国策による金融業の隆盛を背景に、ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクには、普段CDでしか聞くことのできないようなソリストが、続々と客演します。古くはロストロポーヴィッチ、ジャン=ピエール・ランパルから、ギドン・クレーメル、マルタ・アルゲリッチ、ミッシャ・マイスキー、シプリアン・カツァリス、ゲアハルト・オピッツ、ジル・シャハム、ワディム・レーピン、ルノー・カピュソン、ゴーティエ・カピュソンなどなど。

 その中でも最も印象に残っているのはどのソリストとの共演かと団員に尋ねますと、異口同音に、ラドゥ・ルプーのベートーヴェンピアノ協奏曲全曲演奏会だと言います。1999126日から8日のことでした。

 126日、コリオラン序曲、ピアノ協奏曲第2番、第3

 127日、アテネの廃墟序曲、ピアノ協奏曲第1番、第4

 128日、ピアノ協奏曲第5番、交響曲第5

  非常に美しい響きの、うっとりするようなピア二ズム。ピアノ協奏曲第4番では、体験したこともないような深遠なる世界まで連れていってくれました。

  佐原市立(現香取市立)津宮小学校の音楽の授業で聴いた「ペール・ギュント」でグリークの音楽に目覚め、中学時代にそのまま同じ作曲家のピアノ協奏曲に惚れ込みました。たまたまFMで流れていたアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団の演奏を、エアチェック(録音)したのです。そのピアニストがルプーでした。

  1987年にCD化された際にすぐに買いに走ったのは、言うまでもありません。「たまたまFMで流れていた」極上の演奏のCDに、12年後にはこうして演奏者本人のサインを頂けるとは想像だにせず。

 

ジャケット.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像

 

 ルプーはルーマニア人。同じルーマニアが輩出したピアニストには、ディヌ・リパッティという超弩級がいましたね。

  人口2000万人にも満たないような中規模国ルーマニアから、ドイツその他の外国に飛び出してくる特に優秀な弦楽器奏者の数は夥しく、ルーマニア人弦楽器奏者のいないオーケストラは、ほとんどありません。それも、コンサートマスター級の要職についているのです。音楽教育が優れているだけではなく、西ヨーロッパの生活レヴェルと自由を求めて国境を越えることを厭わない、ヴァイタリティー溢れる国民性が、そうさせているのでしょう。

 ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクにも、ヴッパータール交響楽団・コンサートミストレスのガービー、ボンのベートーヴェンオーケストラ・コンサートマスターのラドゥ、メンヒェングラットバッハ・首席ヴィオラ奏者のジョー(故人)、カールスルーエ音楽大学教授のヴォルフガング・ギュットラーらがいます。皆、鉄のカーテンの時代に、身の危険を冒して亡命してきました。当時ドイツで働き生活し始めても、チャウシェスク政権の刺客に怯える毎日だったそうです。

 ルクセンブルクは人種的・歴史的・文化的にはドイツに近いものの、戦後はフランス寄りの政策をとっているため、パリまではTGVで一直線で行けるのに、ドイツには中規模都市トリアーまでのろのろのローカル1本でしかつながっていません。あとは、ザールブリュッケンまでバスですかね。そのため、ベルリンからルクセンブルクまで往復の際に、ドイツ在住のこの4人には、途中から車に便乗させていただくことが多いのです。ルーマニア人の性格についてもう少し言ってしまうと、ワイルドな人が多いです。ヨーロッパでは日本人がおとなしい民族と思われている、ということは額面通りに受け取らせていただくとして、ルーマニア人はその真逆と言えましょう。車中2時間、身振り手振りもつけて表情も豊かに、奔放に騒々しくずうっとしゃべり続けています。「沈黙は金」としつけられる日本人は、圧倒されます。口だけ適当に動いているだけではなく、知識もあり話題も豊富、頭もしっかり回転してこちらの言うことにもきちんと反応してくるので、全く気が抜けません。その上、大抵のルーマニア人は4、5か国語話せます。出しゃばりたい気持ちが先行して、言葉で表現しなくては居ても立ってもいられないから、外国語の上達も早いのでしょう。

  ボンのラドゥが教えてくれたのですが、このワイルドな特性の奥には、「妬み深い」ルーマニア人の性格も隠されているそうです。ある時、神様が諸国民に何か1つだけ願い事をかなえてくれることになりました。まずアメリカ人がやってきて、裸のマリリン・モンローが欲しいと頼みました。神様は、「よしよし、お安い御用だ」と言って、裸のマリリン・モンローを連れてきました。フランス人は、バスタブ一杯のボルドーワインが欲しいと言います。なんと、本当にバスタブ一杯の極上のボルドーワインが出てくるではありませんか。アメリカ人もフランス人も大喜び。今度はルーマニア人の番です。「うちの隣の家は山羊を飼っていて、毎日新鮮なミルクが出て、それでチーズも作れる」「そうかそうか、お前も同じように山羊が欲しんだな?」と神様。ルーマニア人は首を振って曰く、「いやいや、そうではない。隣の家のその山羊を殺してくれ」。

 ルプーが若い頃どのくらいワイルドだったかわかりませんが、ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクに客演した時は、芸術家の誰もが持っているはずのデリケートだったり神経質だったりする部分は全く表に出ず、おっとりしているように見受けられました。

 ルプーのベートーヴェンピアノ協奏曲全曲演奏会の3日間、どの日にも午前10時からゲネプロがありました。2日目だったでしょうか、我々がチューニングも済ませて、練習場のルクセンブルク・コンセルヴァトワールの大ホールに勢ぞろいしているにもかかわらず、ルプーはいっこうに現れません。30分経ったところで、オーケストラのプレジデントのプリム氏が、宿泊先のホテルまで行ってみると......前夜に夜更かしをしたとかで、うっかりまだ寝ていたそうです。ルプーは、寝癖がついたまま起きてすぐの状態で登場し、可愛らしく謝っていました。ところがそんな状況でも、紡ぎだされるピアノの音は、とてつもなく美しかったんです。 

 一音ごとに丁寧で美しいタッチ。ややゆっくりめのテンポで、奇をてらうことを一切せず、作品と真正面から向き合い、たっぷりお腹一杯にしてくれます。気品溢れる金の輝きを想起させるピアニズムは、ディヌ・リパッティと共通するところでもありましょう。

 

ルプー.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像


 ルプーの他によく似た美しいピアニズムで私達を魅了させてくれたのは、アナトール・ウゴルスキーでしょうか。2003317日のソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクのコンサートは、プロコフィエフ「古典交響曲」、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第1番」、シューベルト「交響曲第6番」というプログラムでした。ウゴルスキーの周りが神秘的な音楽の光で包まれ、魔術にでもかけられたように惹き込まれました。

 楽譜が手に取るように見える演奏、という褒め方が世の中にはありますが、うっとりさせられたり魔術にかけられたりする演奏は、その数段高いところにあるのです。

PROFILE

渡辺克也 WATANABE KATSUYA

1966年生まれ。14歳よりオーボエをはじめる。東京芸術大学卒業。大学在学中に新日本フィルハーモニー交響楽団入団。90年に第7回日本管打楽器コンクールオーボエ部門第1位、併せて大賞を受賞。91年に渡独し、ヴッパータール交響楽団、カールスルーエ州立歌劇場管弦楽団、ベルリンドイツオペラ管弦楽団の首席奏者を歴任。現在ソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクの首席奏者として活躍中。CDに『ニュイ アムール~恋の夜』『∞~インフィニティ』『リリシズム―オーボエが奏でる日本の美』(以上、ビクターエンタテインメント)、『インプレッション』『サマー・ソング』『ポエム』(以上、ドイツ盤Profil、日本盤キングインターナショナル)など。ベルリン在住。