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ついの住処

家探しうたかた記

中村和恵

第4回バンビの生きざま

 おまえはひとりでは生きていかれないのか。

 なぜ、この台詞があれほど強烈に、わたしを打ったのか。いまだによくわからない。バンビのお父さんが、父を知らず、母とも別れて、森をおろおろとさまよう幼いバンビの前に、いきなり現れていい放つことば。

 聞いたのはおそらく四、五歳の頃ではないかとおもう。たしかキンダーブックというのではなかったかとおもうが、お話レコードのシリーズがあった。そんな高そうなものをビンボーが枕詞だったうちの親がどうして買ったのか、あるいはもらったのか、そこらへんのアンバランスがまさにわたしの生育環境そのものなのだが、なにしろうちにバンビのレコードというものがあって、何度も何度も聴き、ほかのところはよく覚えていないのだが、この台詞に深い感銘を受けた。

 いまあらためてフェーリクス・ザルテン『バンビ』(上田真而子訳、岩波少年文庫、2010年。原作は1923年刊)をみると、「ひとりでいることができぬのか? 恥ずかしいぞ!」p. 88とある。わたしが聴いたレコードの台詞と、ほぼ同じ内容だ。むしろレコードのほうが、つき放した感じがある。子ども向けなのに、なかなかきびしい内容をそのままに伝えていたのだとおもう。手加減なしの真実か、甘い味つけの嘘か。子どもというのは案外、そういうことに敏感に反応するものではないか。だからこそ、甘い味つけの嘘ばかり与えられて育つと、痛いおもいをしたくない、きびしいことばの前に怯える怖がりバンビに、素直になりおおせるのかもしれない。ディズニー風に楽しいばかりの仲間たち、やさしいばかりの両親、お約束のハッピーエンドの、影響は甚大なのかもしれない。授業中紹介する小説や映画作品がハッピーエンドに終わらないと、顔を見合わせ、居心地が悪そうに結末の意外さを指摘する、そんな学生に毎年出会う。文学がそんな人工甘味料みたいなものだとすれば、いらない、というのはよくわかる気がする。そんなもんじゃないと、わたしはおもっているわけだけれど。

 世間とやらいうところは、よほどたちのわるい、薄汚い策謀と嫉妬と競争のジャングルのようなところらしい、とバンビのレコードに耳を傾けていた頃のわたしは、おそらくうすうす感づき始めていた。まあ、長じてのちに知ることになった広き世界の底知れぬ悪意と欲望の恐ろしさに比べれば、それこそバンビの森程度のジャングルだったのですが。いつも同じ服を着ている不器用で変わった子ども、カラーテレビや電話や車のない家、お世辞や贈答品がうずたかく積まれるおつきあいがない世間知らずの親、そうしたことが嘲笑の対象になるのだということは、幼稚園児でも身にしみてよくわかる。あーあ。疲れる。いやだいやだいやだ。どうしたなら人の声も聞こえない、意地悪も足のひっぱり合いもない、静かな、静かな、自分の心も何もぼうっとして物思いのない所へ行かれるであろう。つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情けない悲しい心細い中に、いつまでわたしは止められているのかしら、これが世間か、世間がこれか......。

 いや、樋口一葉の文章では「これが一生か、一生がこれか」なのでありますが、わたしはこれが世間か、と間違って覚えてしまって、ずっとそれが直らない。まあこの文脈だと、お力がいう一生と、世間の波に乗っていく苦労は、さして違いもないようにおもわれる。子どもにそんな苦労などといまの齢のわたしは一笑に付したくもなるが、考えてみれば「にごりえ」を書いた一葉は二十三、その翌年にはもうお亡くなりなのだ。五歳のわたしは、菊の井のお力にまだ親の古い文庫本で出会ってはいないが、あの頃の気持ちがお力の独白を読むと蘇ってくるのは、じつはそれほど不思議なことでもないのかもしれない。ああ、どこかもっとわかりやすい、ネクタイに背広のお父さんがいる、テレビに出てくるみたいなお金持ちの家にもらわれていきたい。原稿用紙とドストエフスキーのない世界に行ってみたい(わたしの父はロシア文学者で、可能なら24時間仕事したいという性質の人なのだ)。そんな子どもっぽい夢だったのかもしれない。

 なにしろその「事件」が起こったとき、わたしはバンビのお父さんの台詞を胸に、いつかひとりで森へ、あるいは荒野へ、大海原へ、出ていく日を妄想しつづける、黄色い帽子に水色スモックの幼稚園児だったはずだ。おそらくは青い三角屋根の家を悦子(母)が買って引っ越して間もない頃だったのではないかとおもう。家に階段があったので、そうに違いない。狭い木の階段をわたしがとんとんと二階へ上がっていく。そのあとを弟がうれしそうについてくる。おまえはここを上がってはいかん決まりだというのに、わからんちびだ。むかっとした。

 人間世界のしち面倒くささに、そろそろむかつき出していたわたしの、家でのあだ名は北条政子であった。悋気(りんき)で情熱的な頼朝の妻ではなく、のちに鎌倉幕府の実権を握り尼将軍と呼ばれた頃の政子のことをいったのだとおもわれる。つまりは家中を従わせる尼御台さまだ。悦子の国文学生時代の専攻は中世文学で、愛読書のひとつは平家物語。ちなみに、弟の下に生まれた妹は友恵というのだが、これは友達に恵まれるよう、あるいはわたしの名と韻を踏むよう、優雅にやさしくつけられた名ではない。巴御前からとったのである。落ち延びる木曽義仲に残りわずか数騎となるまでつき従い、最後に敵の大将の首をとってみせた伝説の女武者、巴御前。尼将軍に拮抗してゆくには、かの女でもなければむずかしかろうと、そういう悦子の考えであった。まことに失礼千万、なめておるのか。

 しかしチャールズ・M・シュルツの大ヒット漫画シリーズ『ザ・ピーナッツ』、つまりあのスヌーピーの漫画を読みだしたときは、自他ともにこのルーシーはわたしにそっくりだと認めざるを得なかった。正確にはわたしはより内省的で、より面倒くさく、社会不適合性が高かったのだが、家でのふるまいはまさにルーシー。ライナス君はやられっぱなしだった。

 二階についてきたらだめなんだよ!

 階段の上からものすごい剣幕でどなったお姉ちゃんにびっくりして、はいはいしていた両手が持ち上がったまま止まった弟は、そのままからくり人形よろしく階段を転げ落ちた。なんと! 

 下に倒れた弟のあたまから血が流れているのが見えた。泣き声の上で親が大声でなにかいい合って、あわてて弟を抱いて走り出ていった。ヨコヤマさんといっているのが聞こえたから、お医者に行くのだとおもった。いつもならこってり叱られるはずなのだが、わたしにかまっている暇などないという様子で、とにかく親は二人して走って行ってしまった。

 死んだな。と、わたしはおもった。

 あたまからあんなに血が出たのに、わたしは叱られもせず、ここにこうして放置されている。死んだに違いない。いまからヨコヤマ医院にいったところで、なんの足しにもなるまい。わたしの脱臼を治すぐらいしか役に立たないあのじいさんが、あんな大怪我をした赤ん坊に、できることはなにもあるまい。だいたいこの家は街のお医者さんにも遠すぎる。車をつかまえたところで数十分はかかる。弟は死ぬ。

 であれば、この家にはもう、いられない。

 わたしは覚悟をきめた。

 わたしの過失とは、正確にはいえない。わたしは弟を押したのでも蹴ったのでもなく、ただ大声で叱っただけだ。しんぺい君はまだ歩けないから二階に上がってはいけない、というのは親が定めたルールであり、わたしは厳格にそれに従ったまでである。しかし大声を出した結果、しんぺい君が落下し、あたまが割れ(とわたしは信じていた)、死んだ(まさにね)。とり返しがつかない結果だ。弟を殺すような子どもは、家に置いておくわけにいくまい。

 バンビのお父さんがつねづねのたまわっていたことを、わたしはおもい出し、かみしめた。どんな小鹿でも、また人間の子でも、いつかはひとりで立ち、親から離れて生きていかねばならない。それができないということは、生きていくつよさがないということだ。親から離れた子どもにどんな運命が待っているのか、予想もつかない。だが、おそらくわたしは死なない。なんとか食べ物と寝る場所を貸してくれるよう頼み、方法を見つけ、自分で自分の道を切り開いていくほかない。

 わたしは周りを見渡した。格別名残惜しいものもない。着の身着のままでゆこう。ただ、このガアコちゃん(ねじを回すと歩くガチョウのおもちゃ)は、最近いただいたもので、かわいいし、記念になる。これひとつ持って、出ていこう。

 靴を履きかけて、わたしは考えた。しかし、しんぺいはどうなったのか。死んだにしても、安らかであったか。あるいは生死の境をさまよい、ヨコヤマ医院でうんうんいっているのかもしれない。かわいそうなことをした、とあらためておもった。わたしの責任である以上、なにがどうなったのか、確認してから行っても遅くはあるまい。親には合わせる顔がないから、こっそり物陰から様子を聞いて、その後出かけることとしよう。

 わたしはガアコちゃんを持って座布団の下に隠れ、様子をうかがっていた。座布団の下にちょうど入るぐらいの大きさであったのだ。待てど暮らせど帰ってこないようだった。わたしはだんだん飽きてきた。ガアコちゃんのネジを巻いてみた。座布団の下でちょっと歩かせてみた。座布団の外もちょっと歩かせてみた。いかんいかん、とひっつかんで座布団の下へしまいこんだ。こんなことをしていて、親が帰ってきて見つかってしまっては、覚悟もなにもあったものではない。ちゃんと隠れていて様子を聞いたのちにそうっと出てゆかなくては。

 半分眠りかけたとき、玄関ががちゃがちゃいって、親がおもいのほか明るい声で話しながら、にぎやかに帰ってきた。どうも様子が違うな。しんぺいは死ななかったのか。あるいは大怪我で済んだか。親は晩ごはんがどうしたとかなんとかさんの本がどうしたとか、関係のないことばかりいっている。はやくしんぺいのことを話さんか。

 あら、かっちゃんがいないわ。

 えっ、ほんと?

 かっちゃん、どこ行った?

 これはまずいことになった。見つかったらまたしても面倒なことになる。やはり早く外へ逃げておくべきだった。座布団の下にしっかり潜りこんで、身をかたくしていたら、手からガアコが離れてしまった。ジージージーとガアコが座布団から居間の中央へ歩き出ていってしまった。なんたること。大失態。

 座布団の下にすっかり隠れていたわたしに親はびっくりして大笑いをした。しんぺい君の傷は血がいっぱい出たわりにはたいしたことがなかったとわかった。頭の怪我というのは出血が多いのでびっくりしがちだが、何針か縫って包帯をしておけばよいのだという。弟が死ななかったことにわたしはとにかくほっとした。それで弟をどやしつけるのをやめたかというと、なかなかそれほど利口にはなれなかったのだが。

 あのときの家を出る覚悟は、しかし子どもなりに、ほんとうのものだった。いつかはかならず、ひとりで森なり大洋に出て、危険を冒して生きていかねばならないのだ。なぜだかわたしはそのように、一心におもいこんで、いまに至る。多分あの頃から、わたしは自分の家を持つつもりだったのだとおもう。

tamaie3.jpgのサムネール画像

青い屋根のお家の前の筆者と弟。

階段落ち後、あたまが無事くっついた頃の写真ではないかとおもわれる。

今月の大家さん

『バンビ』の中で鹿は、森の大家さんみたいにえばっている。「殿様」って呼ばれてるのよ。『バンビ』がこんなに階級的な物語だったとは。ちなみに人間は殿様の仮想敵で、「あいつら」と呼ばれている。わたしの歴代大家の中で一番のえばりんぼは、ムンバイ出身のお疲れ気味インド美人、ヴィヴィ。旦那は昔ちょっと知られたビートルズ評論家、家はロンドン北部マズウェル・ヒルのセミ・デタッチドハウス(棟割長屋タイプの家)。広めだけど1Kで月額約15万円。高いよヴィヴィ。