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ついの住処

家探しうたかた記

中村和恵

第10回わけあり通り

  家探しを始めて、いろんな家を見た。1億円の物件も見た。もちろんひやかしだ。たいして広くもない家に、大きな螺旋階段があった。その階段のせいで、各室がみんな圧迫され、狭苦しい。こんな家に1億円も払う人がいるのかしら。不動産って値段があってないようなものだ。需要と供給、価値づけの文脈、紹介方法でいくらでも値段は変わる。つまり、みんなが欲しがらない家、ニッチなわけあり物件は、安い。

 わけあり物件、というと、まず競売物件を考えられる方が多いのではないだろうか。たしかに豪邸が冗談のような価格で売りに出されていることもあって、興味を引く。競売物件はしかし、素人にはハードルが高い。手続きも面倒そう。内覧もできない。中にぎっしりゴミがつまっていても、それは所有主の「動産」だから、勝手に処分できない。所有主が夜逃げして行方不明なんて場合、ややこしいことになりうる。ゴミとおもって捨てたものを、それは豊臣秀吉の爪の垢やで、1億はしたはずやなんていいがかりをつけられ訴えられでもしたら、かないません。

 それに青木雄二先生が『ナニワ金融道』で描いておられるように、やっかいな元住人や債権者が占有している場合は、買った当人が自力で占有者に立ち退いてもらわねばならない。わたし程度の薙刀の腕前では、その筋の方に可及的速やかに退去していただくというのはちとむずかしい。いや、競売はやめておこう。それはまさに『ナニワ金融道』の灰原君や桑田さんの世界。金利とはなにかということさえほんまに「納得も得心も」(桑田さんの台詞である)いっているとはいえないアホウには、手に余る。

 となると次は立地や建築にわけがある物件ということになる。実はそういう「へんな家」はたくさんある。とくに木造住宅が密集している古い住宅街。典型的なのはいわゆる旗竿(はたざお)地、じょうご型の土地に建った家である。

 建築基準法には「接道義務」なるものが定められている。建物の敷地は道路に2メートル以上接していなければならない。つまり四方を建物に囲まれた出口なしの中庭を買って勝手に家を建てるのはダメ。外の道路へ通じる出口が最低幅2メートル(場合によってはもっと)はないといけない。そしてこの場合の道路とは「建築基準法による道路」、つまり基本は幅4メートル以上でないといけない。

 でも、江戸時代からの道にお寺やお屋敷、下級武士の家が建ち並び、建て替えられ、分割され、また建てられてきたような東京の古い街には、車どころか人がすれ違うのもむずかしい狭い道がたくさんある。建築基準法的には接道なしの「袋地」とみなされるところにも家がこまごまと建っている。袋地を囲む「囲繞(いにょう)地」であるお隣さんとの間には長い間の約束で通路となる敷石がいい感じに苔むして置かれていたりする。

 そんな街で、この家は違法ですよなんていまさらいわれても、じゃあどこに住めというんだ、ええ? という激怒の声がわんわんとあがるに違いないのである。これはもう、どうしようもない。わたしなりにいえば、下町先住民には土地権(ランドライツ)があると認めないわけにはいかない、ということでしょう。。

 そこで、建築基準法施行日(昭和251123日)以前にすでに建築物が建っていた場合、その敷地に接していて道路として機能してきた道は、幅が4メートルなくても一応道路とみなしてやろうということになっている。これが「みなし道路」というやつだ。接道幅もかつては一間幅、つまり1.8メートルでもよかったそうで、現状そういう家もまだかなり残っている。つまり、江戸の面影が残る東京の古い市街地を歩き、ある細い道路を入っていくと、家と家の間に太ったら通れなくなりそうなほど狭い門があり、その先の猫道を進むと奥の日陰に、わけあり物件が鎮座している、ということになる。

 こういう家は「再建築不可物件」、つまり建て替えができない場合が多い。接道幅を広げないといまの法律では違法建築になってしまうというわけだ。しかし道路への出口となる猫道を挟んで建つ、表道路に面した家々も、やはり建ぺい率ぎちぎちのわけあり住宅である場合、わずかでも土地は売らないだろう。みなし道路に面して建つ古屋を新築しようという場合、やはり建築基準法による道路幅に合わせて道路の中心から2メートルは引っ込んだところに建てなくてはならない。この「セットバック」で家を建てられる面積が減ってしまう。狭隘住宅地でのセットバックは大問題である。こんな問題が潜伏している場所では、境界のわずか5cm、10cmを争って真剣なにらみ合いが容易に起こるのである。土地だけは余っていた北海道の郊外住宅で育ったわたしには、まったく息のつまる話だ。

 これらの法律からは狭小住宅を建てさせまいという意図がはっきりと感じられる。木造の狭小住宅密集地は消防車が入りにくいので危ないからよくないのだそうだが、では貧乏人に充分なだけ安い公共住宅が供給されているかというと、まるでそうではないのだからどうにも納得がいかない。都民全員を1億円ハウスが買える富裕層にするとでもいうつもりなんだろうか。一方で空き地・空き家は増えているという。人口減の時代、今後はもっと増えるだろう。空き家を安価に貸し出すシステムが、民間の需要供給の都合からできていくかもしれない。そうであるべきだとおもう。しかし2016年現在、都心部の住宅は買うほうも借りるほうもあいかわらずバカ高い。

 だとしたら旗竿地はだめってことか、と簡単にあきらめてはいけないとおもう。古屋がそこそこの程度であれば、直して住めばいいのである。児孫のために美田を買わず、自分のために旗竿ハウスを買うのであれば、生きている間機能してくれればいいのだ。となれば所有権でなく、借地権でもかまわない。より初期費用が安くなる。建て替えそっくりのスケルトン・リフォームだってできる。なにしろ旗竿ハウスは安い。1000万~2000万円台で都心一戸建てといった無理難題をかなえるには、いい選択肢だ。ただ、たいてい日陰だよね。お隣さんが迫ってくる。わたしも再建築不可の旗竿ハウスを見学に行った。2000万円台後半。きれいにリフォームしてある。2階の窓を開けると裏の家の奥さんが握手できる距離でお布団をたたいていた。ううむ。一軒家でなく長屋と考えればいいんだろうが、起居すべてにつきお隣に遠慮しなきゃならないというのも気がふさぐなあ。家では寝るだけっていう人ならそうわるくないんだろうけれど、わたしは家で仕事するからな。

 おそらくみなし道路に面した家は概して安い。車が入らなければさらに安い。建て替えはしない、多分そんなお金は貯められない。リフォームでなんとかする。なんともならなくなったら売る。とすれば旗竿ハウスはやめて、接道は広めでみなし道路沿いのボロ家というのがよろしいのではないか。

 到底住めないような家をなんとかするというのも手だ。護国寺近くの縁側つきのちいさな平屋にはかなり心を惹かれた。木材の質感が、最近の家とは違う。だが隣に建てられた高いビルのせいでどんなに晴れた日でもじめじめと湿気っぽい陰地で、どうもここに住むという気にはなれない。とおもっているうちにそこは売れ、古い家はめきめきと壊されてしまった。解体現場に入りこんで廃棄物の山から古い透かし模様入りのつくりつけ棚の扉と、真ちゅうの取手をいくつか失敬した。いやリサイクルした。

 この平屋近くの坂下通り周辺には、木造狭小住宅がところ狭しと並んでいる。いくつか見た中に比較的大きな、不思議な家があった。押入れの中に階段がある。やたらたくさん出入り口がある。ニンジャ屋敷か? 襖がいくつもあって、全部とり払うと2階は大きな一間になる。とても古そうだが、チラシには築年が書かれていない。不動産屋いわく、増改築を繰り返し築年がよくわからないのだとか。そんなことってあるのかしら。ねえ。といっているうちにそこも売れ、その不動産屋が紹介したいという坂下通りのマンションも拝見することになった。居室全体よりもルーフバルコニーのほうが面積が広い。バルコニーに簡易プールを置いてビーチパラソルを立てたら「プールつきの家」だわ、とおもった。しかし晴れた日ばかりとはいかないからな。降ったら狭い家だ。本が入りきらん。ううむ。ある日のチラシには600万円の物件が載っていた。山中のバンガローのようなものらしい。どうしようもなくなったらこういう手もあるとおもった。どうやらいささか煮詰まってきた。

「わけあり通り」に家を買うことになったのは、結局、町内をよく知っていたからだ。ワンブロック先の2階建て長屋を借りて住んでいたので、近所の土地の傾斜や日照、車の出入りや住人たちのことも、だいたいわかっていた。ここならいい、ここはちょっと。実際に住んでよく観察していないと、わからないことというのがある。その築十年の注文住宅は、表通りから一本中に入った、ゆるい南向きの下り坂の中ほどにあった。わけあり通り、とあだ名をつけたのは、立地条件や建物にわけありな物件が多い通りだったことと、その路地のひっそりした佇まいが、どことなくいわくありげだったことによる。

 いまどき珍しく裏面が白い、一色刷りの折り込みチラシを、とっくり眺める。この近隣だけに配ったとみえる。わるくない。例外もあるだろうが、ぴかぴかのカラーチラシでほうぼうに宣伝しているような建売に、概してロクなものはない。区の広報誌かなにかについてきた江戸時代中頃のこのあたりの地図を出してきて、チラシの地番近辺のいまの地図と比べてみる。なにも変わってない。この家が建つ路地は、江戸時代からそのまんまだ。つまり道は狭い。みなし道路である。

 さて、物件。2階建てで屋根裏部屋がある、ちいさな家だ。オーストラリアなら車庫にも狭いといわれるかもしれない土地。でもこのあたりの小規模住宅用としては充分一軒分の地面。4280万。それもこのあたりの中古一戸建てとしては安い方だが、わたしには高い。先にも書いたが、頭金はない。登記費用とか税金とか、中古物件だと余計にかかるという諸経費ぐらいは貯めるつもりだったが、貯められなかった。体質らしい。多分貯金アレルギーなのだ。ただ幸運なことに、前の学校を辞めたときに思いがけず退職金というのをもらった。これが諸経費。あとはローン。どう計算してもわたしが借りられるのは3000万ちょっと。返済を考えてもこれ以上は出せない。予算よりかなり高い物件だ。まず無理だろう。だが見るのはタダですから。目と鼻の先ですし。

 角を曲がって一本内側へ入っただけなのに、そこは踏みこんだことのない、不思議な路地だった。大きな家の塀がつづき、その前に当該物件があって、隣は古いアパート、その鼻先をのぞくと奥はまさに猫の通り道のような狭く暗い路地で、何軒かの家の玄関が見える。私道だろう。旗竿ハウスとはまた違った形態の不思議物件群だ。アパートから先にはちいさな家々が連なり、庭はないけれど大小の鉢植えがわんさか道の両側にあふれて花を咲かせている。拝見しながら進んでいくと、路地はいきなりくいっと曲がって、右手に擁壁、左手にこまごまとした家並みがずうっとつづくのだった。これでは車は入れない。道が狭すぎる。多分それで買手がつかないんだろう。家は案外新しい。なんちゃってオンボロ物件ばかり見ていた目には眩しいほどまとも。しかし、チラシと実物が違う。かなり違う。だいたい玄関が二つある。

 チラシはリフォーム後の図面ですので、と緊張した顔の若い担当者が説明してくれた。こちらの売主さんは1階の半分を賃貸物件にされていたんですよ。ですから現状ではこちら側の六畳間に台所とユニットバスがついているわけです。リフォームではこれらを撤去して、この図面通りとなる予定です。

 こちらの玄関から入ると奥はお手洗いとお風呂、2階はキッチンと居間があって、採光と通気性のよさが抜群です。ベランダと南側の窓、台所にも窓がありますし、階段の吹き抜け横にも窓があります。板戸を開けばこちらのお部屋とつながります。ええ、こっちはお隣の窓がすぐなんですが。ここに梯子段が下りるようになっていて、ご覧のとおり屋根裏部屋が案外広いんです。窓も二面あるので通気性もいいんですよ。通常物置になってしまう不便な屋根裏とは違いまして、売主さんのお嬢さんがお部屋として使っておられたんです。なにしろ建売ではなくて、売主さんのご注文でつくった家ですので。

 それで、とわたしは訊いた。リフォームにいくらかかる算段なんですか?

 いえいえ、これはリフォーム込みのお値段でして......

 ああ、それはわかってるんです。そうじゃなくて、リフォームやらなかったらいくらになるのか知りたくて。このままならいくらでいけるのか、教えてもらえますか。

 えっ。担当のハイバラ君(仮称)は返事につまり、電話をかけ、あとでお返事します、といった。ほかにもご関心がおありの方がいるのですが、そちらはすっかり壊して建て替えの方向で考えておられるんです、駐車場が必要ということで。それは多分うまくいかないだろうとわたしは思った。道路も土地も狭すぎる。もうしばらくそこにいてみたかった。2階から屋根裏に上がる梯子段に連れ合いと並んで腰かけ、足をぶらぶらさせながら、窓の外の景色を眺めた。昼間の月が浮かんだ青空と、お向かいの家の庭が見えた。窓を全部開けると、風が四方八方から入りこみ、部屋を抜けていった。ハイバラ君が安くしてくれるなら、とわたしは考えた。よし、大阪流に値切ろう。半額にできんかのう、無理いってすまんのう、といこう。うんと安くしてもらわなきゃ。ここなら昼寝がいくらでもできそうだから。

 

「チセ」札幌市アイヌ文化交流センター httpwww.city.sapporo.jp より引用.JPG

木材と茅、地域によっては松の樹皮などでつくられたチセの内部は、

蒲草で織ったふかふかの茣蓙が敷かれ、本当に心地いい。

(札幌市アイヌ文化交流センター http://www.city.sapporo.jp/shimin/pirka-kotan/より転載)


今月の大家さん

 食事も出る下宿屋の場合、大家さんの立場はときに曖昧。ジーン・リースの小説『闇の中の航海』(1934)では、カリブ海出身の若い踊り子・アナがロンドンの冬に耐えかね、お湯を、暖炉に火を、お茶を、と大家夫人に要求、わたしはあんたの女中じゃないとキレられる。夫人は金持ちの愛人になってめかしこんでるアナが嫌い。多分嫉妬もしている。他方、漱石『こころ』(1914)の大家夫人は店子の書生を気に入って客人のように遇し、婿にまでする。大家と店子、どう転ぶかわからない。