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ついの住処

家探しうたかた記

中村和恵

第13回巣で眠る――死ね死ね団との再会

 お久しぶりです。連載、なのにこんなに間があいてしまいました。すみません。

 この間、沈没しておりました。小学校5年生のときの沈没以来の大沈没。

 その後、ゆっくりと、ふわふわと、浮上してまいりました。かきたまみたいに。うふふ。目下おのれを新規にかきあつめております。

 自分に関して唯一、見どころがあるとおもうのはこの点。沈没後、浮上する。とりあえず。きっと。

 沈没時は、巣穴で眠ります。

 沈みこむ人間がおもいを寄せる住まいは、不動産の価値とか人口統計とかいった表通りの喧騒とは、まるで別のものですね。しん、とした心地で、いかでこの世を過ごそう、といったおもいを磨きこむ場所。そこで記憶の引き出しを開け閉めし、一心に夢をみます。


 どうもこの世が性にあわないらしい。なにかをきっかけに、みようみまねで懸命に習い覚えた社会性の型枠が決壊し、洪水が発生、もとのゴクラクコドモドラゴン(なんだかわからんヨウカイの謂なり)に、中途半端に戻りかけてしまう。半分水につかった干ししいたけみたいに。あっ、しっぽが。やばい。戻し水に気持ちが沈み、思わぬことをいい散らし、誤解や曲解やマウンティングに抗うかわりに合わせてみたり、後ろ向きに走ってみたり。ダメを重ねてバカをしでかす。じたばた。

 多分人間ってどういうものか、ゴクラクコドモドラゴンにはしかとわかりかねるのです。世界が再び恐ろしいところになる。人間界に辞表を出したい。一身上の都合、でお願いします。

 でもね、そうしたときかならず、いや、ちょっと待って、ってお声がかかるの。内側から。脳の奥から、記憶の彼方から、なにかが現れる。

 本の中で聞いた声や、歩いた土地で会ったひと、目の端を通った映像、路傍の草の記憶、古い古い物語の断片などから、ちいさくてかすかに輝くなにかが立ち上がってくる。きっと。いや、だめかもしれない、今度は。でも多分。もしかしたら。

 それを待つ間、わたしはほぼ、なにもしない。といっても子どもの頃は強制的に学校に行かされたし、大人になってからはやらざるをえない仕事がある。最低限ぎりぎりやって、あとはほぼ、なにもしない。ただ眠りつづける。けがをしたリスやポッサムみたいに、巣穴に隠れ、眠って眠って眠る。

 ふと目を覚ますと、たいてい夕方だ。そのへん歩き用の木底のサンダルをはいて、携帯電話は忘れて、夕方の道をぽくぽく歩き出す。歩きながら、さっきのちいさな光のことを考え始める。あれはなんだったんだろう。考えをたどる。ゴクラクコドモドラゴンよりよほどヨウカイじみた幾多の獰猛な思惑、恐れと表裏をなす貪欲の牙は、眠りの中に流れていってしまった。

 どんな生き物にも、一匹分の場所が要る。

 東京都心に近いここらでも、スズメ、ヒヨドリ、メジロ、ドバト、ハシブト、ハクセキレイ、まれにはフクロウにも出会うことがある。ヘビ、トカゲ、ヤモリなどもひそやかに、野生化したハクビシンや猫を避け、家々の周囲を走っている。護国寺の森や小石川植物園が繁殖地になっているのかもしれない。いま卵の上でそいつは眠っているのかもしれない。


 昨年末、猫になった。声の氾濫、という題で音楽とことばの催しをやりましょう、ということになって、管啓次郎さん、木村友祐さん、温又柔さん、姜信子さんがそれぞれにユニークな楽器奏者たちとともに朗読を行い、ちょっとお話をして、最後にわたしも朗読をした。長年頭の中に抱えていて、変化しつづけている物語の一端を、段ボールに入った猫になって読んだ。ちょっと回ったりしながら。余興的に。 余興的にやらないと、重すぎて、回ったりできなくなっちゃう話だから。

 それはわたしの連れの話で、日本列島の上で初めて敵意をあらわにした核爆弾の話で、存在の話、あることとないことの境目の話だ。25年前にこの話を連れから聞き、受けとったとき、かならずしも意図的に物語をこしらえる必要はないんだ、と悟った。フィクションをつくり上げることそのものを語りの目的にしなくていい。現実の中にある物語の深みから部分をとり出して、語りえる範囲で、語りえるかたちで、物語や詩歌を仕立てる。わたしがしたいのはそういうことなんだって。そうね、原材料を人手でつくる農業や牧畜じゃなくて、狩猟採取した食材をつぶしたり炒ったりして食べるような書き方もあるということかも。絵の具で絵を描くのもいいけれど、拾った流木を並べるのもいい。

 で、あれが相当、やばかったんだとおもう。猫の話をしたことで、深く身の内にしまっていた物語の端っこをひっぱり出してしまった。莢(さや)から出たやわらかい神経は、外の話を増幅して感知し、震え出した。そういうことって、ある? どうやらわたしには、あるらしい。なにかつくったり、考えたり、書くことを、自分の生そのものとは切り離して行うことができる、そういうひともいる。わたしにはそれが、できない。


 11歳のときは、自殺はどうしていけないんだろうと考えつづけ、沈没した。その後いくつかの沈没を経て、今回はベルリンで起きたテロとそれにつづく難民排除の動きに関する報道が、きっかけだった。ひとごとじゃなかった。たまたま10代で難民たちの側に自分の身を置いてみるという偶然の機会をえたことから、脈絡のなかったわたしの考える作業がつながり始め、ネットワークを編み出した。そのあたりの話は長くなるのでスキップ。で、ベルリンで、気持ちがつぶれた。次第にぺしゃんこに、なっていった。

 こうした憎悪の高まりはなにも、これが初めてってわけじゃない。古い話だ。いつもどこかで起こっていたことだ。でも莢がとれちゃったわたしの神経はむき出しで逆立っていた。あのとき、他者(って誰なんだろう)が自分たち(って誰なんだろう)のいい暮らしを奪いに来ると恐れ、国境の人為性その他いくつかの揺るがしようもない事実に目をつぶる反動の高波が、閾値を越えたようにみえた。

 同時に日本では共謀罪ということばがいつの間にか、議論といえるほどの議論の高まりもないかのように、そしらぬ顔でマスメディアの表舞台を事務的に行き来するようになっていた。ひとごとのようにそれを眺めているのが当然という気配があった。鴎外「最後の一句」でいちが放った一言、「お上の事には間違はございますまいから」に、きっちりと「反抗の鋒(ほこさき)」を聞きとる佐佐のような役人ならむしろ語るに足る相手とおもうほど、うとい耳が、わざとか知らずにか、ざざざ、と増えていくようにおもえた。 

 他人のことでそんなに真剣になることないわ、と助言してくれるひともいた。本や理論の中の話でしょ、と不審がるひとも。どうしてそういう問題に関心を持つんですか、文学やってるんでしょ、関係ないでしょ、といいたげな人もいた。自分のことになる瞬間までひとごとだと笑っていればいい、そういう考え方もある。そうじゃなきゃやり過ごせない場面というのもある。でも、切り離せない、そういうこともある。

 山手線に乗り高田馬場駅で鉄腕アトムのメロディで扉が閉じる音を聞きながら、うとうとと、外を見ても見えるのはビルばっかりで外じゃないよ、なんて考えていた、そのとき脳内で、いきなり大音声で、しねしねしねしねという歌声が響き渡った。

 こういうことがまれに起こる。幻聴とは違うの。耳に響いてるんじゃないというのははっきりわかっている。突如脈絡なく歌声が頭の中で響き渡る。好きでもなんでもないポピュラーソングのことが多い。最初はたしか中学校の理科かなんかの試験の最中に、いきなり松田聖子がわたしの脳内で「青い珊瑚礁」を高らかに歌い出したときだった。聖子ちゃんやめて~とわたしは頼んだが、自分でどうなるものでもなかった。しばらくして始まったと同じように脈絡もなくぴたり、と歌は止んだ。

 で、しねしねしねしね、ですが、これはなんだ。レインボーマンだ。死ね死ね団だ。

 『愛の戦士レインボーマン』は、川内康範原作の特撮テレビ番組(東宝)。ウィキペディア2017年5月3日閲覧)によれば1972年から1973年放映、インドの山奥で修行をし、祖国のために理解されない孤独な戦い(けっして同調者と一緒に周辺国の民に罵詈雑言を投げつけたりするものではない)をつづけるヤマトタケシと、第二次大戦中に日本軍に虐待されたことを恨み、日本撲滅を目的とする秘密結社死ね死ね団の対立を基軸とする、呆然エピソードがてんこ盛りのドラマだ。じつはわたしはほとんど番組を見た記憶がないのだけれど、同級生の一部に大人気だったので、話はなんとなく知っている。主題歌は子どもが大好きなナンセンスな替え歌になり、クラスのみんなが歌えた。

 番組の挿入歌である死ね死ね団のテーマソングは、ひたすら死ね死ねと日本人をディスるもので、いま放映したらいったいどんな騒ぎになるのか、勝手に心配してしまうほどだ。それにしてもレインボーマンから44年、この間に日本人の自己認識って、びっくりするほど変容したんですね。

 いま考えるに、謎の国際組織・死ね死ね団の長であるミスターKは、通説どおり東南アジアの人とみるよりも、オーストラリア人の黄禍論者、アジア人嫌いの白豪主義者と考えるほうがぴったりくる。かれらは日本軍の捕虜として泰緬鉄道で強制労働に従事させられたことを、耐えがたい恥辱としてけっして忘れない。オーストラリア本土に爆弾を落としたのは日本だけですし。レインボーマン、奥深い。

 でも、なんでいま、死ね死ね団が山手線に乗りこんできてわたしの脳を襲撃するんだ。どうしたいんですか。ねえ。やめてください。しねしねしねしね。こらやめろ。やめろというに。

 ぶっ。

 これは、おかしい。あっけにとられる。珍妙。わはははは。しねしねしねしね。顔の高さに持ち上げた書類の陰で笑い出したわたしは、ここ数か月の沈没的自己否定感情の上を、トランポリン選手のように飛び跳ねた(あくまで比喩的にね)。いったいどの引き出しからこいつらが飛び出してきたのかしら。笑うしかない唐突さ。死ね死ね団のばからしさは否定的な感情に沈んでいくわたし自身を笑っていた。そのばからしさをばねに、わたしはぽんっと飛び上がった。問題はなにひとつ解決せず、変わらずにそこにある。でもよく寝た。寝足りた。そろそろ起きて、前か後ろかわからないけど、進んでもいいね。

 かたちだけの気遣いが窒息しそうなほどつまった、からっぽでたちのわるいことばをよしとするなら、死ね死ね団の歌で笑うなんてどうかしてる、ってことになるのでしょうね。でも、実際はそんな単純なものじゃないですよね、わたしもあなたも、この国や世界の状況も。日本兵の遺骨を収集して東南アジアを歩き、現地の諸民族と邂逅し考えたという川内康範も、多分ね。

 よし、まずは死ね死ね団にインタヴューしよう。久しぶり。どうしてたの。大変? そうだろうねえ。カラオケに行きたい? いいけど、歌うのは死ね死ねソングじゃなくて、レインボーマンの主題歌にしてね。

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                   巣にこもるとたのしみはお料理すること食べること。

 

今月の大家さん

アメリカ中西部・ミルウォーキーで借りたのは、派手なエントランスが笑えるアパートメント・ホテル。大家さんはイタリア系マフィア。滞在型ホテルって憧れだったんだけど、じつは案外疲れる。お掃除をしてくれるところでは好き勝手に寝てるわけにいかないし(マフィアはしてくれなかったけど)、それに調理器具。あっても電子レンジか小型調理器で、勢いよく炒め物なんて無理。シムノンのメグレ警部シリーズでは、パリの安ホテル住まいの女がアルコールランプで食事を温めていた。似た境遇になって、なるほどなあと納得。