ベルリンで自転車を盗まれました。日本では今まで幸いにして盗まれたことがありませんが、ドイツでは、思い出せるだけでもこれで3台目ですね。悔しさが込み上げてきます。こんなに太い5ケタの数字のダイヤルロックだけが残されていて、犯人はいったいどうやって開けたのでしょう?


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中には金属製ワイヤーが入っていて、

ここまで太いと普通は切ることができないとされる。

 

 ドイツに住んですぐの頃、歩道から車道に降りて、歩いて反対側に渡ろうとしました。小さい頃たたき込まれた、まず右を確認して左を確認して、もう一度右を再確認する、というのが身にしみついています。ドイツでこれをやると、実はとても危ないんです。右側手前車線を見て自動車がいなかったら、左側、それも向こう側車線を見ながら、大抵もう一歩目を踏み出しかけているものなんですね。しかしこの国では自動車は右側通行ですから、左右左というように確認しなくてはなりません。まず一番先に左側手前車線を確認することなしに、右から来ないので安心してまさに一歩を踏み出しかけたその瞬間、クラクションを大音量で鳴らされたことが何度かありました。

 自動車の運転手さんも驚いたでしょうけれども、こちらも慌てふためいて、ザリガニのように背後の歩道に飛びのきます。そうすると今度は、左後方から「Vorsicht!(フォアズィヒト! 気をつけろ!)」と怒鳴る声と急ブレーキに驚かされるではありませんか!

 前に出ても後ろに戻ってもどやされる、なんて恐ろしい国だ、とパニックになりました。どういうことかと言いますと、現場はこのような道路だったのです。歩道の端が自転車専用レーンになっていて、ここは歩行者優先ではありません。


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ピンク色の自転車レーンが路肩の道路側端に設置されている。

ここは片側3車線で、一番右の車線はバスとタクシー専用。

中央分離帯が駐車場になっていて、その向こうが反対車線。

 

 社会が豊かになってくると、人々は競うように自動車を買い、たかだか徒歩5分で行ける距離でも自動車を使うようになります。あたかも自分たちの富と購買力を謳歌するが如く......。しかし、さらにもっと社会が成熟してくると、人々は自分の健康に気を配るようになり、空気を汚さないで体力増進にもつながる自転車に乗り換えるようになります。北欧など、その意識がものすごく高いです。

 この意識の点では、日本もドイツもなかなか進んでいると言えましょう。しかし、実際に自転車に乗ってみますと、同じ乗り物なのにずいぶんいろいろと事情が違います。

 まず、日本の国民的自転車であるママチャリのような自転車が、ドイツにはありません。競技用のロードバイクタイプと、その機能を持ちながら楽に街でも乗れるようにしたクロスバイクがほとんどで、女性でも普通にトップチューブ(フレーム上部のパイプ)をまたぎ、前傾姿勢になって自転車に乗ります。おのずとあの危険な傘さし自転車や携帯メールをしながらの運転は不可能で、誰もしていません。女性がスカート(ドイツでは稀ですが)でも乗り降りしやすいように、トップチューブが下がっているタイプもありますが、ママチャリとは少し違いますね。

 ママチャリは、日本の道路事情に適した、大変に優れた乗り物です。楽な姿勢で腰掛けるようになっていて、小回りが利き、ブレーキが確実、故障が少なくかつ丈夫で長持ちし......。だいたい、新品が1万円ほどで手軽に買える自転車なんて、ドイツにはありません。

 ドイツで新品の自転車をまともに買ったら、5万円くらいはします。ただし装備は素晴らしく、ギア・チェンジの変速機が、幼児が乗る三輪車以外の機種には、ほぼ例外なく装備されています。大人用の場合、ペダルが付いているフロントギアが3段、後輪のギアが6段、掛け算して合計18段が、標準装備でしょう。それ以外にも、後輪のギア(この場合どちらかというと歯車)がハブ(車輪の軸)部分に収まっている内装変速機もあります。内装変速機の場合、こいでいない状態でもギア・チェンジができるのが長所ですが、普段のこぎ具合が微妙に重くなります。どちらもシマノ製が市場を席していて、日本人として嬉しいですね。

 最近は少数派になりましたが、ペダルを30度くらい逆回転させるとブレーキになる、コースタ-ブレーキというシステムもあります。

 本来山中の悪路で乗るためのマウンテンバイクも、日常の自転車として街中でよく見かけます。フォーク(ハンドルから前輪軸につながる部分)にサスペンションが付いていて、地面からの振動が腕や肩に伝わりません。快適です。

 スピードを出したい人は、抵抗が少ない細めのタイヤに交換してもらうし、お尻に伝わる振動を嫌う人や安定性を重視する人は、太目を選びます。

 一般人までもが個人のニーズに合わせて自転車のタイプを選ぶ国、のようです。

 しかしそれでは大量生産できませんので、必然的に自転車も高価になり、果ては盗んで中古自転車として売れば、ちょっとしたお金になるということなのでしょう。今回盗まれた自転車の件は、家財保険に入っている都合上、まず警察に届けました。モーツァルトが嫌いでワーグナーが大好きという警察署員が出てきて、音楽談義をひとしきりし、盗まれた状況を説明したあと、ところでなぜこの国ではこんなに自転車泥棒が多いんでしょう?と訊いてみました。するとこんな答えが返ってくるではありませんか。「そこの前のベルリン工科大学ね、あそこの駐輪場に何百もの自転車が停めてあるでしょう。あれの大半は中古で買われた盗品です。誰かが盗み修理して、バレないように遠くの土地に持っていって金があまりない人に売り、またそれがいつか盗まれ、というように循環している」。

 私の自転車も、100ユーロほど払い中古で入手したものです。新品の自転車は、高価な上に、真っ先に盗難の餌食になりますから、私は絶対に買いません。第20回「不発弾」で写真にも写っているように、それほど見栄えが良くないくらいが丁度いいのです。決してブラックマーケットなどではなく、近所の自転車屋で下取りに出されたものが売られていました。とはいえ、過去に盗まれた経歴が全くない自転車だという保証は、どこにもありません。私も、ドイツ中古自転車市場の大河のような循環に組み込まれているのでしょう。

 さて、新品が1万円で手軽に買える大量生産のママチャリ、倹約を美徳とするドイツ人にとてもウケそうですが、どうでしょうかね?

 ドイツの主要道路では、約1メートル幅の自転車レーンが結構整備されていて、日本のようにL型側溝を走らなくてはならないようなことは、まずありません。一段高い路肩の車道側端に設置されている場合と、車道の端に設置されている場合とがあり、どちらも道路右側を走ることになっています。ちょっとした道路ですと車道が片側2車線合計4車線というのが普通で、広い道路を反対側に渡るのが面倒な場合、前者のような路肩上の自転車レーンでしたらまあ200メートルくらいならいいかなと左側を走っていると、正しい方向に走ってきた人からすれ違いざまに「Falsche Seite !(ファルシェ ザイテ! 反対側だぞ!)」と怒鳴りつけられます。かといって歩道を走行したりすると......これで私は一体何回警官に怒られたことでしょう。

  この自転車レーンはとても良くできていて、かなりスピードを出せます。自転車レーンがない道路では、車道を走ることが義務づけられています。それも車道の端っこを申し訳なさそうに走る必要はなく、前を自転車が悠々と走っているため、後ろから迫ってきているバスが気を遣いながらノロノロ走らざるを得ない、なんていう光景も何回も目撃しました。また、広い車道の右端に自動車が連なって路上駐車している場合、充分に後方確認せずにいきなりドアを開けられることも多く、ちょうど走ってきた自転車が激突なんていう事故がよく起こり、車道の端を走行することはかえって危険という側面もあります。自転車は明確に車両扱いなんですね。スピードが出せないと、他人に迷惑をかける、あるいはかえって危ない、などということにもなりかねません。

 

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自転車レーンが車道の端に設置されている場合。

見えないけれども、駐車してある自動車の右側に一段高い歩道がある。

車道の右端を走行するのが危険なのと同様、この場合も駐車してある自動車すれすれを走ると危険。

このタイプの自転車レーンで左側走行なんてそんな恐ろしいことは、まず考えられません。

  

 その上、日本と比べると建物も区画も大きいので、そう頻繁にストップする必要がなく、ベルリン市内でしたら、どんなに遠くても大抵1時間で到達できます。裏を返すと、スピードを出さないといつまでたっても行き先に到達できない、ということにもなります。変速機なしのママチャリでは、相当に不便でしょう。

  スピードを出した自転車が事故に遭うと非常に危険ですから、ヘルメットを装着している人が多いです。年1回の健康診断を受けに、かかりつけ内科医のDr.Thomas von Brück(ドクター・トーマス・フォン・ブリュック)の診療所に行った際のことです。問診の際に、至って元気で今日も25分かけて自転車で来ました、と答えると、「うん、それは良いことだ。でも、ヘルメットをかぶって来たかい? 知り合いが自転車で交通事故に遭ってね、彼は無事だったんだが、ヘルメットが真っ二つに壊れたそうだ」と。時々このように注意してくれる人が周りにいるのは、なんてありがたいことでしょう。最近引退しましたが、ベルリンフィルが日本などに海外公演をする際に付き添っていった名医でした。

  日本で左折する自動車に気をつけなければ危ないのと同様、ドイツでは右折する自動車に気をつけなければなりません。市電が走っている道路ですと、線路をまたぐ際に角度をつけて走行しないと、タイヤを取られ転倒します。

 事故に遭わないために、気をつけて運転するだけではなく、ブレーキをはじめとしたメンテナンスも欠かせません。日本製のママチャリと違い、ヨーロッパ製の自転車は、ブレーキやギアなど、しょっちゅうどこかが故障します。雪の日のすべり止めに撒かれるとがった砂利のせいらしく、パンクも多いですね。

 私はあまり詳しくないので自転車屋に修理に持ち込みむと、決まって油の差し過ぎで怒られます。だってもっと速く走りたいんですもの。「速く走りたいんだったら、もっと空気を入れてみろ。親指と人差し指で力一杯つまんでも、ほとんどへこまないくらいに」。たかがタイヤの空気ですが、パンパンに入っていると、タイヤの接地面積が小さくなり、摩擦がその分少なくなるんですね。この効果は思いのほか絶大で、フルトヴェングラーのアッチェレランドのように、ガシガシと劇的に加速できるようになりました。私はスピード狂の気があり、社会に迷惑をかけますので、自動車の免許は取らないことにしています。

 ルクセンブルクでは、市が別会社に委託して経営している"vel'oh!(ヴェロー)" という全自動レンタル自転車システムが人気です。1週間1ユーロ、あるいは1年間15ユーロをクレジットカードから支払い登録すると、暗証番号を使って、市内に72か所ある自転車ステーションで借り、目的地近くの自転車ステーションに返却できます。料金は、30分まで無料、1時間ごとに1ユーロ、24時間以内に返却することを前提として1日5ユーロです。ヨーロッパの他の都市にも似たようなシステムが増えてきていますし、宿泊客に自転車をレンタルするホテルも多いですから、ヨーロッパの風を切ってサイクリング、是非お試しください。


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このパネルの指示に従い、操作します。

PROFILE

渡辺克也 WATANABE KATSUYA

1966年生まれ。14歳よりオーボエをはじめる。東京芸術大学卒業。大学在学中に新日本フィルハーモニー交響楽団入団。90年に第7回日本管打楽器コンクールオーボエ部門第1位、併せて大賞を受賞。91年に渡独し、ヴッパータール交響楽団、カールスルーエ州立歌劇場管弦楽団、ベルリンドイツオペラ管弦楽団の首席奏者を歴任。現在ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの首席奏者として活躍中。CDに『ニュイ アムール~恋の夜』『∞~インフィニティ』『リリシズム―オーボエが奏でる日本の美』(以上、ビクターエンタテインメント)、『インプレッション』『サマー・ソング』『ポエム』(以上、ドイツ盤Profil、日本盤キングインターナショナル)など。ベルリン在住。