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ついの住処

家探しうたかた記

中村和恵

第3回モバイル方丈ハウジング

「人間のすることで愚かしくないものはないが、中でも、このように危険にみちみちた京の都の中に家を造ろうとして、金銀を費やし、心を悩ませることこそ、わけても無益な仕業ではないかと思われる」

 まさしく、とあらためて鴨長明『方丈記』に共感する人は、2011年の大震災後、相当増えたのではないかとおもわれる。上の中野孝次の現代語訳(『すらすら読める方丈記』初版2003年)が講談社文庫で再版されたのも、2012年と奥付にある。

 しかしそれ以後も都や、ほうぼうの町村に、家を造ろうと金銀を費やし、心を悩ませるひとは絶えない。

 いまの都のわたしの住まい近くでも、長年ゆかしく眺めていた古い平屋の一軒家が、まわりの竹藪とともに夢とかき消えた。その跡にはぺこぺこの、粗製急ごしらえ狭小むりやり三階建て×五棟が、タケノコよりもすばやく生えた。よくこんなのを7000万だの8000万だので売る輩がいるものだ、と通りがかるたび呆れていると、あれよあれよと契約が決まって、引っ越してくるひとがいる。納期と収益ばかりを気にして建てられた、材料も構造も工法もよくわからないマンションと銘打った集合住宅の続き部屋を、一生かかって返せるかどうかという借金をして買った後で、こりゃ土台がぐらぐらだ、なんていまさらいわれてもと頭を抱える、そんなひとが跡を絶たない。

 しかし、それもやむをえないところがある。そういう選択に導くよう、さまざまの法律、制度、商業戦略がすっかり、できてしまっている。

 いまの日本で家がなくてはなかなかに、暮らしていくのはむずかしい。たくさんの人々がそれぞれに、たくさんのモノを持ってたくさんの便利の近くに定住し、より快適に効率よく暮らそうと考える。それが現在多くの社会で「当然」とされている。定住を前提として定められたことが多いので、住所なしには図書館の本やツタヤのDVDが借りられないどころか、職にもつけず、パスポートもとれず、正直おかしな話だが、家を借りることもできない。身ひとつ、風呂敷ひとつ、バックパックひとつで自転車に乗って、蕗の葉の下に雨を避け、川で魚を釣り、毎晩焚火をして眠る、というわけに、簡単にはいかないのだ。

 ただ、そういう単純明快で、ただ暮らすことに明け暮れる、そんな生活様式に憧れる気持ちは多くのひとがもっている。かくいうわたしもそう。

 選ぶことのできる幸福を、たいていは自ら捨て、ほとんどのひとは世に随(したが)って生き、やがて死ぬ。

 選ぶことのできる幸福を選んだ数すくないひとりが、鴨長明であったらしい。

 長明晩年の編著になる『発心集』巻五の十三は「貧男、差図を好む事」といって、ここに「鴨長明の自画像と言っていい」人物が描かれている、と中野氏はいい、上の文庫の終わりのほうに現代語訳で紹介されている。位はあるが貧しい男が書き損じの反故紙をもらってきては「それにいくつもいくつも家の設計図を描いて、頭の中で家を作る」ことに興じている。きっと長明自身もそんなことをしていたのだろう。「彼の方丈の住居は、組立て式で、その道の人が見ても大変よくできたものだという。彼の住居哲学は、建築に対する強い関心を基礎にしてつくられているのだ」。さにあらん、さにあらん。

 長明殿のおそらくは詳しく実際的な図面と比べるのはどうかともおもうが、わたしも裏が白い新聞ちらしに家の絵や間取りを描きかけては辻褄が合わなくなり(縮尺というやつがどうもむずかしくて)描き捨てる、といったことを、よくやった。いまも会議などで退屈すると知らないうちにこれをやり始める。会議資料の裏にね。それは悦子(母)が札幌郊外に、イボタノキの生垣に囲まれた青い三角屋根の家を300万で買って、引っ越した頃からだとおもう。

 団地、と呼ばれて開発された新興住宅地であったが、集合住宅ではなかった。北海道ならではの、庭にもう一軒は建ちそうな余裕のある一軒家だった。三角形の屋根は雪が滑り落ちやすく、あの土地に適った合理性があった。近隣一帯にほぼ同じかたちの家がずらりと並んでいたが、屋根の色や窓の形、垣根などにすこしずつ、違いもあった。

 青い三角屋根の勾配に沿って天井が斜めになった二階の、西半分はまだ部屋になっておらず、断熱材の黄色いグラスファイバーと木材の構造が見えていた。ゆくゆくは書斎にと考えていたのだろうか、お金がなくて造成できなかったんじゃないかとおもう。書斎のない親父は、実験動物を飼っている理科系の先生ぐらいしか行かないような年末や祝日なども、毎日大学研究室に通って仕事をしていた。

 二階の残り半分は、三角形の広い屋根裏部屋になっていて、片側をわたしが、反対側を弟が占拠した。斜めになった天井の下で眠るとき、わたしはこの家が好きだとおもった。庭には白樺や八重桜の樹があった。親父は枝が伸びすぎたといって八重桜を切りまくり、葉も花も主幹から吹き出して咲き乱れる、ぶっといトーテムポールみたいなものに仕立て上げてしまった。桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿、という園芸訓戒を知らなかったとみえる。

 見事な庭に鳥鳴き風そよぎ、欠陥もなく立派に完成した不満もない家、とはなかなかいかないが、なにしろ静かな自分だけの場所がある、それを求めてひとは家を借りたり買ったり建てるのだとおもう。雨が多ければ屋根がほしく、夏暑ければ日除けがほしく、風がつよければ壁がほしく、雪が降れば窓や戸口を二重にして、ストーヴを焚くから煙突がほしい。はかない泡のような暮らしにそのようなこまごました望みをつなぎ、そのためにせっせと働くのが、ひとの常だ。

 そうして幸せのかたちをつくってみて、さてしかし、こころ穏やかに静かにとは、なかなかいきがたいと、長明殿はいう――わかりやすいあたりなので原文を引用してみたい(前出書より、ルビや注は略す)

「もし、貧しくして、冨める家の隣りにをるものは、朝夕、すぼき姿を恥ぢて、へつらひつつ出で入る。妻子・童僕のうらやめる様を見るにも、福家の人のないがしろなる気色を聞くにも、心念々に動きて、時として安からず」。いまの話かとおもいます。なんて変わらないんだろう。格差社会の嫉妬なんて、ひとつも新しい話じゃないわ。

「また、いきほひあるものは貪欲ふかく、独身なるものは、人にかろめらる。財あれば、おそれ多く、貧しければ、うらみ切なり」。ほんとうにねえ、いまも昔も。なんとも切実に身近に感じられるので、ここからまた中野氏の現代語訳にしてみよう。

「人を頼りにすれば、自由を失って、この身は他人に所有されたも同然になる。人を慈しんで世話すれば、心は恩愛の妄執にとらわれる。世のしきたりに随えばこの身が苦しい。随わなければ狂人と見られよう。どんな所に住み、どんなことをしていたら、この短い人生をしばらくも安らかに生き、少しのあいだでも心を休めることができようか」。

 四歳の子どもには人生はまだまだ長そうにおもえたが、それでも長明殿のおっしゃることの一端はすでに感じとっていた。親の生きづらそうなありさまを見るに、どうやらこの世はよほど面倒だ。落とし穴だらけだ。なんとかすこしでも静かに心安らかに生きられるよう、わたしだけのおうちを、大きくなって手にいれるには、どうしたらよかろう。

 新興住宅地にはつぎつぎと家が建っていった。土台と構造柱と屋根の木材を組みあげ、鉄骨を芯に立ててコンクリート・ブロックを積み、断熱材とボードを貼って、屋根を葺き外壁を塗り、と近所を歩いているうちに、つくりかたをなんとなく見覚える。わたしなら、こういうおうちがいい。お絵かき帳やちらしの裏に、どんどん描く。まるいおうち。横長のおうち。真ん中に庭があるおうち。外側が全部窓のおうち。たくさんの部屋があるの。いっこの部屋しかないの。うさこちゃんの家。やまんばのにしきの家。ロビンソン・クルーソーの家。

アーネムランド.jpgのサムネール画像

                 アーネムランド・ラミンギンニン近くのデイヴィッド・ガルプリルの家。

                 壁なし、床なし、洗濯機戸外、風吹き渡る。

 

 方丈記をはっきりと憧れの対象として認識したのは、多くの日本の中学生同様、その一部を古文の教科書で読んだ頃だろうとおもう。京の火災、遷都、突風、地震、といった事件や災害が、そこに住まう人々にひき起こした混乱と惨事は、なるほどなるほどとさしたる実感もなく読み過ごした。ほれぼれしたのはもっぱら、簡便、合理的、経済的、自由、なのに庭つきの地代なし、可動式方丈ハウスの魅力。

「広さはわづかに方丈、高さは七尺がうち」という。方丈は3平方メートルぐらい、一畳1.62平米とすれば5.5畳だが、これはまあ4畳半であろうとする注釈が多い(神田秀夫校注「方丈記」日本古典文学全集27巻・小学館、簗瀬一雄訳注『方丈記』角川ソフィア文庫ほか)。いずれにしろキッチン・風呂・トイレは戸外だし、独り侘び住まいなら充分の広さ。一尺約30センチとしてみれば天井の高さは2.1メートル。おもいのほか高い。

 土台も簡単に組むし屋根も一応載せるが「継目ごとに、かけがねを掛けたり」というわけで本体は分解可能、「もし、心にかなはぬ事あらば、やすく他へ移さんがため」組み立ても簡単で、部材をまとめても「積むところ、わづかに二輛」、これは牛車であると習った気がするが(だったら牛乳もとれるからヨーグルトつくれるよ、とおもっていた)、牛車は通常貴人の乗り物だ、そのあとに「車の力を報ふ」つまり人足の労賃のことをいっているから、人に引かせるのだろうとおもう。でも車を引かせるならロバがいい。山羊でもいい、なかなかいうこときかないけど、小ぶりだし乳もとりやすいから。なにしろいまなら2トントラックどころか、軽トラで間に合うよといったかんじの組み立て式モバイル・ハウス。地面は買わず、山の中などに自由に設置する。南は竹の簀子(すのこ)で縁側風、東の庇(ひさし)の下で柴なんか焚いて煮炊き、部屋には折り畳み式の琵琶に琴。いまでいえば、大きめのキャンピングカーに必要なものだけ積んで自然の中でリラックス、でもギターとバンジョーは忘れない、ってとこかな。

 なんと。ナイス。海岸に停めて魚や貝を煮る。温泉に停めて温まる。平原をひたすらゆく。流氷を越えて大陸へ渡る(いつか国境がなくなったらね)。まだ見ぬ故郷を探し当てよう。モバイル方丈ハウス万歳。

 ただ、難問がある。長明殿の収納は、どうやら吊棚と皮籠(かわご)三つぐらいのようだけれど、さて、わたしの荷物はいったいどこへどうしよう。

 靴も、お洋服も、セネガルの籠も、フィジーの木枕も、ちいさな椅子も、タンバリンもいるわ。夏の帽子、冬の帽子、ブーツ、パソコン、充電器、冷蔵庫、箪笥。ちいさいガスバーナー、ミニちゃぶ台に、重ねられるお鍋三つ。スノーピークのキャンプ用品カタログなんか見ていると危ない、危ない。方丈マニアはモバイル・ギアが大好きなのだ! すくなくとも本を入れた図書カート、できれば鶏小屋カート(卵が食べたいから)も連結して。

 満載、重い、動かない。ろばが倒れる。山羊が怒る。牛も泡を吹く。軽トラがあふれる。

 かくして、わたしのモバイル方丈ハウス妄想は、いつも荷造りの段で破れるのだった。

 

今月の大家さん

「大家さん大募集」という看板をみて、あたしも大家さんに! とときめいた。違った。すでに大家さんである人大募集、だった。ちぇっ。映画『プリシラ』(1994)でシドニーのゲイたちを乗せたバスを見たときも、ときめいた。バスよ。荷物たっぷり積めるわ! ただ、実際にやってみた経験からいうと、かなり疲れる。二週間以上バスで砂漠を旅し、地べたにテントを張って寝袋で寝た。お布団って偉大よ。ホームレスの方々は、尋常じゃなく消耗するとおもう。大家さん募集してほしい。いろんな意味で。