラディヴァリウスと同じような現象が起こりました。チューブというのは、リード材を糸で巻きつける金属のパイプで、これを楽器に差し込み本体につなぎますと、口元からだんだん太くなる管の一番細い部分に当たります。旧東ドイツの職人、アルフレッド・クロップファー(Alfred Klopfer)とヨハネス・クロップファー(Johannes Klopfer)父子がその当時作ったチューブが大変素晴らしく、各メーカーがこぞってそのコピーを作ってきたけれどもオリジナルの奇跡的クオリティーを超えるものはまだ現れていない、というほどのものなのです。

 

日本ダブルリード提供 リード.jpg

オーボエのリード(写真提供:日本ダブルリード株式会社) 

クロップファーのチューブ。
先の真鍮がむき出しの部分に、糸でリード材を巻きつける。

 

 創業は第二次世界大戦前の1930年代、アトリエはツヴィッカウ(Zwickau)郊外のラインスドルフ(Reinsdorf)にありました。材質は硬めの真鍮、肉薄、継ぎ目無し管。その当時の世界標準は、柔らかめの真鍮、肉厚、溶接管でしたから、ものすごい天才が叡智を結集して製造していたのでしょう。コルクは東ドイツ時代には自国で収穫できず、慢性的に不足していたそう、もろくてあまり良質のものではありません。しかし、それもまた音のためには良いらしいです。当時の東ドイツの奏者は口を揃えて、「クロップファーは天才的な職人だった」と言います。

 西ドイツの奏者は、東ドイツの奏者に、彼らにとっては入手困難だった南フランス産の良質のリード材を手渡し、代わりにクロップファーのチューブを受け取るという、闇の物々交換により入手していたそうです。マルクノイキルヒェン(Markneukirchen)にあった東ドイツ国営国外向け販売店に郵便で正規の注文をしても、5年待ちなどざらだったということですから。

 ヨハネス・クロップファーが1983年に他界した際には、ドイツ系のオーボエ奏者は皆とても困りました。私は当時まだ高校生でしたので、もう入手できなかった世代で、芸大在学中、とある方から10本お借りして試したのが最初です。素晴らしいチューブでしたが、10本のうち、3本コンサート用、2本リハーサル用、2本個人練習用、残り制作途中みたいな感じで、古くなったリードはすぐに糸をほどいて、新しいリード材を巻きつけて急いで次のを製作、というように、それを使いまわすのがやっとの数でした。

 その後1991年からドイツに住み、翌年からは、ヴッパータール交響楽団首席オーボエ奏者として働き始めました。ドイツには、ドイツ・オーケストラ連盟(Deutsche Orchestervereinigung)という大きな組合があり、130を超すオーケストラで演奏する奏者のほとんどが加盟しています。そこで毎月発行されているのがダス・オーケスター(Das Orchester』という雑誌で、巻末に、各オーケストラの求人広告と並んで、楽器を売ります・買いますという個人広告を掲載するコーナーがあります。私は早速、このクロップファーのチューブを売って下さい、という個人広告を出しました。

  

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 10人くらいの人が電話をかけてきてくれまして、一生使う分以上の蓄えができました。もう心配はいりません。

 ヴォルフガング・クリーア(Wolfgang Klier)さんというシュターツカペレ・ドレスデンのお爺ちゃんオーボエ奏者が100本くらい売ってくれたのが、一番質が良かったですかね。クロップファーも、質が良かったものは国を代表するオーケストラの奏者に優先的に売っていたのでしょう。

PROFILE

渡辺克也 WATANABE KATSUYA

1966年生まれ。14歳よりオーボエをはじめる。東京芸術大学卒業。大学在学中に新日本フィルハーモニー交響楽団入団。90年に第7回日本管打楽器コンクールオーボエ部門第1位、併せて大賞を受賞。91年に渡独し、ヴッパータール交響楽団、カールスルーエ州立歌劇場管弦楽団、ベルリンドイツオペラ管弦楽団の首席奏者を歴任。現在ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの首席奏者として活躍中。CDに『ニュイ アムール~恋の夜』『∞~インフィニティ』『リリシズム―オーボエが奏でる日本の美』(以上、ビクターエンタテインメント)、『インプレッション』『サマー・ソング』『ポエム』(以上、ドイツ盤Profil、日本盤キングインターナショナル)など。ベルリン在住。