ついの住処イラスト

ついの住処

家探しうたかた記

中村和恵

第8回金なら、ない

 お金で失敗したことはない。理由は、失敗するほどのお金がないから。

 住宅ローンを組んでいるので(35年ローン!)金利が上がると困るが、いまのところその気配はない。株も外貨も買えないので東証もマザーズも気にならない。貯金さえほとんどないのでマイナス金利もへっちゃらだ。金が上がろうがプラチナが下がろうが、どこ吹く風。振り込め詐欺にひっかかりかけたけど、お金がないせいで大丈夫だった。ロンドンに半年いたとき、図書館が使いたくてロンドン大学の東洋アフリカ研究学院に籍を置かせていただいたのだが、やはりロンドン大で学んでいた学生のパソコンがハッカーにやられ、イギリス国外で泥棒に遭いました、帰りの飛行機代その他を貸してください! とメールがきたとき、ほんとにその人が書いたんだと信じちゃったんですよ。でもお金がなかったので、いまこれだけしかないけど、みんなに訊いてあげるからとにかく電話して! と返信した。少額すぎてハッカーに無視され、事なきを得た。給料とりなのになぜこんなことに? 入った途端、飛び去る。お金はさびしがりやや、と林某氏がおっしゃっておられたが、けだし名言と思われる。うちにいてもさびしいだけなんや。

 理由は、1.涙が出るほど税金をとられるシングル(法的に)のババア(かつての都知事の表現)だから、2.借金を返しているから、3.入ってくるお金は全部お小遣いだとおもっているから。1についてはなにをかいわんや。いや、いいたいことは富士山ほどあるが別の機会に譲る。2については後述する。しかしそうなるのも3ゆえだ。結局これが問題か。無駄遣い。貯金しろ。定年後どうするんだ。オランダで安楽死するにも金がいるんだぞ、『楢山節考』のおりんになる覚悟はあるのか。ないなあ。すくなくともまだない。『日経WOMAN』を買っても、『東洋経済』を読んでも、老後設計の説明が頭ではわかるのに、心にしみない。またCOSMIC WONDER で籠を買ってしまった。病気をした(都合4回手術した)せいで先のことより今のことって考えになったんだよ、と言い訳しても、こんなにたくさん籠はいらん、といわれてしまえばその通り。

バカかこいつは。バカだな。疑いの余地なし。超しっかり者の妹はおねえちゃんを危険人物視しているらしく、わたしには自分の娘とあまり話などしてほしくない様子がうかがえる。ちゃんと借金を返済するよう説教されたこともある。薙刀じゃなくて正論をふりかざす巴御前。ちぇっ。このおねえちゃんじゃあそれもやむをえん。申し訳ございません。

 先日高校のときの同級生に会った。大学の同級生さえほとんどつきあいはない。高校時代なんて白亜紀みたいに迂遠。でも先日会ったヨコヤマ君は数少ない友人の一人だったので会えてうれしかった。きみはもの書きになるんだとおもってた、センセイになったって聞いてびっくりしたよといわれた。えっ。もの書きはやっているよ、ホソボソと。もの書きは、なるものではなく、やるものだ。もちろん、職業作家というのは存在していて、お給料はどこからもいただいていない、書くだけで食べてます、という人もいないことはない。でも詳しく聞くとたいていの方は、講師とか翻訳とか校閲とか別の仕事もされていて、かならずしも一番やりたいことではないことをして露命をつないでおられる。一番やりたいことはオウオウにして金にならず、お給金を払うからやってくれといわれることはたいがいオヤオヤなことである。やりたいことを本業と呼ぶべきか、金になることを本業と呼ぶべきか、どっちだろう。正直なところなんともいえない気がする。前者と後者が入れ替わり混じりあう、陸と海の両側から沈没中の湿地帯、野付半島みたいなところにいますからね、文学者(研究者も書き手も両方こう呼んでいいとわたしは思うんだよ、ヨコヤマ君)なんて。

 なにがいいたいって、わたしは給料とりになると小さいときから決めていて、その理由は親父の周りの文学者や芸術家にあったのだが、自分で思ってたほど利口でもしっかり者でも実はなかった。給料とりとして性根がすわっていない。給料とりのライフスタイルとはどういうものか、その根本がわかってないのだ、多分。お給料とバイト代の区別がついてない、のだそうだ。入ったお金は家賃ないしローンと光熱費を払ったあとはみんなどこかに消えてしまい、それでなんら問題を感じてこなかった。しかも無駄遣いの結果の中に、売って金になるようなものはなにもない。そんなこといってヴィトンの財布のひとつぐらい持ってるでしょ、と以前いわれたが、持ってない。旭川アイヌの木彫りフクロウ、フィオナ・フォーリーのディンゴの絵、フィリップ・グダイクダイのウィチティ(ヘビ)の版画は、わたしには重要文化財だが、泥棒さんにお見せしても、いやちょっとこれは売れないですね、と断られそう。岡本光博氏の名作「赤毛袋」も、芸術作品ではなくリサイクル・バッグだと思われるだろうし。

IMG_0216.JPGのサムネール画像

 人間は軽く借金を残して死ぬぐらいが適正なお財布バランスだと、長年信じてきた。リバース・モーゲージをオリジナル設計で実行しているというべきか。つまり、自転車操業。前倒し人生。うまく消えられるかどうか、そこが問題。

 でも、そこはみなさん、問題ですよね。例外なく。

 1819世紀のイギリス文学から金の問題と植民地イメージを抜いたら、なにかおもしろいことなんて残るだろうか、とあえていってみよう。なにをいう、政治や戦争、民族問題、哲学、その他もろもろ、なにより愛と結婚があるじゃない! と湯気を立てる方に、結局それ、ほとんどお金と植民地に換言できませんか、といってみたい。イギリス人の悪口をいうのが大好き、クリケットで負かすのはもっと好き、という植民地の慣習にわたしは染まってしまってるらしいので、ごめんなさい。愛と結婚、それは遺産相続でしょう。遺産相続。やめたほうがいい。諸悪の根源だ。ディケンズもいってますよ。

 人は易きに流れる。働く必要がなければ働くまい。わたしもそうだ。世界中みんなたいがいそうだ。誰でも自分の食いぶちを稼ぐのは納得がいく。他人を食わせるのは納得がいきにくい。しかし伴侶は自分が選ぶ、自分の責任だ、互いに合意の上だ、助け合うべきだ。一方、子どもは他人じゃない、というけれど、選んでつくるわけじゃない、ほとんどの場合偶発的に発生する。しかし子どもも幼いときは育てるべきでしょう、血のつながりうんぬんじゃなく、助けが必要な生き物だから。そこは意見が大いに分かれるようだけれど、さまざまの社会や民族を引き比べてみるに、幼い子にとって大事なのはDNAよりケアだとわたしは確信している。ケアしないと死ぬ、それがヒトの赤ん坊だから。でも成長して自分で食いぶちを稼げるようになったら、自分でやらせるほうがいい。もちろん、余ってるお金をたっぷりあげて好きなことだけなさい、というのもいいよね。次はそんな家に生まれたいとわたしも思う。でも99パーセントの日本人は、そんな余裕ない。余裕があったとしても、好きなことが見つからず、くさっちゃう子はおそらく少なくない。やるべきことがある、行くべきところがある、それってとても大事、誰にとっても大事なことだとわたしは思う。

 だからなにがいいたいかって、児孫のために美田を買わず、ですよ。なんだ案外あたり前なことをいうなあって、そりゃそうですよ、なにも常軌を逸したことをいいたいわけではない。だが考えを推し進めていくと、なぜか常軌を逸したように見えるところに出てしまうことがある、それだけのことです。

 

 というわけでわたしは借金をして家を買うことにした。なぜ賃貸じゃいけないかって、最初は借りるつもりだったんです。ちょっと広いところを。理由はいくつかあるが、簡単にいえば、本が増えてきた。非常に警戒して増やさないようにしていたのだが、南太平洋やインド、カリブ海などで出版された、よそで借りたり日本で買ったりするのがむずかしい書籍を集めざるをえなくなった頃から、やむをえず増え始めた。コピー資料、メモ、ファイルといった紙類もどんどん増えてきた。片づけが下手なわたしは、コンゴかベナンの呪術師に紙の呪いを解いてほしいとうめくほどになった。もうちょっと広いところが要る。もうほんのちょっとだけ。引っ越しだ。

 それで調べ始めたら、金利が下がり始めた時期だったため、むしろ借りるより買うほうが安い物件が多いことに気がついた。なんだって東京の家賃ってこんなに高いんでしょうね。空家いっぱいあるっていうのに。みなさん交渉したほうがいいですよ。いわれた値段で借りちゃだめですよ。しかしなかなか敵も簡単には下げてくれない。すくなくともあの頃はそうだった。給料とりの利点は、借金が容易なことだ。わたしじゃなくてカイシャを信用するわけである。しかも聞けば死んだらもうローンは返さなくてもいい、という。団体信用保険とかいうのに入ることになるんですって。死んだら保険が下りるからそれで返してもらえばいいよってことらしい。だったらまさに借金軽く残して死ねば、誰にも迷惑かからないじゃない。毎月払う額が安いほうがいいに決まってるわ。それに一応資産ってやつになるんでしょ、つまりいざとなりゃ売って現金にして逃亡できるわけじゃない。なにから逃亡するんだか、さあそれはまだわからないけど、いろいろありえるでしょ、生きてれば。よし、買うぞ。

 もともと間取り読みが大好きだったので、新聞の折り込みちらしと近所の不動産屋の情報を頼りに、物件を見て回ることにした。それに際して、決めていたこと、というか、どうにもやむをえん条件はひとつ。3000万円台前半であること。わたしの勤続年数と給料じゃ、いくら計算してもそれ以上借りられないってわかったから。モトがとれないようなことを銀行はしないのよ、当然だけど。自分が死んだ瞬間にきれいさっぱり、崩壊するような家を買う。静かな裏通りの中古、ボロ家がいい。

 ちょっと待って。マンションじゃないの?

 マンションも考えましたよ。わたしはマンションでもよかった。でも連れ合いが強固に反対した。理由は阪神大震災。1階が駐車場になった大きめのマンションがつぶれている映像は、たしかにわたしの目にも強烈に焼きついていた。一軒家なら、と連れはいうのだった、いざとなったら壊れた家を焚きつけにしてテント張って生き延びられる。たしかにな、とわたしも思った。上下階の音を気にしたり、管理組合がどうこういうのもいやだった。自分の家なら損壊したときも最悪ブルーシートでしのげるが、マンションではそうはいかない。でも都心で3000万円台前半で閑静な住宅街の一戸建て、平米は最低60って、そりゃ普通無理やろ。ありえへんやろ(なんでお金の話すると関西弁になるんやろ)。

 あるんですよ、みなさん。なんちゃって物件。1000万、2000万円台のわけありが。そりゃあもちろんわけはありですよ、ないはずがないでしょう。というわけで次回は、東京都心部わけあり通りの冗談みたいな物件をご紹介いたします。で、頭金は、って、そんなものあるわけないだろう。最初からもう一度読みたまえ。

今月の大家さん

今回はほんとは家族を0.5人分やるって話をしたかった。でも結構考えなきゃならないことが多くて、ひとまず家獲得の話にしました。家族っていまカルト化してません? 実態は逆に分業化したり外注されたり形骸化してて、いままでのままじゃ絶対無理になってきてるのに。で、それ、悪いことかな。友達が場面ごとにいるみたいに、稼ぎ仲間、食べ仲間、子育て同志とかさ、ゆるくいろいろ声かけてやれたらよくない? 大家さんにも家族になってもらうとか。家賃タダとはいわないけど、手伝うからまけてくれ!